銀行の顧客サービスがどれほど悪ければ、別の銀行に乗り換えるでしょうか。待合室で質の悪い雑誌を読みながら、どれほど長く待たされれば、新しい医師を探すでしょうか。医療保険プランを乗り換える場合はどうでしょうか。
経済学の基礎には、人々は入手できる情報に基づいて合理的な選択をするという前提があります。それは正しいかもしれませんが、意思決定が複雑になるほど、私たちはそれを避けたいと思うようになります。経済行動に関する文献では、この現象は消費者の 慣性として知られています。
「 Stigler and Becker(1977) が述べるように、『意思決定にはコストがかかる。それは単に、意思決定という行為を不快に感じる人がいるからだけではない。決定を下すには情報が必要であり、その情報を分析しなければならない。情報を探し、新たな状況に適用するコストを考えると、環境の中程度または一時的な変化に対処するには、効用を最大化するように見える決定を全面的に下すよりも、習慣に従うほうが効率的な場合が多い』(82ページ)。
慣性は現状維持バイアスの考え方に関係しています。これは、意思決定に直面した個人は、変更を決めるよりも現状(何もしないこと)にとどまり、現在の選択を維持することが多いという考えです(Samuelson and Zeckhauser(1988))。
こうした概念は、次のことを示した研究で広く実証されています。従業員が自動的に加入させられる場合、401(k)退職貯蓄プランへの 加入率は大幅に高くなる こと、また臓器提供の登録を「オプトアウト方式 」にし、「オプトイン方式」にする場合と比べて、提供が大幅に増えることです。どちらの場合も、人々は初期設定の選択肢を選びました。
この研究は現在、米国の医療保険制度改革法(オバマケア)に基づいて提供される保険プランを対象に、改めて検討されています。 New York Timesの記事によると、慣性は保険において、他の多くの市場よりも強く働きます。医療保険プランを選ぶことは、あまりにも複雑で不愉快だと感じられるためです。また、医療保険を変更する際には現実的なトレードオフもあります。たとえば、保険料が安くなっても、お気に入りの医師にかかれなくなるかもしれません。
医療保険制度改革法の下では、個人はオンラインで民間保険プランを比較・購入でき、保険会社は価格や特典で競い合います。希望すれば、毎年プランを変更できます。変更しなければ、初期設定の自動更新によって現在のプランが継続されます。保険料の安い新プランや、免責額あるいは自己負担額の低いプランなど、毎年比較検討する理由は数多くあるにもかかわらず、ほとんどの人は利用可能な選択肢を確認するためにACAのウェブサイトへ戻りません。代わりに、多くの人は慣性の法則に従い、すでに加入しているプランを継続します。
これは保険市場全体にとって悪い知らせかもしれません。自動更新が多いと、保険会社が競争力のある保険料を提示する動機にはなりません。むしろ、サイトを初めて訪れた個人を獲得し、その後、毎年徐々に費用を引き上げる動機になります。おそらく人々は加入時には最も価格の安いプランを探しますが、その後数年間はそのことをすっかり忘れてしまうからです。
これを受けて、オバマ政権は、初期設定を 変更する案 を打ち出しました。現在のプランを維持するのではなく、個人をより安価なプランへ自動的に移行させるというものです。これは慣性への対策になりますが、注意を払っていない間にプランが変更されたと知り、驚く人もいるかもしれません。
それでは、もっと透明性の高い解決策はほかにあるのでしょうか。 James Surowieckiは『The New Yorker』の記事 で、「より多くの情報が出発点になる」と述べています。さらにSurowieckiは、バークレー校の経済学者Ben Handelが実施した研究を紹介しています。その研究では、「十分な情報を得た」消費者は、情報が不足していた消費者に比べて数千ドルを節約できることが分かりました。したがって、保険プランを個人に合わせて順位付けして提示すれば、プランをすばやく簡単に比較でき、複雑さの一部が取り除かれるため、プランを変更する人が出てくるかもしれません。この解決策は保険会社には歓迎されないでしょうが、納税者にとって制度の費用を引き下げることになります。
目の前の決定が単純であれば、人々は簡単かつすばやく考えを変えられます。しかし、多くの情報を精査する必要があったり、多大な労力や時間がかかったりする決定では、何かに促されない限り、考えを変えることはありません。したがって重要なのは、初期設定だけではなく、理解しやすい情報を提供することです。
この記事は、当初、 世界銀行のブログ「People, Spaces, Deliberation」に掲載されました。掲載は、世界経済フォーラムがその見解を支持することを意味しません。
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著者:Roxanne Bauerは、世界銀行の対外・企業関係局、業務コミュニケーション部門(ECROC)のコンサルタントです。
画像:2013年10月4日、ミシシッピ州ジャクソンにあるミシシッピ大学医療センターの外傷センターで、看護師が写真撮影に応じる。REUTERS/Jonathan Bachman。



