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脳の健康と食料システム~神経科学が変える食と農業のあり方~

野菜売り場の棚から商品を選ぶ女性。神経科学の知見を食料システムに組み込むことで、身体の健康を維持するだけでなく、脳の健康も向上させることができます。

神経科学の知見を食料システムに組み込むことで、身体の健康を維持するだけでなく、脳の健康も向上させることができます。 Image: Getty Images

Stephanie Peabody
Executive Director, Brain Health Initiative
Steve Magami
Co-Founder and Chief Executive Officer, Fruitist
本稿は、以下センター (部門)の一部です。 ヘルス、ヘルスケア
  • 21世紀においては、脳の健康を世界的な優先課題とし、脳疾患を健康を損なう最大の要因として位置付けなければなりません。
  • 栄養状態、環境要因、ストレス、社会的環境は脳の健康を決定する重要な要素ですが、これらは個別に扱われる傾向にあります。
  • 食料システムに神経科学の知見を取り入れることで、栄養摂取を通じて脳の健康とウェルビーイングを向上させるとともに、身体の栄養補給も可能になります。

20世紀に心臓の健康がグローバルな優先課題となったように、21世紀は脳の健康の時代です。現在、うつ病や不安障害から認知症、脳卒中に至るまでの脳疾患は、後天的障がいの主要な原因となっており、年間数兆ドルもの経済的損失をもたらしています。

一方で、私たちの食料の生産、加工、流通、消費のあり方、つまり食料システムにおいて、脳の健康を明示的に考慮することはほとんどありません。栄養状態、環境要因、ストレス、社会的環境はすべて脳の健康を決定する重要な要素ですが、これらは個別に扱われる傾向にあります。

近年、脳を保護する食事法が脳疾患を予防することを示す、有望なエビデンスが増えています。ただし、この知見は食料システムの設計に体系的に組み込まれていません。

グローバルNPO「ブレイン・ヘルス・イニシアチブ(Brain Health Initiative)」による「脳健康循環型バイオエコノミー(Brain Health Circular Bioeconomy)」アプローチは、この状況を変えようとしています。農業やサプライチェーンに神経科学の知見を組み込むことで、食料システムは身体を養うだけでなく、認知機能の維持、精神的なレジリエンス、感情的ウェルビーイング(幸福)を支えることが可能になります。

今、食料システムの改革が必要な理由

その緊急性は明らかです。グローバルな食料需要が増加する中、気候変動による圧力も強まっています。神経変性疾患による医療費負担は増大し続けており、パンデミックによってさらに悪化したメンタルヘルスの課題も依然として深刻化しています。意図的な設計がなされなければ、食料システムは脳の健康問題や不平等を緩和するどころか、悪化させる要因となりかねません。

一方で、脳の健康を重視した食料システムの再構築には、以下のような三重のメリットがあります。これらは、他の対策では得ることが難しいものです。

  • 経済的リターン(ROI):脳の健康に配慮した実践の測定、マーケティングを行う企業は、プレミアムな市場ポジションの獲得と効率化を実現することができます。
  • 投資対価値(VOI):栄養素の品質、従業員の安全、再生型農業の実践に関する透明性のある報告を行うことで、企業の信頼性と環境・社会・ガバナンス(ESG)面での評価が向上します。
  • 脳の健康に対するリターン(BOI):高齢化社会のレジリエンスが増大し、子どもたちがより良く学び、職場のストレスが軽減され、生産性が向上することで、社会全体が恩恵を享受することができます。

これらの相乗効果により、BHIの「脳健康循環型バイオエコノミー」は脳の健康を単なる公衆衛生上の課題ではなく、説得力のあるビジネスケースとして位置付けることができるでしょう。

世界経済フォーラムの「栄養の新たなフロンティア」プラットフォームは、このようなイノベーションを促進するために設立されました。科学的知見を、各国政府、企業、地域社会が共同で策定、採用する拡張可能な基準に転換することを目的としています。

循環型食料システムモデル

「分子から代謝へ、土壌からシナプスへ」という合言葉は、農業、神経科学、医学、栄養学、公衆衛生、持続可能性を統合する枠組みを提供する、脳の健康促進に向けた取り組みを表しています。

「分子から代謝へ」は、栄養素が人体に吸収され利用されるまでの過程です。この取り組みではまず、植物に含まれる保護作用のある化合物(ビタミン、フラボノイド、その他の生理活性物質)を特定します。これらの成分が人体に取り込まれ、代謝されて健康とレジリエンスを支えるのです。

一方、「土壌からシナプスへ」という概念は、農業と神経系のつながりを示しています。シナプスは、私たちの思考、学習、運動と周囲の世界に対する反応を制御する器官です。健全な土壌と持続可能な農業から、安全な生産、消費プロセスを経て、最終的に脳と身体の神経細胞間の情報伝達ポイントであるシナプスに到達するのです。

「分子から代謝へ、土壌からシナプスへ」というフレーズは、農業、食品、代謝、脳と身体の健康という循環的なつながりを包括的に表現しています。

このアプローチは、脳の健康に関するグローバルNPO「ブレイン・ヘルス・イニシアチブ(BHI)」によるものです。同団体は、学際的な専門家集団であるBHIブレイン・ヘルス・コンソーシアムと、世界経済フォーラムの「ユニコーン」コミュニティの一員であるスーパーフルーツブランド、フルーティストの協力を得て活動。このモデルは、シンプルでありながら強力な論理に基づいて構築されています。

始点は土壌です。健全な土壌と再生型農業の実践により、食料システムの循環性を高め、生態系を保護し、食料の生産者と消費者の神経生物学的健康を支えます。労働者と消費者双方の有害物質曝露も低減されます。

次に、土壌から植物と分子に目を向けてみましょう。分子レベルでの分析を通じて、フラボノイドからビタミンに至るまでの神経保護作用を持つ化合物を特定、最適化します。これにより、遺伝子型と栽培管理の両方を活用した栽培方法を確立し、収量、生態系の健全性を向上させ、脳の健康を支える食料生産を実現できるようになります。

さらに、加工工程と代謝の段階が続きます。コールドチェーンを短縮し、収穫後の管理基準を向上させ、不必要な加工工程を排除することで、脳機能に関連する生理活性物質が保持され、吸収と代謝が可能な状態が維持されます。これにより、農業の実践方法が直接的に脳の機能に影響を与える仕組みを確立することができるでしょう。

こうした取組みは同時に、労働者と地域社会の福祉を最優先するものです。独自開発のスクリーニングツール「BHI Brain Health Vital Signs (BHVS)」と、脳健康認識と優先順位に関する調査を活用して、脳の健康を保護する要因と脳疾患のリスク要因をスクリーニングし、得られたデータに基づいて労働者、その家族、農業コミュニティを支援するプログラムを提供します。これにより、健全な食料システムと健康な人々が相互に支え合う好循環が強化されます。企業の社会的責任プログラムは、農業コミュニティが健康とウェルビーイングの両方を守る文化を育む上で、さらに大きな役割を果たすでしょう。

最後に、消費者レベルでは、このモデルは代謝とシナプスのプロセスを通じて循環を完成させます。科学的根拠に基づいた表示、信頼性の高いパッケージング、教育の普及により、どの家庭でも自らの脳の健康を強化するとともに、地球環境の保護にもつながる意識的な選択ができるようになるでしょう。

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食品を通じた脳の健康改善のためのプロトタイプ

BHIの「脳健康循環型バイオエコノミー」の取り組みは、小さなコミュニティ農場にその起源を持ちます。米国フロリダ州マナティ郡にあるギャンブル・クリーク農場で、エド・チャイルズ氏とそのチームが持続可能な再生型農業の実践を開拓したのです。同地域の実験的な取り組みは、脳の健康とプラネタリーヘルスの両方を促進するグローバルなモデルへと発展しています。

フルーティストは、BHIおよび主要な学術研究機関と連携し、この取り組みの最初のプロトタイプパートナーになりました。同社は、再生農業、分子プロファイル解析、従業員の健康増進、消費者向けコミュニケーションを統合した、科学的根拠に基づく単一の認証システムの構築に取り組み、グローバルな展開と大陸を越えた普及を目指しています。

これは単に認証の結果のみを目的としたものではありません。現在、どの農業企業もBHIの「脳健康型循環型バイオエコノミー認証」で満点を獲得することはできず、またそのような評価基準を設けるべきでもありません。この評価プロセスでは、科学的根拠に基づいた提言が作成され、リーダーシップの強みと改善点が明らかになるとともに、継続的な改善に向けた指針が示されます。

食料システムを通じた脳の健康維持に関する循環型原則の図。
食料システムを通じた脳の健康維持に関する循環型原則。 Image: Brain Health Initiative

初期段階(フェーズ1Aおよび1B)では有望な成果が得られています。再生型農業の実践により化学肥料や農薬の使用量が削減され、開発された分子レベルの分析技術により、ベリー類に含まれる神経保護成分の特定が可能になりつつあります。また、経営層から現場作業員までを対象とした従業員調査を実施し、保護要因とリスク要因を把握した上で、データに基づいた効果的な支援策を講じます。さらに、消費者向けパッケージについても、教育ツールとしての機能と持続可能性の観点から再検討が進められています。

これらの要素を統合することで、収益性、人々の健康、そして地球環境への配慮が互いに補完し合い、相乗効果を生み出すことを実証する取り組みが進められています。

基準の設定とスケールアップ

同プロジェクトは、各国政府、産業界、社会が連携するための具体的な枠組みを提供します。基準が有効に機能するためには、相互運用性があり、広く普及していることが不可欠です。

世界中で脳の健康を促進する食料システムを拡大するためには、各国政府、生産者、小売業者、消費者、保険会社、投資家が協力してこれらの基準を共同で策定していく必要があります。

私たちは以下のことを呼びかけます。

  • 各国政府は、食品栄養政策に脳の健康に関する視点を取り入れることを検討しなければなりません。
  • 生産者は、収益性を高めつつ、再生型農業の実践を推進する必要があります。
  • 小売業者は、脳の健康に配慮した商品カテゴリー(SKU)の取り扱いを優先するとともに、消費者の知識向上にも取り組んでください。
  • 消費者には、食品の透明性を要求し、脳の健康に良い選択肢を選び、人と地球の両方を支える持続可能な取り組みを支持することが求められます。
  • 保険会社や投資家は、脳の健康を長期的な価値を測る重要な指標として認識する必要があります。

脳の健康を重視した循環型バイオエコノミーは単なる理想ではなく、実現可能な目標です。20世紀に心臓の健康が産業構造を変革したように、21世紀においては脳の健康がその役割を担うことになるでしょう。

本研究の成果は同フォーラムの持続可能な開発インパクト会合で発表されました。同フォーラムの年次総会2026に向けた議論にも継続的に影響を与えることが見込まれます。

脳の健康は現代における人的資本の中核をなすものです。20世紀に心臓の健康が産業構造を変革したように、21世紀においては脳の健康がその役割を担うことになるでしょう。分子レベルから代謝、土壌から神経シナプスに至るまでの食料システムを意図的に設計し直すことで、疾病の減少、健康寿命の延長、より強靭な社会の構築が可能になります。同時に、農業を経済的に活力あるものに保ちつつ、環境的にも持続可能なものにしていくことができるのです。

本研究は、トム・スナイダー氏、アンディ・ムース氏、マイク・ジャフィー博士、ウマ・ナイドゥ博士、シェリー・カーソン博士、スコット・アングル博士、チャーリー・メッシーナ博士、ジャン=フランソワ・ミュレネ博士、ガブリエル・バックテル博士、エド・チャイルズ氏、マーシャル・シャフコウィッツ氏、アライナ・クライネ氏、サラ・ベンチア氏の協力を得て実施されました。

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