気候を意図的に操作すべきなのか?

気候を意図的に操作すべきなのか?
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米国 国家研究評議会による地球工学に関する大部の2巻組の 報告書

これまで、議論の焦点は緩和策にあり、排出量を十分に削減できていないため、ある程度の適応が必要だとされてきた。米国科学アカデミーの権威を背景に持ち、同アカデミーの実務部門である国家研究評議会がまとめた新たな報告書は、緩和、適応、気候工学を含む「一連の活動」を展開すべきだと主張している。

言い換えれば、気候工学、とりわけ太陽放射管理(「アルベド改変」と名称を変えたもの)を、可能な限り避けるべき極端な対応策として示すのではなく、報告書は気候工学を他の手法と並ぶ一つのアプローチとして常態化させている。

確かに、報告書を執筆した委員会はアルベド改変に伴う可能性の高い深刻なリスクを指摘している。しかし、硫酸塩エアロゾルを上層大気に散布して地球を冷却する手法の野外実験を含め、さまざまな形態の地球工学について大規模な研究計画を開始するよう米国に勧告している。

また、さまざまな二酸化炭素除去手法を、人間の排出を相殺する比較的害の少ない方法として導入することを支持し、緩和策と二酸化炭素除去のどちらを選ぶかは、主として費用の問題だと論じている。このアプローチには政治的な危険が数多く潜んでいる。

地球温暖化への対応策として地球工学を主流化することで、委員会は、オランダ人ノーベル賞受賞者ポール・クルッツェンが、地球工学研究の扉を大きく開いた有名な 2006年の記事 で提起した、「追い詰められた時代には、追い詰められた手段が必要になる」という論拠から離れてしまった。

報告書には「気候非常事態」への言及がなく、アルベド改変を実施する可能性について明確な根拠を探しても見当たらない。「時間を稼ぐ」という論拠――世界がCO2規制の導入を決めるまで、一時的に地球のアルベド(表面反射率)を高められるという考え――は支持を失っている。太陽光を遮るシールドによって抑えられた温暖化は、シールドを取り除けば、結局また私たちに跳ね返ってくるからだ。

したがって、報告書には矛盾が潜んでいる。アルベド改変に関する連邦研究計画の開始を勧告しながら、太陽光シールドをどのような状況で導入し得るのか、説得力のある分析を示していない。「気候を変えるのに十分な規模でのアルベド改変は、現時点では実施すべきではない」(強調は筆者)という勧告も、安心材料とは言い難い。

科学者たちはさらなる科学を求める

根拠がないなかで、報告書は科学者にありがちな決まり文句に立ち返る。つまり、より多くの情報が必要だというのだ。地球を硫酸塩粒子の層で覆う航空機隊の投入は、その影響を知るのに十分なデータが得られるまで「検討されるべきではない」とされ、そのためには多くの研究が必要だという。

しかし、誰が研究を行うべきなのか。誰が監督するのか。成果を誰が所有するのか。誰が技術を導入するのか。研究の悪用をどう防ぐのか。研究を進める決定の前に問われるべきこれらの疑問は、検討されていないか、漠然とした「ガバナンス」の領域に先送りされている。

研究は社会的な真空状態で行われるわけではない。誰かが地球の気候を掌握できる技術を調査しようと科学者が提案し、しかも、はるかに優れた解決策を有力な利害関係者が阻んできたためにのみ研究が提案されるのなら、その研究は極めて政治的であり、必然的に政治と切り離せない。

だから、元に戻せるとかなり確信できない限り、私たちは魔神を瓶から出すべきではない。つまり、ガバナンスが整う前に研究を行ってはならない。委員会は市民の関与を望むと強調する一方、実験の実施可否を科学者だけが決める「許可区域」の設置案を支持しているように見え、その姿勢を損ねている。この区域では実験は「正式な審査・承認の対象とすべきではない」とされており、市民社会の関与について報告書が述べる立派な言葉は、空虚に響き始める。

科学と現実社会の接点

報告書の根本的な誤りは、物理的環境を変えない野外実験でも、社会的・政治的環境を根本から変え得るという事実を認めようとしないことだ(この点は繰り返し指摘されているにもかかわらず)。

物理と社会の分離を保つため、報告書は「モラルハザード」の問題、すなわち大規模な研究計画だけでなく、実際の導入も、炭素排出を抑制する政治的動機をほぼ確実に弱めるという可能性を軽視するか、退けなければならない。委員会の答えは、いつもどおり、適切な判断を下すにはさらに情報が必要だというものだ。もちろん、これは懸念にまったく答えておらず、さらなる情報は常に政治家の欠陥に勝ると断言しているにすぎない。まるで、 情報欠如モデル がこれまで大きな効果を上げてきたかのように。

委員会は理性の力をひたむきに信じ、それを一種の十字架のように掲げ、「排出削減、炭素除去、あるいはその両方を追求せずに、持続的なアルベド改変を実施することは、非合理的かつ無責任であると考える」と宣言している。

それにもかかわらず、この報告書が書かれたのは、まさに私たちが非合理的で無責任な世界に生きているからだ。また、報告書が行っているように、地球温暖化への「対応策の一連の選択肢」に太陽放射管理を含めることが、どれほど合理的で責任あることなのか問わざるを得ない。アルベド改変は「無制限のCO2排出を許可するものではない」という必須の宣言は、現実世界の非合理性を追い払うための呪文のようになっている。

気候工学が決して悪用されない合理的な世界をつくるための方策の一つが、報告書で検討されている。気候工学の導入に対する社会的不安は、「さらなる研究」によって和らげられる可能性がある。地球のアルベドを改変する計画に対する否定的な認識は、それに対抗できるよう「徹底的に研究」されるべきだという。

残念ながら、社会は地球システムのようには振る舞わない。さらなる研究によって明らかになる定理や原則に還元することはできない。科学的研究を通じて社会を立て直す方法が分かっていたなら、私たちは今、委員会の異端的な委員である気候科学教授レイ・ピエルハンバートが 「とてつもなく、まったく、猛烈に、気が狂ったような考え」 と評する案を検討するほどの惨状には陥っていなかっただろう。

この記事は、 The Conversationとの協力により掲載されています。 原文を読む。

本記事の掲載は、世界経済フォーラムが見解を支持することを意味するものではありません。

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著者:クライヴ・ハミルトンは、チャールズ・スタート大学の応用哲学・公共倫理センター(CAPPE)における公共倫理学教授。

画像:カリフォルニア州サンフランシスコのスカイライン上に大きな雲が広がる。REUTERS/Robert Galbraith

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