インターネット上のセキュリティとプライバシーのバランスをどう取るべきか?

インターネット上のセキュリティとプライバシーのバランスをどう取るべきか?
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エドワード・スノーデンが、国家安全保障局(NSA)による世界各地の市民や指導者へのスパイ行為を暴露して以来、米国では国家安全保障と個人のプライバシーおよび自由の適切なバランスをめぐる議論が続いている。最近では、この議論は暗号化に焦点を当てている。すなわち、テクノロジー企業が、意図された受信者以外には、政府でさえ読めないほど強固にユーザーのメッセージを暗号化するプログラムを開発できるようにすべきか、という問題だ。世界中の政府と市民が注目すべき議論である。

当然ながら、米国政府の国家安全保障担当者は、米国のテクノロジー企業による完全な暗号化に反対している。適切な当局が侵入できる「バックドア」、つまり侵入を可能にするコードがなければ、国の安全性が低下すると主張する。ソフトウェア技術者は、バックドアをセキュリティを意図的に弱める「脆弱性」と呼ぶ。自動車メーカーが欠陥のあるエンジンを求められた場合と同じように、バックドアの要求を受け止めている。

テクノロジー企業と市民社会組織からなる大規模な連合は最近、バックドアに反対する 書簡 をバラク・オバマ大統領に送った。「すべての米国人のサイバーセキュリティと国の経済安全保障を損なう」だけでなく、「米国で暗号化製品を弱体化させる新たな脆弱性を導入すれば、世界中の人権と情報セキュリティも損なわれる」と署名者らは主張した。

暗号化を支持する人々が認識しているのは、「米国企業が、求めに応じて顧客のデータや端末のロックを解除できる能力を維持すれば、米国以外の政府も同じアクセスを要求し、自国企業にも同じ機能を求めるよう勢いづく」ということだ。米国政府自身がそのような政策を取っている以上、異議を唱えることはできない。その結果、「最も抑圧的、あるいは危険な政権でさえ悪用できる脆弱性が蔓延した情報環境」が生まれるだろう。

危機にさらされているのは、「グローバルなデジタル・エコシステム」の健全性にほかならない。この書簡に署名したテクノロジー企業は、米国で設立された企業であっても、世界で活動するプレーヤーであり、世界に対する責任を負うことを理解している。また、より利己的な観点から、外国の消費者が米国のソーシャルメディアや検索エンジンを利用すれば米国の情報機関の監視にさらされると考えるようになれば、他のプロバイダーに乗り換えることも理解している。

多くの外国政府は、「技術主権」をいかに確保し、守るかに焦点を当ててきた。情報は国境を越えるかもしれないが、サーバーやケーブルには今も物理的な所在地がある。

私が率いるニュー・アメリカのオープン・テクノロジー研究所は、ドイツのグローバル公共政策研究所(GPPI)と協力し、「デジタル時代の安全と自由」をめぐる一連の 大西洋横断対話 を行っている。 初期報告書 では、海底ケーブルの新設、暗号化、国内でのデータ保存、国内産業の支援、国際行動規範、データ保護法などを含むテーマについて、欧州の十数カ国以上の政府による18の提案を特定している。

これらの提案の多くは、実際には目標を達成しないだろう。しかし、整理すべき最も重要な問題は、実現可能性よりも、国家的および世界的な視点から見た望ましさに関わる。米国企業の場合と同様、国家および世界の各レベルで、企業、経済、公共の利益を区別することが重要だ。世界中の市民が、これを正しく進めることに利害を有している。

まず、デジタル保護主義は、健康、安全、社会的連帯のための例外はあるものの、他のあらゆる形態の保護主義と同様に疑ってかかるべきだ。「技術主権」は、自国製のテクノロジー製品だけを市民に購入させる主張の口実になりかねない。

さらに、規則は世界的に策定し、国内で実施すべきである。インターネットは本質的に、国家主体と非国家主体の双方を市民とする一つの国だ。自由で開かれ、誰もが利用できるこの国を築き、普遍的な人権を促進し保護することが、私たちの課題である。

OECDは2011年に優れた 「インターネット政策策定の原則」 を採択した。原則1は政策立案者に「情報の世界的な自由な流通を促進し、保護する」ことを求める。原則2は「インターネットの開放性、分散性、相互接続性」を促進するよう求める。原則8はインターネット全体にわたる「透明性、公正な手続き、説明責任」を義務づける。原則11は「創造性とイノベーション」を促進し、原則13は「インターネットのセキュリティを促進するための協力を奨励する」。

他の国々や地域機関も、同様の指針を打ち出している。重要なのは具体的な文言や内容そのものより、世界各地の政策立案者にとってこうした原則が必要だという認識である。

この観点から見ると、「技術主権」が有益な概念なのか有害な概念なのかは明らかでない。この言葉はデジタル空間を、領空や領海のように、物理的領土から何らかの形で派生する、あるいはそれに隣接するもののように思わせる。ニュー・アメリカとGPPIの報告書の題名は「技術主権――論点を見失っているのか?」である。著者らは、「データのプライバシーとセキュリティは、データが物理的にどこに保存または送信されるかではなく、どのように保存・送信されるかに主に左右される」と結論づけている。少なくともデータに関しては、私たちは領土後の時代にいる。

主権を領土から切り離すのは難しい。とりわけスノーデンが、一国の技術的な触手がどこまで届くのかを世界に示した後ではなおさらだ。それでも、より大きな教訓は、デジタル世界において国家安全保障と世界の安全保障を区別することは、不可能であるだけでなく、深刻な逆効果をもたらしかねないということだ。国家安全保障にはプライバシーと表現の自由の保護も含まれなければならないと理解する企業、市民活動家、そしてすべての人々による新たな連携と、新しい地図や考え方が必要だ。また、政府と市民の双方を、新しく、心躍る、危険で、いまだ大部分が未開拓の世界に巻き込む新たな方法も必要である。

この記事は プロジェクト・シンジケートとの協力により掲載されています。掲載は、世界経済フォーラムが見解を支持することを意味するものではありません。

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著者:アンヌ=マリー・スローターは、ニュー・アメリカ財団の会長兼CEO、プリンストン大学の政治学・国際関係学名誉教授であり、世界経済フォーラムのガバナンスの未来に関するグローバル・アジェンダ・カウンシルのメンバーである。

画像:2012年1月24日、ワルシャワのサーバールームで撮影されたインターネットケーブルの写真。REUTERS/Kacper Pempel

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