ヒストリー
世界経済フォーラム50年の歩みをインタラクティブな年表でご紹介します。
世界経済フォーラムのメンバー、リーダー、そして外部の視点からみつめた同フォーラムの50年間の歩みを紹介します。
世界経済フォーラムは、ダボス・クロスタースで開催される年次総会でよく知られています。長年にわたり、ビジネス、政治、アカデミアおよび市民社会のリーダー達がアルプスの高地に集まり、その時々の主要な地球規模の問題について検討し、また、これらの問題に対応するための解決策について徹底した議論を行ってきました。
多くの国際機関は、さまざまな国や有力な政界リーダーの参加によって注目を集める一方で、世界経済フォーラムの年次総会、および当フォーラムが世界中で行うすべての活動やイニシアチブは、ビジネス、政治、アカデミアおよび市民社会の主要な人材が積極的に参加することが最大の特徴です。世界経済フォーラムでは、豊富な経験と実績を備える人々と前途有望な未来を担う人々が、協調と平等をうたう「ダボス精神」のもと、連携します。
当初、クラウス・シュワブ教授は「ヨーロッパ経営フォーラム(European Management Forum)」と名付けた非営利財団をスイスのジュネーブに設立し、毎年1月にダボスで開催する年次総会に、ヨーロッパおよびその他の地域のビジネスリーダーを招いていました。
シュワブ教授は、ヨーロッパの企業が米国型経営手法にどのように対抗できるかという点に特に注力すると同時に、経営者が、株主、顧客、消費者だけでなく、従業員、そして企業が立地する地域社会(行政を含む)まで、すべての利益に配慮することを企業の成功の基盤とする、「ステークホルダー」の経営アプローチを生み出し推進しました。
後に、世界経済フォーラムとなる組織を形成するシュワブ教授の構想は、数々の実績を積み上げることで着実に実現していきます。1973年のブレトンウッズ協定に基づく固定相場制の崩壊と第四次中東戦争の開始により、年次総会では、経営から経済および社会の諸問題へと焦点を広げ、1974年1月には、初めて政治指導者をダボスに招きました。
その2年後には、「世界のリーディングカンパニー1,000社」のメンバーシップ制度を導入。ヨーロッパ経営フォーラムは中国の経済開発委員会とパートナーシップを結び、中国の経済改革政策を促進させる、初の非政府組織となりました。こうして、世界各地域での会合が年間の活動に加えられたほか、1979年には世界競争力レポートを発表したことにより、「ナレッジ・ハブ」としての役割も担うようになりました。
1987年、ヨーロッパ経営フォーラムは「世界経済フォーラム」に名称を変更し、その構想を広げ、対話の場を提供。この時期、世界経済フォーラムの年次総会の主要な出来事に、1988年にギリシャとトルコがダボス宣言に調印することで、両国間の戦争が直前で回避されるということがありました。また1989年の年次総会では、北朝鮮と韓国がダボスで初の閣僚級会合を開催。また、東ドイツのハンス・モドロウ首相と西ドイツのヘルムート・コール首相が東西ドイツの統一について会談しました。1992年の年次総会では、南アフリカのデクラーク大統領がネルソン・マンデラ氏とマンゴスツ・ブテレジ インカタ自由党議長と会見。これは南アフリカ以外で3者が揃って公の場に姿を見せた初の機会であり、南アフリカの政治的移行の節目となりました。
2015年、世界経済フォーラムは国際機関として正式に認定され、以後、官民の連携を推進するグローバル・プラットホームとして新たな段階を迎えています。
動画「世界経済フォーラム50年の歩み」
動画「ステークホルダー資本主義」