エネルギー転換

日本の大胆な水素戦略と、そこから世界が学べること

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水素ステーション (イメージ) Image: REUTERS/Issei Kato

Tomoki Matsuno
  • 日本は、水素を交通、製鉄、ガス、電力などの分野に横断的に導入する「水素社会」の実現に取り組んでいます。
  • 発電やガスとの混焼、乗用車など幅広い分野での水素利用が進められている一方、その適用範囲の拡大が、戦略の焦点の明確性や実現可能性に課題をもたらす可能性も指摘されています。
  • 日本の取り組みは、技術革新、市場設計、そして地政学的な状況を踏まえた、各国の文脈に応じた戦略立案の重要性を示しています。

クリーンエネルギーへの世界的な移行が加速する中、日本は水素への大胆なコミットメントを示しています。

国際エネルギー機関(IEA)は、世界の水素需要は2030年までに約1億3,000万トンに達し、2023年比で45%の増加、2050年には4億3,000万トンに拡大すると予測しています。日本は2017年に世界で初めて国家レベルの水素戦略を発表し、水素を産業競争力とエネルギー安全保障の中核に据えています。「水素社会」構想を強く打ち出し、交通、鉄鋼、ガス、電力などの分野で水素の活用を進めてきました。

それから約10年が経過し、日本のこの野心的な取り組みは、他国へのモデルになっていると同時に、警鐘にもなっています。地政学的な変化、技術の革新、そして気候関連目標が影響力を増す今の時代において、リスクの高い日本の水素戦略は、エネルギー移行の複雑性を理解する上での興味深いケーススタディとなっています。

野心から現実論への調整:進化する日本の水素戦略

2017年に策定された日本の「水素基本戦略」は、脱炭素型水素サプライチェーンの確立という野心的な目標を掲げ、未来志向のビジョンを提示しました。この前向きな姿勢を支えていたのは、トヨタの燃料電池技術や、世界初の液化水素運搬船「すいそ ふろんてぃあ」の就航といった国内での技術革新です。

一方で、現実的な課題への対応が求められ、2023年には戦略の見直しが行われました。改訂された戦略では、安全性、エネルギー安全保障、経済効率性、環境持続可能性を重視する「S(安全)+3E」のフレームワークが導入され、より実務的な方針が打ち出されました。また、15兆円(約1,000億ドル)に及ぶ官民の投資計画や国際連携の強化も盛り込まれ、低炭素水素 (クリーン水素)への志向が明確化されています。これは、2050年のカーボンニュートラル目標 (日本)や国際的な潮流との整合を図るものです。IEAによると、2050年までに消費される水素の約98%がクリーン水素、主にグリーン水素 (再エネを用いた水電解により製造)になると見込まれています。

戦略の方向転換が図られた現在も、日本のアプローチは依然として包括的です。多くの国が鉄鋼、海運、航空など排出削減が困難な分野に水素の活用を限定しているのに対し、日本は発電、ガス混焼、乗用車といった広範な分野での活用を推進しています。このような広がりは、戦略の焦点の明確性と実現可能性に関する新たな問いを投げかけています。

エネルギー不安:水素戦略を支える根本的な動機

日本の水素戦略を推進する大きな動機の一つは、深刻なエネルギー不安です。資源に乏しい島国である日本は、2023年時点でエネルギーの約87%を輸入に依存しており、2011年の福島第一原発事故以降、自給率は大幅に低下しています。原子力に対する国民の信頼は依然として低く、再生可能エネルギーの拡大にも地理的制約や電力系統の統合といった課題が立ちはだかっています。

現在の再生可能エネルギーインフラでは、グリーン水素の輸入が不可欠であり、日本の戦略に内在する矛盾を浮き彫りにしています。水素がエネルギー安全保障の切り札とされながらも、日本が水素輸出国に依存するようになれば、新たな依存構造に陥る可能性があるからです。

課題

高コストの壁

グリーン水素は依然として、従来の燃料と比較してコストが高く、日本政府はスケールメリットと技術革新によるコスト削減を目指しています。一方、その実現性は依然として不透明です。最近の研究では、水素製造コストが1キログラムあたり2米ドルに下がったとしても、多くのセクターでの二酸化炭素削減コストは1トンあたり500〜1,250米ドルに高止まりするとされています。製造コストに注目が集まりがちですが、水素サプライチェーン全体では、貯蔵や輸送もコストを大きく左右する要因となります。

継続する輸入依存

化石燃料から水素への転換は、日本の構造的な脆弱性を移行させることに過ぎず、抜本的な解決にはなりません。主要な輸出国は未だに水素の輸出体制を構築中であり、供給の遅延や価格変動のなどリスクに大きく影響される可能性があります。

不透明な需要見通し

日本は2040年までに年間1,200万トンの水素調達を目標としていますが、そのセクター別内訳に関しては政府から具体的な説明はありません。このような曖昧さや不確実性は、投資や政策整合性の判断を困難にしています。

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脆弱な基盤:グローバルな水素サプライチェーン

将来の水素供給を確保するため、日本はオーストラリア、中東諸国、米国との連携を模索しています。一方、グリーン水素の世界的な供給体制は、依然として初期段階にあります。IEAの「水素製造およびインフラプロジェクト・データベース」によると、オーストラリアと米国には300件を超えるクリーン水素プロジェクト計画がある一方、実際に稼働しているのはそのごく一部にすぎません。2024年10月時点で、オーストラリアの水素供給能力は、想定製造量のわずか0.004%にとどまっています。この理想と現実の乖離は、日本の輸入依存型モデルが抱える地政学的および物流上のリスクを浮き彫りにしています。こうしたリスクを軽減するには、調達先の多様化と戦略的備蓄が必要となるでしょう。

類似の輸入依存型のエネルギー構造を持つドイツは、より実行可能な水素輸入モデルを示しています。ドイツの「水素輸入戦略」は、需要の定量化、インフラ整備の道筋、外交・金融ツールの活用など、具体的な取り組みを展開。一方、日本は技術力と緩やかな供給連携に重きを置く傾向があり、そのビジョンは野心的でありながら、システム全体の実行面では課題が残されています。

市場インフラの構築

水素を主要なエネルギー経済に統合する上での大きな障壁は、成熟した取引・価格決定インフラの欠如です。現状、水素はカスタムベースの商品として取引されており、透明性のある価格指標、契約形態、取引プラットフォームは存在していません。市場におけるこの構造的不備が、スケールの拡大を妨げ、さらなる投資の障壁にもなっています。

この分野でも日本は先駆的な動きを見せています。2024年12月、東京商品取引所は東京都と連携し、水素取引プラットフォームの開発に向けた試験的な取り組みを開始しました。このパイロットプログラムは、将来的な水素市場の基本ルールと運用体制を確立することを目的としています。これは水素を市場ベースで取引するための制度的基盤の構築を目指す世界初の試みであり、水素を取引可能なエネルギー資産として制度的に位置付けるための重要な一歩です。

戦略的教訓:野心よりも精緻さを

政策的先見性

日本は早期の取り組みにより、水素技術分野でのリーダーシップを確立しています。世界の水素関連特許の約24%を保有し、液化水素輸送やアンモニア混焼技術などの分野で革新的な取り組みを先導しています。

優先順位の明確化

製鉄、アンモニア合成、大型輸送、航空など、脱炭素化へ有効な代替手段がないために、水素が明確な価値を提供できる分野に重点的に活用すべきです。一方、乗用車や住宅用途といった分野への利用拡大は、リソースの分散を招き、供給の問題や費用対効果を低下を招くリスクがあります。

戦略的な調達アプローチ

多様な水素輸出国と長期かつ固定価格での契約を結ぶことで、将来的な価格高騰や供給の混乱を回避することができます。地政学的リスクが比較的低く、再生可能エネルギーの潜在力が高い中南米、東南アジア、アフリカなどの地域との連携も、戦略的に有望な選択肢となるでしょう。

日本の水素戦略は、資源に乏しい工業国が直面する共通の課題を象徴しています。水素導入においてコストの高さが大きな障壁であることは明白ですが、それだけにとどまりません。電化と分子燃料のどちらを優先すべきか、国内投資か輸入重視か、そして気候目標とインフラ現実をどう両立させるかなど、本質的な問いへの答えが求められています。水素の役割は、各国の事情に応じて定義されるべきであり、日本の事例は技術革新、市場設計、地政学的現実等を考慮した国家戦略の重要性を示しています。

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