スーパーバグ、コロナウイルス――次のパンデミックを防ぐために必要なこと

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これはマット・マッカーシー博士の著書『スーパーバグ:感染症流行を食い止める闘い』からの抜粋です。来週、同博士とのビデオQ&Aを収録します。ぜひ、著者に質問を寄せるために、世界経済フォーラム・ブッククラブにご参加ください。

夜明けを少し過ぎた頃、腰のあたりでポケベルが鳴るのを感じた。歩みを止め、コーヒーを置いて画面を見ると、救急外来に呼ばれていた。2014年、10月にしては季節外れの暖かい日だった。届いたメッセージに、不安と高揚が一気に押し寄せた。11年間の研修を経て、マンハッタンのアッパー・イースト・サイドにある三次医療機関、ニューヨーク・プレスビテリアン病院の常勤医として働き始めたばかりだった。救急外来のチームも原因を突き止められずにいた、不可解な感染症の患者が到着したところだった。

ほどなくして、私は医学生や研修医たち、そして新たな患者の前に立っていた。担架の上で身をよじる若い男性は、クイーンズ在住のアフリカ系アメリカ人の自動車整備士で、ジャクソンという名前だった。濃い緑色の目をしており、首には小さなマルタ十字のタトゥーがあった。彼は銃撃され、まだ左脚に残っている弾丸の周囲の広い範囲が感染しているように見えた。ジャクソンの膝のすぐ上にある、ぎざぎざに裂けた銃創をのぞき込んでいると、学生が紙を差し出した。検査結果の印刷物を見て、私は目を見張った。患者は、手持ちの抗生物質のうちコリスチンを除くすべてに耐性を持つ、動きが速く攻撃性の高い新種の細菌に感染していたのだ。

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私はこれまでの医師人生で、その薬を使ったのは数回だけで、良い結果が出たことは一度もなかった。あまりにも毒性が強かったからだ。コリスチンは細菌を殺せるかもしれないが、その過程で腎臓やほかの内臓を破壊し、多くの患者に透析か死かという二つの選択肢しか残さない。少し前までは効果を発揮していた抗生物質が、今や役に立たなくなっていた。この若者の脚を救いたいなら、コリスチンを使うしかなかった。私は首を振り、学生に紙を返した。「まずいな」。米国では、抗生物質耐性菌による感染症で毎年2万人以上が亡くなっており、治療薬の開発パイプラインはいつ枯渇してもおかしくない状態にある。私はしゃがんでジャクソンと目線を合わせ、言葉を慎重に選んだ。「感染症にかかっています」と私は言った。「重い感染症です」


彼の視線は私から、背後に馬蹄形に並ぶ男女へと素早く移った。「どれくらい重いんですか?」彼は小さく息を吸い、私が何か言うのを待って、そのまま息を止めた。まるで砂時計がひっくり返されたようだった。突然、狭い部屋がとても暑く感じられた。私は白衣を脱ぎ、袖をまくった。「かなり重いです」


彼は眉を上げた。私は反射的に手を握ろうと腕を伸ばしたが、思いとどまった。防護具なしでこの患者に触れてはいけなかった。私はチームのほうを向いた。「全員、外へ。今すぐ」。ドアを指さした。「すぐ戻る」。彼の病室のすぐ外で、使い捨ての黄色いガウンと紫色のニトリル手袋を身につけ、一人でベッドサイドに戻った。「治療はとても難しい」と私は言った。「でも、不可能ではない」。ジャクソンは今や過呼吸になりそうなほど速く息をしており、額には汗が浮かんでいた。弾丸が入った場所から数センチ上の太ももをつかんでいる。その指先の下では、細菌が急速に増殖し、筋肉と骨をむさぼっていた。「脚を失うんですか?」と彼は尋ねた。「この脚を?」

正直なところ、私にも分からなかった。感染を破壊できる可能性があるのはコリスチンだけだったが、保証はなかった。私が最後にコリスチンを処方した患者は、投与を受けてから12時間後に亡くなった。その前の患者は、投与中に亡くなった。「そうはならないと思います」と、できる限り自信を込めて言った。汗ばんだ彼の手を握り、妻や子どもたちにこの症例の複雑な事情をどう説明するか考えた。彼と同じ部屋にいるだけでも、家族には特別な予防策が必要になる。「一緒に乗り越えましょう」と、目に涙が浮かび始めた彼に言った。「必ず乗り越えます」


病室を出てガウンと手袋を脱ぎ、チームに指示した。「コリスチンを始めて」。研修医の一人は顔をしかめながら、急いでコンピューターへ向かい、処方を入力した。その後、私たちは念入りに手を洗い、次の患者のもとへ向かった。


回診を終えると、病院内を歩いて、研究仲間であるトム・ウォルシュのオフィスへ向かった。彼は移植腫瘍感染症プログラムの責任者だ。ウォルシュは、ポテトチップのように青白く痩せた、ひょろりとした男だ。奥まった目に、温かな笑顔、そして意外なほど力強い握手をする。控えめな顔立ちは、私自身とは際立った対照をなしていた。私は額が広く、肩幅も広い。顔に対して少し大きすぎる鼻もしている。


私たちは奇妙な取り合わせだ。

マット・マッカーシー博士Image: ニーナ・スービン

ウォルシュは、世界有数の希少感染症の専門家だ。患者の診療をしていないときは、治療に使う新しい抗生物質を開発している。私が医学部を卒業して数年後に知り合った。初めて会ったときに彼が描いてくれた美しい生化学構造式は、今も手元にある。それ以来、ずっと一緒に仕事をしてきた。2009年、彼は米国立衛生研究所(NIH)を離れた。NIHは、生物医学研究と疾病予防を担う連邦機関だ。ウォルシュは、抗生物質を開発するための大規模な研究コンソーシアムを連れてきた。試験管、動物、人間を対象に実験を行う、医師と科学者からなる国際チームである。これほどの規模の研究所を統括する研究者は、世界でもごくわずかだ。彼は感染症、腫瘍学、小児科、内科、病理学、微生物学、真菌学の専門家でもある。彼ほど幅広い知識を持つ人はいない。当然ながら、大手製薬会社は彼との協業を熱望している。しかし、トム・ウォルシュは自分の流儀を貫く。かつて彼が、5,000万ドル規模の医薬品開発計画を、かろうじて聞き取れる三つの言葉で退けるのを見たことがある。「進めるべきではない」。


あの10月の朝、彼は興奮した様子で私に電話をかけてきた。大手製薬会社アラガンが、臨床試験を実施してほしいというのだ。臨床試験とは、未承認薬を用いた大規模な人間対象の実験である。ダブリンに本社を置く同社は、有望な新分子を開発しており、抗生物質耐性菌、いわゆるスーパーバグに感染した人間に対して、その薬が安全なだけでなく有効であることを示してほしいと考えていた。スーパーバグは、私たちにとって絶え間ない問題になっていた。1960年代以前にはほとんど存在せず、1990年代までは世界でも散発的にしか見られなかった。しかし、医師による不適切な処方と、商業的な農業や畜産における抗生物質の無差別な使用が重なり、細菌は私たちが頼りにしていた有効な薬の備蓄にさらされた。そして微生物は、それらを無力化する方法を見つけ出した。スーパーバグは今や至るところにいた。クイーンズの流れ弾にさえ付着していた。そして、人間の致死的な感染症の主要な原因となっていた。「それで、何の薬ですか?」オフィスに入るなり、私はウォルシュに尋ねた。彼は散らかった机から飛び起き、マホガニーの壁を隙間なく覆う額入りの卒業証書や賞状の前を急いで通り、私を迎えた。「薬の名前は?」


ウォルシュは疲れ切っているように見えた。普段から一晩に3時間しか眠らない人だ。患者を治療する新しい抗生物質を必死に探す、危機的な状況にあったのだ。ほんの数年前なら治療できた感染症に、人々が次々と屈していく姿を見るのにも慣れてしまっていた。ウォルシュは私と握手すると、ぱっと表情を明るくした。「ダルババンシン」と彼は静かに言った。


救急外来での緊迫したやり取りのせいで、指と手首はまだ湿っていた。カーキ色のズボンで拭い、彼の机の隣にある椅子に腰を下ろした。「冗談でしょう」
彼は厚手のマニラ紙のフォルダーを私に手渡した。「本当だ」


その言葉だけで――ダルババンシン――14年前、将来ノーベル賞を受賞するトム・スタイツの研究室で過ごした学部生時代へと、私は引き戻された。生物物理学者のスタイツは、生命を構成する原子の仕組みを探る科学分野、結晶学の「マイケル・ジョーダン」とキャンパスで呼ばれていた。彼は、ほぼすべての生物に不可欠な機能であるタンパク質合成を研究し、その発見はさまざまな新薬につながった。ダルババンシンに関連する抗生物質もいくつかあり、短く「ダルバ」と呼ばれていた。トム・ウォルシュと同じく、彼は他の人には見えない形で医薬品開発の可能性を見通す先見の明を持っていた。


スタイツ博士とは、息子のジョンを通じて知り合った。ジョンは、イェール大学野球部で私のチームメートだった。彼と私は投手で、生化学を専攻していた。また、二人とも大学卒業後にプロ野球選手としてドラフト指名を受けた。ジョンは2001年のメジャーリーグ・ベースボールのドラフトでミルウォーキー・ブルワーズから3巡目に指名され、私は翌年、アナハイム・エンゼルスから21巡目に指名された。しばらくの間、私たちはメジャーリーグで活躍する運命にあると思っていた。


その1年後、ユタ州プロボでマイナーリーグ野球を経験した私は、エンゼルスから解雇され、野球のグローブを聴診器に持ち替えた。2003年秋にハーバード医科大学へ入学し、ジョンが野球を辞めてイェール大学ロースクールに進んだ頃、ボストンへ移った。授業が始まって数週間後、ポール・ファーマーという若くてカリスマ性のある感染症医の講演に出席した。彼は世界的な非営利団体パートナーズ・イン・ヘルスの共同創設者だった。残りの人生で何をしたいのか、私はすぐに分かった。感染症を研究し、それを克服する方法を学ぶのだ。


「さあ、始めよう」とウォルシュは言い、物思いにふける私を現実に引き戻した。


これがすべての変化の瞬間だった。薬剤耐性を傍観する立場から、拡大するスーパーバグの脅威を食い止める競争に、自ら参加する立場へと変わったのだ。しかし、臨床試験という長く曲がりくねった道のりを始める前に、何世代にもわたる研究の失敗と目を覆うような倫理違反から得られた痛ましい教訓を学び、トム・スタイツやトム・ウォルシュらの仕事を支える、目覚ましい科学の進歩について理解する必要があった。最終的に私を、恐怖におびえるクイーンズの自動車整備士の病室へと導いたこの驚くべき物語は、100年前の別の銃創から始まる。1914年10月、物静かな軍医が何か異変に気づき、ある予感を抱いたのだ。ジャクソンの感染症の謎を解く手がかりが散りばめられた冒険が、そこから始まる。

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