日本で実現する「長短金利操作付き財政刺激策」
10月2日、欧州中央銀行(ECB)は、9月の政策理事会で、マイナス金利の深掘りや資産買い入れの再開を軸とする包括的な緩和パッケージを決定した。写真は1日、アテネでイベントに参加したECBのドラギ総裁 Image: 2019年 ロイター/Costas Baltas
欧州中央銀行(ECB)は、9月の政策理事会で、マイナス金利の深掘りや資産買い入れの再開を軸とする包括的な緩和パッケージを決定した。マイナス金利の深掘りは広く予想されていたが、資産買い入れの再開は微妙な情勢にあった。国債を買い進むのが技術的にも難しくなりつつある中で、あえてそこに踏み込まざるをえないほど経済は悪くない。実際、資産買い入れについては、政策理事会で多くの反対意見があった模様だ。
それでも、物価情勢に対するドラギ総裁の危機感が勝ったということだろう。景気も良く、賃金の上昇が加速していた過去2年程度の間も、ECBの目標である「2%近く」のインフレは実現の見込みすら立たなかった。
ここで景気が悪化すれば、低インフレから抜け出せなくなる可能性が高まる。「日本化」を避けるために打てる手は全て打つべき、とドラギ総裁が考えたとしてもおかしくない。
そしてもう一つ、ドラギ総裁が今回の緩和に込めた渾身(こんしん)の思いは、これで金融政策はやり切った、あとは財政政策に任せる、というメッセージである。
ドラギ総裁は「ECBをいつまでも頼りにするなと政府に言いたいのか」と記者会見で問われて、「まさにその通り(definitely yes)」と力強く答えた。そして、同じ記者が、ヘリコプター・マネーと紙一重のようなブラックロック提案に水を向けると、ドラギ総裁は「そうしたイノベーションはよく吟味する必要がある」と述べ、言下に否定はしなかった。
話題のブラックロック・レポート
このブラックロック提案というのは、2017年まで米連邦準備理事会(FRB)の副議長を務め、今はブラックロック・インベストメント・インスティテュートの上級顧問でもあるスタンレー・フィッシャー氏ら、4人の著名エコノミストが連名で8月に発表した。
ペーパーのタイトルを和訳すれば「次の下降局面にどう向き合うか:非伝統的な金融政策から未曽有の政策協調へ」である。
枠組みとして最も重要な点は、2%物価目標を金融政策だけで実現するのではなく、政府と中央銀行の共同責任とすることにある。
すなわち、金利の引き下げが限界に達し、金融政策だけでは2%目標を実現できないと中央銀行が判断したら、その後は政府が国債を増発して財政支出や減税を行うのである。
一方で、財政規律が野放図に緩まないよう、必要な国債発行額は物価目標の観点から中央銀行が判断する。また、国債の需給が崩れて金利が上昇する場合は、中央銀行が国債を買い入れる。
これは概ね、日銀が現在実施しているイールドカーブ・コントロールに、国債増発を組み合わせたものと考えればよい。日銀の現政策の正式名称である「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」になぞらえれば、ブラックロック提案は「長短金利操作付き財政刺激策」とでも呼ぶべき金融と財政の一体化なのである。
この仕組みは、1)金融政策の限界を財政政策で自動的に補う、2)国債発行額は中央銀行が決めるので、過度なインフレには歯止めをかけられる、3)多額の国債発行が必要な場合でも金利上昇を招かない──などの点で優れている。特に2)は、従来のヘリコプター・マネー論の欠点を補う工夫と言える。
ただ、いくつかの根源的な疑問点も直ちに指摘できる。1)物価目標の実現にちょうどよい国債発行額など中央銀行でも正しく判断できないのではないか、2)財政支出や減税の規模を議会ではなく中央銀行が決めてしまうことは、ヘリコプター・マネーの欠点を防ぐ点では良いことだとしても、民主政治のあり方と整合しないのではないか、3)2%インフレという目標設定がそもそも正しいのか──などである。
3番目の点は、現在の金融政策にも当てはまる重要な論点だが、金融政策と財政政策を一体化させれば、良くも悪くも効果が強まると予想されるため、間違った目標に向けて政策をフル稼働させるという話になってしまわないかどうか、より慎重な吟味が必要である。
また日本が「手本」と言われるのか
冒頭述べたように、金融政策から財政政策へのスイッチングが今、最も熱い議論になっているのは欧州である。なぜ、熱い議論になるのかというと、その必要性が認識される一方で、実現のハードルも高いからである。
財政に最も余力があるドイツは、均衡財政主義の哲学を基本的に崩していない。ユーロ圏全体の財政ルールも、そのドイツの影響もあって、規律性・健全性に高いウエートが置かれている。もちろん、それは重要なことである。ユーロ圏が政府債務危機を経験してから10年も経っていない。
しかし、ここに来ての大きな変化は、金融政策が限界に達したという「不都合な真実」を踏まえなければならなくなった点である。財政の健全性を引き続き確保しながら、現状よりは景気循環に配慮した運営ができないか、微妙なバランスを探ることになる。
その困難さを考えると、欧州の財政運営が短期間で大きく変わるとは思いにくい。次の景気後退が来ても、十分な対応は難しいだろう。
金融政策が限界に達しているのは、日本も同じだ。日銀が追加緩和に踏み切ったところで、経済や物価への助けにはならない。一時的に為替や株価に影響があるかもしれないという程度の話だ。
その影響が好影響なのか悪影響なのかさえ、よくわからない。日銀の追加緩和手段と言われているものの中に、効果が副作用を確実に上回る手段など何一つ残っていないのである。
それなのに、日本では財政政策で景気を支えるべきだ、という議論はほとんど盛り上がっていない。それは、景気の先行きに心配がないからではない。日本では、景気が心配になった場合の財政出動は、あまりにも当たり前すぎて議論にならないのである。
実際、安倍晋三首相は既に「リスクが顕在化する場合には、機動的なマクロ経済政策を躊躇(ちゅうちょ)なく実行していく」と述べている。
そして、日銀は既にイールドカーブ・コントロールを行っているので、政府は金利上昇をいっさい心配せずにいくらでも国債を増発できる。日銀も、今は長期金利が下がり過ぎることで悩んでいるので、国債増発は歓迎だろう。
国債需給から金利に上昇圧力がかかれば、日銀は国債買い入れを増やすことができ、それを追加緩和だと市場が美しく誤解してくれる可能性もある。日本では、景気悪化のリスクが高まれば、ブラックロックに言われるまでもなく、政府と日銀による「長短金利操作付き財政刺激策」が自動的に実現するのである。
今年前半、現代貨幣理論(MMT)が一時的に盛り上がった際、米国のMMT論者から、日本はMMTの成功例だと言われた。過去20年以上にわたって政府債務は膨張を続けたが、インフレも金利上昇も全く起こらなかったからである。次は、日本の金融財政政策がブラックロック提案の成功例、と言われることになるかもしれない。
日本では現状、政府債務よりも、膨大な金融資産の運用難の方が深刻な問題である。しかも、日銀は2%インフレになるまで金融緩和をやめる気がないのだから、超低金利が続くのは間違いない。これらを踏まえれば、政府債務は今しばらく何の問題もなく拡大できるだろう。
しかし、長期的には日本の財政は持続可能でない、という見方が専門家の多数意見である事実も重い。財政の景気対応力をどこまで高められるかが論点の欧州とは逆に、日本の場合、柔軟な景気対応力を長期的な健全性とどうバランスさせるのか、それはそれで熱い議論が本当は必要なのではないか。
*門間一夫氏は、みずほ総合研究所のエグゼクティブエコノミスト。1981年に東京大学経済学部を卒業後、日本銀行に入行。86年に米ウォートンビジネススクール留学。調査統計局長、企画局長を経て、12年に日銀理事(13年3月まで金融政策担当、以降、国際担当)を歴任。16年に日銀を退職し現職。*門間一夫氏は、みずほ総合研究所のエグゼクティブエコノミスト。1981年に東京大学経済学部を卒業後、日本銀行に入行。86年に米ウォートンビジネススクール留学。調査統計局長、企画局長を経て、12年に日銀理事(13年3月まで金融政策担当、以降、国際担当)を歴任。16年に日銀を退職し現職。
*この記事は、Reutersのコラムを転載したものです。
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