グローバリゼーションへの不満は、協力するのではなく一方的な行動によって政策目標を進めようとする誘惑の大きな要因である。経済のグローバリゼーションが世界の繁栄と多様性に大きな純利益をもたらした一方で、ここ数十年、先進国では多くの人々の実質所得が停滞し、あるいは雇用の質が低下してきた。また、働いているにもかかわらず貧困に陥る人が増える一方で、富裕層や権力を持つ人々が富のより大きな割合を手にしている。
さらに、租税回避や脱税、海外移転や外国との競争に伴う地域の荒廃、移民の急増、市場集中の進行、世界市場を支配する企業の台頭など、グローバリゼーションのさまざまな側面への不満が、金と権力を持つ者に有利になるよう制度が仕組まれているという疑念を生んだ。その結果、世界の多くの地域で政府への信頼が損なわれ、保護主義、ポピュリズム、一国主義が勢いづいている。
第二次世界大戦後に築かれた多国間の枠組みは、経済の開放性と相互連結性の高まりを支えてきた。しかし、こうした枠組みは、グローバリゼーションがもたらす課題に十分な速さや効果をもって対応できないことがしばしばあった。また、多国間の枠組みは不透明で遅いと感じている人も多い。

国際的なルールに基づく秩序への最近の批判には、根拠のないものもある。しかし、秩序への挑戦は現実のものだ。改善の余地がないふりをするのは賢明ではない。
多国間の解決策に背を向けるのは、悲劇的な過ちとなる
開放性と協力の原則に基づいて設立された国際機関の長を務める私も、こうした不満はよく理解できる。経済のグローバリゼーションの進み方にも、国際機関がそれを促進してきた方法にも、不備があったことを認める。とりわけ、国際的なルールや制度の適応が遅れていることは、私たちが取り組んでいる重要な課題だ。数十年前には多国間の枠組みの進み方はそれほど問題ではなかったかもしれない。しかし、国々の結びつきが深まり、変化の速度が増した今、それは足かせとなっている。
しかし、主要な国際機関がそもそもなぜ設立され、何を実現してきたのかを忘れてはならない。第二次世界大戦に至った戦間期の苦い経験は、国際協力の欠如が経済不況や武力紛争を引き起こしうることを示した。ある意味で、多国間主義の(計り知れない)成功は、起きなかった戦争や失われなかった命の数によって測るべきだ。より狭い経済的な観点から見ても、戦後の国際体制がもたらしたものを忘れてはならない。歴史上、最も急速かつ持続的な世界経済成長が70年にわたり続き、この30年間だけでも何億人もの人々が貧困から抜け出した。
国際協力はほかにも多くの成果をもたらしてきた。世界保健機関(WHO)が主導した予防接種キャンペーンによる天然痘の撲滅、モントリオール議定書によるオゾン層の損傷の回復、そして近年のOECD/G20の税源浸食と利益移転(BEPS)プロジェクトや税務情報の自動交換が挙げられる。これらは、租税回避や脱税に正面から対処する、より公正な国際税制の実現につながっている。
多国間主義は今こそ必要だ
第二次世界大戦後に多国間機関の発展を支えた理由は、今日もすべて当てはまる。国際協力は、対立を平和的に解決する場、共通のルールに合意するための基盤、国際的な流れをより適切に管理する仕組み、そして各国が互いに学べるよう、考え方や経験、実践を交換する経路を提供する。
こうした長年の根拠に加え、経済課題に対する多国間の解決策を求めるべき新たな理由もある。
とりわけ、各国で進むデジタル変革は国境で止まらない。デジタル企業は「生まれながらにグローバル」であり、最大手企業は国内だけでなく世界の市場を支配している。こうした事実は、各国経済の相互連結性の高まりに新たな側面を加える。各国が調整なしに定めるルールや政策では、目標を効果的に達成できないことが示唆される。
また、喫緊の課題である気候変動は、おそらく「地球規模の共有資源」の最も重要な例であり、これまでに合意された協調行動は歓迎すべきものの、十分ではない。さらなる意欲と、合意を実行に移す一層の取り組みが必要であり、それが実現する可能性が高いのは多国間のアプローチを通じてだ。
したがって、国際協力は今、かつてないほど重要だ。しかし、人々の現在の不満や批判に応える形に変えていかなければならない。
国際体制の機能を改善する必要がある……
OECDは、多国間の枠組みや機関を改善する必要性を重く受け止めてきた。フランスが議長を務めた2018年の閣僚理事会では、多国間主義をより責任ある、効果的で包摂的なものへと再構築することを議題の中心に据えた。多国間体制が疑問視されるなか、各国がそこから得ている多くの恩恵と、国境の内側に退くことの危険性を世界に改めて示すとともに、より広く共有される利益をもたらし、世界経済の暗い側面により適切に対処できるよう、体制を改革する方法にも焦点を当てた。

これを実現するには、多国間主義を二つの点でより包摂的にする必要があると考える。第一に、より幅広い国々に影響力を与え、市民社会を含む利害関係者との協議をより徹底すること。第二に、世界経済体制がもたらす成長が、国々の間でも各国内でも包摂的なものとなるよう、より注意を払うことだ。国際的な政策構想も国内の政策構想もすべて、人々の幸福を広く高めることを目標とすべきである。
OECDにとって、世界経済で重要性を増す地域や国々に適切な発言権を与えるという課題の一つは、加盟国を拡大することだ。これは、私が事務総長を務める間の優先課題だった。2006年以降、加盟国は30か国から37か国に増えた。
しかし、さらに重要なのは、まだOECD加盟国になる準備ができているとは考えていない大規模な新興経済国と関わることだ。私たちは、法人課税、過剰な鉄鋼生産能力、責任ある企業行動、外国公務員への贈賄といった難しい課題について、これらの国々が協力の枠組みに加わるよう集中的に取り組んできた。また、これらの国々はOECDの相互審査プロセスにも参加するようになってきている。それは各国の利益となるとともに、私たちの議論の世界的な重要性を高めている。ますます多極化する世界で、幅広い分野にわたる国際基準を策定し実施するという国際機関の課題は、容易になるどころか難しさを増している。それでも私たちは、その任に応えなければならない。
……現実を見据え、実践的でありながら
国際協力の改善は喫緊の課題だが、国家主権、民主的正当性、効果、意思決定の速さといった要素の間には、常にトレードオフがあることを認めるのも同じく重要だ。とりわけ、民主的な承認と多国間行動の程度の間には、緊張が生じる傾向がある。多国間の取り組みに、国民への諮問や承認を得る仕組みをさらに組み込むことは可能かもしれない。しかし、当面、民主的なプロセスが主に行われるのは国や地方のレベルだろう。
こうした避けがたい緊張を認識しつつ、結果が努力や費用に見合うかを問い、現実的に考えるべきだ。多国間主義がもたらした成果と、それがなかった場合の結果をざっと比べるだけでも、多国間主義が最善の、そしておそらく唯一の進むべき道であることを思い起こすには十分だろう。


