今年初め、ロンドンのテート・モダンでは、パブロ・ピカソ作品を扱う初の個展が開催された。異例だったのは、テートがピカソの生涯のうち特定の1年に焦点を当て、9つの展示室にわたって作品を月ごとの年代順に詳しく紹介したことだ。『ピカソ 1932』と題されたこの展覧会は、画家のキャリアにおける重要な時期を掘り下げている。
50歳になったばかりの彼は天才として称賛され、フランスで運転手付きの豪奢な暮らしを送り、生存中の芸術家の作品の販売記録(5万6,000フラン)を塗り替えようとしていた。また、チューリヒで生前初となる回顧展を開く予定だった。一方で、彼の存在意義に疑問を呈する美術界に向き合い、22歳のマリー=テレーズ・ワルテルとの関係を続けていた。その関係はまもなく結婚生活を壊そうとしていた。さらに、内戦の火種がまかれつつある母国スペインが徐々に分裂していく状況にも対処していた。
この1年に、ピカソは絵画、素描、彫刻を100点以上制作した。その中には、ワルテルに着想を得たとされる横たわる裸婦像が3点含まれ、ノルマンディーの別荘で10日間のうちに描かれた。1点はテートが、もう1点はニューヨーク近代美術館が所蔵し、3点目はヘッジファンドマネジャーのスティーブン・コーエンが所有している。彼は、前の所有者であるカジノ王スティーブ・ウィンが誤って肘を作品に突き刺した数年後の2013年に、これを1億5,500万ドルで購入した。この展覧会で、3点の裸婦像は85年ぶりに初めて一堂に会した。
ピカソの1923年は、後に彼の「驚異の年」と呼ばれることになる。これは、人生のあらゆることがうまくかみ合う時期という、絶頂期の古典的な定義に当てはまる。ペンシルベニア州立大学とノースウェスタン大学の研究者たちは、絶頂期を「個人のパフォーマンスが通常より大幅に優れる特定の期間」と定義し、より大まかには「勝利がさらなる勝利を呼ぶこと」と表現している。研究者たちはこうした期間への理解を深めようとし、その結論を最近、『ネイチャー』誌で発表した。
リウ・ルー、ワン・ヤン、ロベルタ・シナトラ、C・リー・ジャイルズ、ソング・チャオミン、ワン・ダシュンは、科学者2万人以上、芸術家3,000人、映画製作者6,000人のキャリアを分析した。興行収入、Google Scholarの被引用数、IMDbの評価などの公開データベースを用いて批評面および商業面での成功を客観的に測り、そのデータを統計モデルで分析した。
データによると、分析対象となった職業の人々の80~91%は、キャリアの中で少なくとも一度は絶頂期を迎える可能性が高いと、『ファスト・カンパニー』が報じた。およそ3分の1のケースでは、絶頂期が2度あった。しかし、3度以上は極めてまれだった。
「3つすべての分野で、キャリアにおけるヒット作には高い時間的規則性が見られ、それぞれのキャリアは、影響力の大きい作品が連続して生まれる波によって特徴づけられる」と研究者たちは結論づけた。「この現象は多様な分野に驚くほど普遍的に見られる。絶頂期はどこにでもある一方、異なるキャリアの間で重なることは通常ない」
絶頂期は、科学者では4年弱、芸術家や映画監督では5年強続いた。
この研究は、まだ何も成し遂げていないと感じる人々に、さらなる希望をもたらす。最高の仕事ができるのは30代や40代だと考える人は多い。「しかし、それはデータの不完全な読み方だと分かりました」と、ノースウェスタン大学のワンは『ファスト・カンパニー』に語っている。
たとえばピカソの場合、1932年は、名高い4年間の「青の時代」に並外れた数の作品を生み出してから、かなり後のことだった。そしてこの時期に制作した作品から5年後には、戦争の惨禍を描いた傑作、ゲルニカが生まれる。ワンが言うように、「最高の作品が最初の作品、最後の作品、あるいはその中間のどれになるかは、確率として等しい」



