多くの仕事が自動化する可能性は数々の課題をもたらしますが、まだ十分に注目されていないものもあります。機械が高性能化していく中、教育の本当の目的とは何なのでしょうか。

私自身、国連のキャリアの中で、テクノロジー分野でとりわけ有望なエンジニアやすばらしい人道主義者と働く機会があり、世界中の顧客や社会にどんな恩恵をもたらすことができるかを考えました。その中でも最新かつ最もインパクトの大きいものは、来るべき第5世代(5G)無線アクセス技術です。今日のシステムの1,000倍のデータ容量を通信することが可能になります。

テクノロジーの発展から、5Gや第四次産業革命がもたらすその他の大きな発展という機会に、現在の教育システムは明らかに適応していないと私は考えます。それが古い慣習や現代の前提条件に疑いを向けることとなったとしても(そして、とりわけその場合において)、教育者や政策決定者、非営利やビジネス界はこの事実に向き合わなければなりません。

人間の認知能力と同等またはそれを超越するコンピューターが増えるなか、教育の大きな目標というものを私は次のように考えています。

言うまでもなく、これまでにない技術を駆使した社会のニーズを満たすための質の高いSTEM(科学、技術、工学、数学)スキルの教育同等に重要な点として、人類が他者の幸福に対する知恵と展望と正当な配慮を持って影響力の大きなテクノロジーを利用することを可能とするための公民・倫理教育従来の教育制度よりもはるかに幅広い年齢層や生活状況に対して上記2点のニーズを満たすための、より創造的で説得力のある方法の模索

未来の教育に関する議論がSTEMに注目することは当然のことで、当社においてもSTEM教育は優先事項の一つです。当社のベライゾン・イノベーティブ・ラーニングプログラムはアクセス無料で最新の機器によるSTEMカリキュラムと実践トレーニングを提供。低所得層の子どもの情報格差解消を支援します。

その必然性は明確です。前述のとおり、技術主導の時代においてこれらの教科が持つ価値に議論の余地はありません。あるとすれば、私たちの社会がすべての所得層と年齢層に対して、性別に隔てなくSTEM教育を大きく改善していかなければならないという点です。

称賛と必要性の両方からSTEMに対する社会の注目が集まっています。しかし、それがテクノロジーを最善に管理するために必要な教科を軽視する二分思考を生みだしていることも事実です。そうした教科は歴史、哲学、文学、芸術といった人文科学が挙げられます。

これはある教科を他の教科よりも優先しようとする考えではありません。むしろ、科学と人文科学との間に高まる無意味な二分法から抜け出そうとするものです。新しい時代を生き抜くためには両方が必要であり、これまでにない方法で双方を統合させることが求められています。

つまり、私たちに本当に必要なものとは、「素晴らしい新世界」に深く熱中した遺伝子工学者と洗練されたデータ分析を行うことができる歴史家です。科学はこれまで以上に人文科学に寄与し、その逆もまた然りなのです。

こうした統合は話題性が高まることで実現します。過去数年にわたり、テクノロジーに精通した経営管理者が広く社会に関わるなかで、消費者のプライバシーや政治システムの統合などの複雑で慎重を期する問題に対して、初歩的なミスを犯すのを繰り返しみてきました。

教訓は明白です。テクノロジーが人間に恩恵をもたらすという約束を果たすためには、文化と倫理の指針が必要なのです。そうした指針を教え込む学問、つまり時代錯誤とされてきました人文科学こそが、影響力を増すテクノロジーの最善な利用をまさに可能とするための学問なのです。

第四次産業革命における教育制度において必要なものは他にもあります。それは、生涯学習の概念の本格的な導入です。

私自身が生涯学習の理想を掲げる第一人者とは考えませんが、その実現について私たちはもっと力説するべきだと分かりました。生涯学習は、現在の正規教育制度に付属するものではなく、すべての制度が理解され、組織化される概念であるべきなのです。

学校教育は22歳あるいは25歳まで(あるいは18歳以下)とする考え方は、現在ではまったく時代遅れです。テクノロジーがより急速に変化し、人間の寿命が延び、より多くの人々が従来の定年年齢になっても十分働いている時代においては、柔軟にニーズに応える学校教育や研修モデルの実現が急務です。

例えば、「大学期」を10代後半から20代前半とみなすことを止めるべきでしょう。未来の大学では、新しい学位取得を目指す40代や60代の学生が増えるかもしれません。また、オンライン学習を通じて特定の分野で専門的知識を養った早熟な10代の若者もいるかもしれません。

これは、第四次産業革命に人々が適応するために、初等教育から大学までの学校制度が受け入れなければならない変化のほんの一例です。

テクノロジーの影響力がより大きくなろうとも、その課題に対応できる人々を教育することができるのであれば、私たち自身の運命は私たち自身で決めることができるのです。永遠のテクノロジー楽観主義者として、私はそう強く信じています。