豊かな国で貧しく暮らすのと、貧しい国で豊かに暮らすのは、どちらが良いのか?

The symbol of Justice, with sword and the scales, is seen in a lawyers cabinet in Nice, southeastern France, October 9, 2009. REUTERS/Eric Gaillard (FRANCE CRIME LAW) - PM1E5A90WJ601
"A poor person in a rich country is more than twice as well off as a rich person in a poor country."Image: REUTERS/Eric Gaillard (FRANCE CRIME LAW) - PM1E5A90WJ601
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ケンブリッジ発 - 毎年秋の授業の初めに、私は学生たちに次の問いを投げかけて、からかうのを習慣にしている。「豊かな国で貧しく暮らすのと、貧しい国で豊かに暮らすのは、どちらが良いのか?」この問いは通常、多くの議論を呼ぶが、結論は出ない。しかし、明確な答えが得られる、より構造化され限定された形の問いを考えることはできる。

議論の焦点を所得に絞り、人々が気にするのは自分自身の消費水準のみであると仮定しよう(不平等やその他の社会的条件は考慮しない)。「豊か」と「貧しい」とは、それぞれ所得分布の上位5%と下位5%に属する人々を指す。典型的な富裕国では、人口の最貧困層5%が国民所得の約1%を受け取っている。貧困国についてのデータはずっと乏しいが、そこでは最富裕層5%が国民所得の25%を受け取っていると仮定しても、大きく的を外すことはないだろう。

同様に、豊かな国と貧しい国とは、一人当たり一人当たり所得で順位付けした全世界の国のうち、上位5%と下位5%に属する国であると仮定しよう。典型的な貧困国(リベリアやニジェールなど)では、その所得は約1,000ドルであり、典型的な富裕国(スイスやノルウェーなど)の65,000ドルと比べられる。(これらの所得は、直接比較できるよう、生計費や購買力の差を調整したものである。)

ここで計算すると、貧困国の富裕層の所得は5,000ドル(1,000ドル x 0.25 x 20)であるのに対し、富裕国の貧困層の所得は13,000ドル(65,000ドル x 0.01 x 20)である。物質的な生活水準で測ると、富裕国の貧困層は、貧困国の富裕層の2倍以上の豊かさを享受している。

この結果は学生たちを驚かせる。学生の大半は逆の結果を予想している。貧困国の裕福な人々を思い浮かべるとき、彼らは大邸宅に住み、大勢の使用人と高級車の車列を抱える大富豪を想像するのだ。しかし、そうした人々が確かに存在するとしても、非常に貧しい国の上位5%の代表的人物は、おそらく中堅の政府官僚であろう。

この比較の主旨は、国内の不平等に比べて、国家間の所得格差が重要であることを強調する点にある。産業革命以前の近代経済成長の夜明けにおいては、世界の不平等はほぼ例外なく国内の不平等に由来していた。欧州と貧しい地域との間の所得格差は小さかった。しかし、19世紀に西洋が発展するにつれ、世界経済は工業の中核と一次産品生産の周辺地域との間で「大分岐」を経験した。戦後の大部分の期間においては、富裕国と貧困国の間の所得格差が、世界の不平等の大部分を占めていた。

1980年代後半以降、2つの傾向がこの構図を変え始めた。第一に、中国を筆頭に、後れを取っていた多くの地域が、世界の富裕国を大きく上回る速さで経済成長を遂げ始めた。歴史上初めて、発展途上国の一般的な住民は、欧州や北米の同等の人々よりも速いペースで豊かになっていた。

第二に、特に労働市場の規制が弱く、社会的保護が乏しい国々を中心に、多くの先進国で不平等が拡大し始めた。米国における不平等の拡大は非常に急激であり、もはや米国の「貧困層」の生活水準が、最貧困国の「富裕層」(上記の定義による)よりも高いかどうかは明らかではない。

これら2つの傾向は、世界全体の不平等に対して相反する方向に作用した。一方は不平等を縮小させ、他方は拡大させた。しかし、両者とも、全体に占める国内の不平等の割合を押し上げており、19世紀以来続いてきた途切れのない傾向を反転させている。

データが不完全であるため、今日の世界経済における国内の不平等と国家間の不平等の各々の割合について、確かなことは言えない。しかし、World Inequality Database(世界不平等データベース)のデータに基づく未発表の論文において、パリ経済学院のルーカス・シャンセルは、現在の世界の不平等の最大4分の3が国内の不平等に起因する可能性があると推計している。フランスの他の2人の経済学者、フランソワ・ブルギニョンとクリスチャン・モリソンによる過去の推計は、国内の不平等が19世紀後半以来これほど深刻になったことはないことを示唆している。

これらの推計が正しいとすれば、世界経済は重要な閾値を越えたことになり、政策の優先順位を再検討する必要があることを示唆している。長い間、私のような経済学者は、世界の所得格差を縮小する最も効果的な方法は、低所得国の経済成長を加速させることだと世界に訴えてきた。富裕国のコスモポリタン、すなわち典型的には裕福で熟練した専門職の人々は、国内の不平等に不満を訴える人々の懸念を軽視する際、道徳的に高い立場にあると主張することができた。

しかし、西洋全体に広がるポピュリスト的ナショナリズムの台頭は、部分的には緊張関係によって助長されてきた。すなわち、富裕国における公平性の目標と、貧困国における生活水準の向上の目標との間の緊張関係である。先進国の低所得国との貿易拡大は、国内の賃金格差の一因となってきた。そして、世界のその他の地域の所得を引き上げる最善の方法は、おそらく貧困国から富裕国の労働市場へ大量の労働者が流入することを認めることであろう。しかし、それは教育水準が低く、賃金の低い富裕国の労働者にとって良いニュースではないだろう。

それでもなお、国内の公平性を重視する先進国の政策は、国際貿易においてさえ、世界の貧困層に害を及ぼすとは限らない。労働市場の底辺の所得を引き上げ、経済的不安を軽減する経済政策は、国内の公平性にとっても、貧困経済に発展の機会を与える健全な世界経済の維持にとっても、いずれも望ましいものである。

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