18世紀後半のリバプールでは、火災は決して珍しいことではありませんでした。火災が発生すると、毎日届けられ、急造の倉庫や納屋や置き場に保管されていた、煙草や砂糖や綿に燃え移るのではないかと騒ぎになったのです。

意外と思われるかもしれませんが、当時は火災という緊急事態に、2つのまったく別の部隊が同時対応していました。ひとつはもちろん、消防隊。そしてもうひとつは、サルベージ隊と呼ばれる部隊。火災の被害と消火活動の影響を最小限に食い止めるのが任務で、建物と物品の保護を目的としていました。

その後は次第に、消防隊が無用な被害や損失の拡大を防ぐ活動を重視するようになり、別の部隊としてのサルベージ隊の存在は不要になっていきました。そして今日は、被害の軽減と財産の保護はいずれも消火活動での欠かせない任務となっています。

2019年に話を戻すと、現在、世界規模での感染症のアウトブレイクがいつ発生しても不思議ではありません。そして、感染症のアウトブレイクが発生する頻度は着実に高くなっています。世界保健機関(WHO)では毎月、アウトブレイクとなる恐れがある新たな前兆の調査を7,000件、追跡調査を300件、詳細調査を30件、完全なリスク評価を10件実施しています。昨年7月には史上初めて、WHOの「優先的に取り組みが必要とされる感染症」のリストに挙げられている8つの感染症のうち6つのアウトブレイクが確認されました。

感染症への対応と先述のリバプールの火災への対応には共通点が見出せそうです。世界を見渡してみると、症状がかなり軽い感染症への対応能力さえもいまだに不十分な状況です。しかし、WHOを筆頭にさまざまな機関が、感染症のアウトブレイクのリスクと影響を軽減する能力を高めるために、効果的な取り組みを推進しています。世界危機準備モニタリング委員会、WHOの緊急対応基金、世界銀行のパンデミック緊急ファシリティ、感染症流行対策イノベーション連合が近年、相次いで誕生しました。一方、世界で初めてエボラ出血熱のワクチンの試験的投与も実施されました。コンゴ民主共和国で感染が食い止められ、数え切れないほどの命が救われました。

気候変動と同レベルの経済的打撃

世界レベルでの「感染症に対する消防隊」は確かに強化されています。しかし、社会的・経済的な被害の拡大を最小限にとどめるにあたり、現在の消防隊が火災現場にて建物への被害の軽減と貴重な財産の保護に重点を置くのと同様の配慮が、十分にされない場合、根底を揺るがすような危険が発生することになります。

事実、感染症のアウトブレイクが与える経済的な打撃は計り知れません。深刻な感染症および比較的深刻な感染症にかかる、世界全体の年間コストはおよそ5,700億ドル(世界の所得の0.7%)で、気候変動にかかるコストと同等です。さらに驚くべきことに、感染症のアウトブレイクがもたらす経済的な損失のうち、感染者による直接的な損失はわずか39%でしかないと推定されています。むしろ、コストの大部分は健康な人びとが感染を避ける目的で生活習慣を変更することに起因するもので、被害の拡大を抑え込むのに巨額が必要になる可能性を示しています。

実際、医学と公衆衛生の進歩のおかげで感染症の罹患率と死亡率は低下していますが、感染症の脅威がもたらす社会的・経済的な影響に対する集団的な脆弱性は総じて高まりつつあるようです。

例えば、2003年のSARSのアウトブレイクでは、およそ8,000人が感染して800人近くが死亡し、世界経済は500億ドル以上の打撃を受けました。また、2015年の韓国でのMERSのアウトブレイクでは、感染者数は200人に満たず死者はわずか38人でしたが、およそ1万7,000人が隔離され、85億ドルの費用がかかったと推定されています。さらに、2014~2015年にかけて西アフリカの3カ国を襲ったエボラ出血熱のアウトブレイクでは、かかった費用は530億ドルという膨大な金額に上ったとみられています。

マクロ経済への影響の推定額は莫大ですが、それによって地域社会が受ける影響の実情が見えにくくなっています。例えば、2009年に新型インフルエンザ(H1N1)が大流行した際にメキシコの観光産業が受けた打撃は50億ドルに上ったと推算されています。地域社会レベルでは、感染例はメキシコシティとその周辺地域に集中していたにもかかわらず、そこから遠く離れたカリブ海や太平洋の沿岸にあるリゾート地にまで経済被害が飛び火しました。カンクンの例を挙げると、クルーズ船が寄港を取りやめたほか、22軒のホテルが一時休業となり、1万人以上のホテル関連の従業員(ウェイター、調理師、ルームメイドなど)が一時解雇されました。

同様に、2014~15年にかけて西アフリカでエボラ出血熱が流行した際は、シエラレオネ、ギニア、リベリアへの運航を続けた航空会社はわずか2社(ブリュッセル航空とロイヤル・エア・モロッコ)しかありませんでした。その結果、これらの国への空の便が減少したことで、地域経済への影響が深刻化したほか、援助物資を輸送する手段が制限されたために事態がさらに悪化する危機に陥りました。

こうした経済的影響は回避できませんが、それに歯止めがかからない場合やそれがさらに悪化した場合、どの程度まで対応できたら成功したと考えることができるのでしょうか。ある消防士は次のように問いかけています。「被害者は火事に遭った日のことを生涯忘れないでしょう。それだけでなく、莫大な金額に相当する無駄な損害を理由もなく自宅に与えられた日として記憶させてしまうつもりですか?」

国際保健規則(IHR)は、WHOの全加盟国を含む196カ国に対して法的拘束力を有する国際規則で、公衆衛生上の深刻な危機の防止と対応を目的としていますが、この規則は公衆衛生上の危機を最小限に抑えるとともに、国際交通と貿易を妨害する不要な事態を阻止することを最重視しています。もちろん、公衆衛生上の危機を防ぐこと以上に重要なことはありません。しかし、感染症がもたらす経済的影響を最小限に抑えることにも注意を注ぐ必要があります。これはIHRの趣旨にも合致しています。そして、感染症のアウトブレイク全般に対して防止、察知、対応できる中核的な能力(コア・キャパシティ)を実現するための取り組みを進めていくうえで、相乗効果を期待できる機会でもあります。

リバプールにサルベージ隊が誕生したのは、消火活動を効率的にこなしていた消防隊が存在していたにもかかわらず、火災による損害が甚大だったからです。感染症の報告は毎年200件ほどあります。通常は予測も回避も可能な経済的損失を「感染症に対する消防隊」が防げなかったとしたら、それは私達自身の責任で機会を逃したことに他なりません。