暴力的過激主義:宗教は問題なのか、それとも解決策なのか?

Pope Francis poses for a selfie with a member of the inter-religious community during the weekly audience in Saint Peter's Square at the Vatican October 28, 2015. REUTERS/Stefano Rellandini - RTX1TLBL
Fostering tolerance is vital to combat violence fought in the name of religionImage: REUTERS/Stefano Rellandini - RTX1TLBL
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今日も過去も、世界で起きる暴力の多くは宗教のせいだと広く非難されている。

宗教を擁護する人々は、宗教を掲げるいわゆる紛争の大半は、実際には民族、国家主義、領土をめぐるものであり、当事者が自らの目的のために宗教を利用しているのだと言う。しかし、たとえそうだとしても、なぜ宗教が暴力的な目的にこれほど容易に利用されるのかという疑問は残る。

すべての宗教は平和と和解を目標に掲げている。それにもかかわらず、あまりにも頻繁に、紛争を激化させているように見える。

なぜだろうか。

理由は数多くあるが、社会学者ダグラス・マーシャルの研究は特に参考になる。彼は宗教を、信仰、行動、帰属意識という観点から説明した。私の見解では、宗教によって、これらの要素の組み合わせ方や重視する度合いは異なる。

始まりは帰属意識

宗教の悪用は、信仰と行動という最初の二つに関係することが多かった。宗教にとって不名誉なことに、教義をめぐる論争や、さらには儀式をめぐる争いが、暴力的な衝突につながったことは否定できない。今日でも、同じ信仰や慣習を持たない人々への暴力の口実として、そうした論争が利用されている。

しかし、宗教の名の下に行われる暴力、特に現代社会におけるそれは、たいてい帰属意識とより深く関わっている。アイデンティティは、自分が何者であるかを示すと同時に、何者ではないかも示す。違いや相違が肯定的に捉えられるか否定的に捉えられるかは、私たちが置かれた状況に大きく左右される。

現実の、あるいはそう認識された脅威に直面したとき、または過去や現在の被害を感じたとき、私たちは強さと安心を求めて自らのアイデンティティに頼る。しかし、あまりにも頻繁に、それは独善的な意識や「他者」を見下す傾向につながる。

自分が何者であるかに意味を与えようとするとき、宗教は人間のアイデンティティを構成するあらゆる要素と結びついている。そのため、特にアイデンティティが脅かされたり、貶められたりしている場面で、宗教は価値や目的意識を与える重要な役割を果たす。しかし、その過程で宗教は独善的な意識を強めることもある。その結果、敵対者、あるいは自分たちと異なる人々の正当性が否定され、紛争が激化し、宗教が掲げる最も崇高な普遍的価値が裏切られる。

疎外という沼

この傾向は、人々が自らを、異なる世界観を持つ人々と暴力的に対立する選ばれた者たちの共同体の一員だと捉える考え方を生み出す。こうしたイデオロギーは、より広い社会から疎外された人々、とりわけ自尊心や名声さえ求める若者にとって、非常に魅力的になり得る。

身体的な暴力に正面から取り組まなければならない時があるのは明らかだが、その一歩だけでは、暴力につながる考え方を抑えられない。暴力が生まれる政治的、社会的、あるいは経済的な「疎外の沼」を干上がらせるため、あらゆる努力を尽くさなければならない。

宗教のこうした悪用を否定する圧倒的多数の宗教機関や権威者の声を取り上げることも、同じく極めて重要だ。残念ながら、国際メディアは非難の声よりも、悪用の事例を報じることに、はるかに熱心だった。

宗教が連帯するとき

特に、宗教が他の共同体や伝統に敬意を示し、過激主義的な考え方を否定してきた事例を取り上げる必要がある。注目すべき例として、昨年のマラケシュ宣言がある。この宣言は、歴史的なメディナ憲章への支持をイスラム世界全体に広げ、他の宗教共同体の市民権と市民的権利を尊重するという決意を示した。

宗教間協力のもう一つの例は、アブドラ国王国際宗教間・異文化間対話センター(KAICIID)である。サウジアラビア、スペイン、オーストリアが設立し、ローマ教皇庁が支援する同センターの理事会で、私は光栄にも理事を務めている。

KAICIIDは、イラク、シリア、レバノンをはじめとするアラブ世界各地の主要なイスラム教指導者と、これらの国々の少数派共同体の代表者、すなわちキリスト教徒、クルド人、ヤズィーディー教徒、ドゥルーズ派を、「宗教の名の下の暴力に立ち向かう」という枠組みの下に集めた。同センターは地域全体に協力のネットワークを築き、宗教指導者に対話やソーシャルメディアのスキルを教えている。

イスラエルとパレスチナ

宗教的伝統に根ざしたアイデンティティが関わる領土紛争では、宗教間協力の事例を取り上げることが特に重要である。イスラエル・パレスチナ紛争は、その典型例だ。

過去にこの紛争の解決を試みた人々は、宗教や宗教の代表者を可能な限り避けてきた。それは理解できるかもしれない。しかし、宗教を避ければ解決に近づけるという考えは誤りだ。

平和を求める宗教界の主流派と関わらなければ、領土紛争をまさに宗教紛争へと変えようとする過激派を利するだけだ。宗教を問題の一部にしたくないのであれば、解決策の一部にしなければならない。そのためには、平和を支持する宗教の声や、この目標を後押しし得る宗教間協力を取り上げることが何より重要である。

しかし、状況は変わりつつあるのかもしれない。

イスラエルとパレスチナの和平交渉開始を目指し、トランプ政権の中東特使ジェイソン・グリーンブラット氏が3月にエルサレムを訪れた際、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の指導者たちを探し出して助言を求めた。

驚くべきことに、グリーンブラット氏は、米国大統領の個人的特使として初めて聖地宗教機関連合理事会と会談した人物である。この会合の写真は、千の言葉にも勝るものだった。宗教が紛争解決の一部でなければならないとの認識を示したからだ。

ルーテル派のムニブ・ユナン主教がグリーンブラット氏に語った言葉を借りれば、「宗教指導者だけで平和を実現することはできません。しかし、彼らなしに平和を実現することもできません」。

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