オンライン時代の言論の自由とは
1969年、インターネットで最初のメッセージを送信するには冷蔵庫サイズのマシンが必要でした。 Image: REUTERS/Fred Prouser
- 米国連邦最高裁判所は、ソーシャルメディア・サイトが、どれほど好ましくないとしても全ての意見を伝えるよう強制されるべきかを検討しています。
- 同裁判所の決定は、インターネット体験に広範な影響を与える可能性があります。
- 審議によって、規制、言論の自由、そして健全で公平なオンライン上の存在とは何かという課題が提起されています。
1996年、南アフリカのある男性がガラス張りの部屋に閉じこもり、数カ月の間、外界との接触をインターネット接続のみに制限しました。チャレンジが終わり、出口で待ち受けていた記者に彼が熱く語ったのは「この成長しつつある 『グローバル・ビレッジ(地球村)』 の中で、私たち全員がいかに似ているかを実感する興味深い体験だった」ということ。
28年前には奇抜だったこの行動は、今では当たり前の日常生活となっています。前述の男性、リチャード・ワイドマン氏が小部屋に閉じこもり、一日中画面とにらめっこしていた当時、インターネットを利用していたのは世界人口のわずか1%に過ぎませんでした。また、ソーシャルメディアも初期のバーチャル・コミュニティ「WELL」の5,000人ほどのメンバーに限られていました。現在、世界の 三分の二以上がインターネットを利用していますが、地球村の状態はあまりよくありません。
米国連邦最高裁判所は現在、インターネット上の言論がどのように受け取られるべきかを厳密に整理しようとしています。ユーチューブ、フェイスブック、ティックトックは、何を公開し、何を排除するかについて企業がトップダウンで決定し続けるべき場所なのか。それとも、どれほど好ましくないものであってもすべての意見を伝えなければならない郵便サービスのようなものなのか。
言論の強制掲載を義務付ける二つの州法に重きが置かれれば、最高裁判所は編集をノーガードにして表現の自由を確保することになるかもしれません。そうなれば、ソーシャルメディアの内容は、今と同じものでは決してなくなるでしょう。判決は6月までに下される予定です。
この変曲点は、今やオンラインが当たり前になった祖父母世代を含む全ての人に影響します。ネットに接続しないという選択肢はもう存在しないからです。インターネットは「現代の公共広場」とも表現されます。最高裁での口頭弁論では、書店やパレードといったその他の例えが挙げられました。
パレードの行進から人々を排除することは不公平に思えるかもしれません。しかし、それが「あなたの」パレードだとしたら、主催者として好ましい環境を作りたいと考えるのではないでしょうか。
100年以上前、ある最高裁判事が独自の例え話をしました。「保護に値しない言論とは、偽りにもかかわらず混雑した劇場で『火事だ』と叫ぶような、明白かつ現在の危険を引き起こすような言論である」と。
「混雑した劇場で『火事だ』と叫ぶこと」は、言論の自由の一線を越えるとみなされるあらゆるものを表現するお決まりの文句になりました。
結局のところ、最高裁判所の見解に登場する何年も前から、混雑した劇場で「火事だ」と叫ぶ人は実際にいたのです。1911年、米国ペンシルベニア州のオペラハウスで、何十人もの人々が圧死しました。その2年後にミシガン州で起きた別の事件では、さらに多くの死者が出ています。
これらの禁止措置の反動で、フロリダ州とテキサス州では真逆の法律ができ、最高裁判所における現在の訴訟の引き金となりました。テキサス州法は、大規模ソーシャルメディアが、運営企業の視点を理由にユーザーを締め出すことを禁止。フロリダ州法も、特定の個人や組織がインターネット上のプラットフォームから排除されるこのような「デプラットフォーミング」を禁止し、シャドウバンの撲滅に狙いを定めています。
多くの人気ソーシャルメディア・サービスが米国に本社を置いていますが、こうした「密かな検閲」は米国に限ったことではありません。2022年に承認されたEUのデジタルサービス法は、シャドウバンを禁止するものです。インドでは、オンライン上で微妙な話題に触れようとするユーザーから、シャドウバンが行われているとの申し立てがありました。そして実際にメキシコでは、犯罪カルテルに対するシャドウバンを擁護し、その強化を提唱する評論家もいます。
「検閲の婉曲表現」
1969年、カリフォルニアのコンピュータ科学者たちは、現代のインターネットの前身となる最初のネットワーク接続を確立しました。システムがクラッシュする前に、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の冷蔵庫サイズのマシンから5文字のメッセージの最初の2文字を送信することに成功したのです。その後、事態は急速に進展しました。
2006年、グーグルは約17億ドルでユーチューブを買収し、多くの人々を驚かせました。海賊版コンテンツや猫の動画の保管場所だとばかり考えられていたものにとって、驚くべき価格でした。
2019年までに、ユーチューブは年間150億ドル強の広告収入と、グローバルで毎月20億人の視聴者を獲得。今では、広範囲に影響を及ぼす議論の核心となっています。最高裁判所でフロリダ州とテキサス州の法律が支持されれば、憎悪的なコンテンツを禁止することは今よりも難しくなるでしょう。
一部の人はそれでいいと考えるかもしれません。ある最高裁判事は、口頭弁論でユーチューブなどが現在採用しているコンテンツ・モデレーションは「検閲の婉曲表現」に過ぎないのではないかと疑問を投げかけました。
ある意味で、ソーシャルメディア・チャンネルでより幅広い意見を公開するという試みは、少なくとも部分的にはすでに行われています。まだツイッターと呼ばれていた頃、あるサイトは誤報の拡散を懸念して政治的な広告を禁止し、前アメリカ大統領さえも締め出しました。このサイトは現在、「X」としてその両方を復活させています。
各国政府が介入してこのような再調整を強制したり、何らかのコンテンツ・モデレーションにおける決定を義務付けたりすることには、おそらく反対が多いでしょう。例えば、Xは、2022年にカリフォルニア州で可決された、ソーシャルメディア企業が行っているモデレーションの決定を自己報告することを義務付ける法律に異議を唱えています。電子フロンティア財団は、この法律を「非公式の検閲制度」と呼んでいます。
識者は、最高裁判所が包摂性の視点に立った情報提供を義務付ける州法を認めるかどうかについて懐疑的な見方を示しています。口頭弁論では、最高裁長官が「民間企業が運営する 『現代の公共広場』に、政府が何でも公開するよう強制する必要が本当にあるのか」と質問。ある弁護士は、この結果があまりに破壊的なものであるため、少なくとも最善の方法が見つかるまでは、いくつかのサイトは「子犬に関するコンテンツのみ」に絞ることを検討することになるかもしれないと示唆しています。
ネット上で見過ごされていると感じている人たちには、すでに回避策があります。例えば、まったく新しいソーシャルメディア・サイトを立ち上げる、あるいは、世界で最も裕福な人々の一人であるならば、すでに多くの読者を獲得しているサイトを買収するなどです。
しかし、どちらの選択肢も、私たちのほとんどにとってはあまり現実的ではありません。また、普遍的なプラットフォームが特定の声を不当に疎外する場合があってもそれが正当である可能性があります(また、「子犬に関するコンテンツ」の方が今よりましである可能性もあります)。
結局のところ、あらゆる問題が解決できる法的救済措置はないのかもしれません。その代わり、アルゴリズムによって誘導された居心地の良さに頼り切り、自分がふさわしい注目を集められないのはソーシャルメディアの不手際なのか、それともシャドウバンを受けているからかと思い悩みます。オンライン上の快適ゾーンから飛び出して、衝撃的な何かを垣間見てしまうことも多くあるでしょう。私たちは、AI(人工知能)の普及につれて混迷を深める、こうした不安な中間地点に留まることになりそうです。
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