父は、双子の妹と私の初登校日に必ず付き添うと約束し、大きな責任を引き受けました。
父はブラジルのサンパウロで働いており、イタリアのミラノの家に帰ってくるのは、8月とクリスマスの年2回だけでした。ついに大切な日がやってきましたが、その朝目覚めると、父は家にいませんでした。私たちはひどく落胆しましたが、それでも学校に通い始めることにはわくわくしていました。初日はあっという間に過ぎ、最後の鐘が鳴ると、父が校門で待っていました。父に会えてうれしくて、妹と一緒にその腕に飛び込みました。帰り道、学校で何をしたか、新しいクラスメートの名前、先生のこと、色とりどりのチョークが並ぶ黒板のこと、壁に掛かったイタリアの地図のことなど、私たちは次々と父に話しました。
家に帰ってからも、家族で昼食をとりながら話は続きました。食事が終わると、父は私の目を見て言いました。「パオロ、明日からは、自分が何をしたかではなく、何を学んだか、誰かを助けたか、自分のしていることを愛しているかを自問しなさい。それ以外は何も大切ではないから。」
父は私の肩に手を置き、もう一度、大人に接するように私の目を見つめてから立ち上がりました。数時間後、父はブラジルへ戻る飛行機に乗りました。私たちと過ごす6時間のために、往復3日間の旅をして、約束を守ってくれたのです。
これまでの年月に聞いたり読んだりした何百万もの言葉の中で、1969年10月1日に父が口にしたあの言葉は、ほかのどんな言葉よりも私の人生に影響を与えました。あの日、父の言葉から何を学んだのでしょうか。正しい問いを見つけていないのなら、正しい答えを考えても意味がないと学びました。自分のしていることを愛しているだろうか。何かを学んでいるだろうか。誰かを助けているだろうか。それ以外は何も大切ではありません。
これらの問いを職業人生に生かす方法を紹介します。
問いその1:何か新しいことを学んだだろうか。
200年前、平均寿命はおよそ40歳でした。その後、10年ごとに2年ずつ延びてきました。2060年までには、平均寿命は100歳近くになるでしょう。私たちや社会にとって、どのような意味があるでしょうか。
「学位を取る、働く、引退する」という3段階に分かれた人生から、学び続けることをやめない人生へと移行する必要があります。今持っている技能や知識だけで、職業人生の最後まで十分にやっていけると、本当に思いますか。
学び続ける人になりたいと思う人は多いでしょう。でも、実際にはどうすればよいのでしょうか。いくつか提案します。
好奇心を持つ
レオナルド・ダ・ヴィンチを思い浮かべると、どんな言葉が浮かびますか。画家?科学者?作家?発明家?建築家?彼はそのすべてでした。「ルネサンス人」という言葉を体現する人物として、さまざまな分野を行き来し、周囲にある驚くほど複雑なものを考え、理解する力を妨げるような過度の専門化を避けました。
初めてのことに挑戦したのは、いつが最後でしたか。
学びは、大学や学校、あるいは会社の研修コースだけで得られるものではありません。余暇にすることから得る学びが、仕事に活力を与えることもあります。アマチュアのスポーツチームを指導しましたか。チームを運営する方法を学び始めたのです。学生の家庭教師をしましたか。人を動機づける方法を学びました。家具をeBayに出品したり、ちょっとした仕事をして現金を得たりして、何かを売りましたか。買い手の心理をつかんだのです。地域政治で助言役を務めたり、信念を持つ運動の活動にボランティアとして参加したりしましたか。集団の複雑さや力学を理解したのです。博物館で来館者を案内したり、自分の街の名所を紹介したりしましたか。人の関心を引きつける方法を学んだのです。バーテンダーとして働きましたか。お見事です。手ごわい技能、つまり難しい客(この場合は酔客)への対応を身につけました。ベビーシッターをしましたか。責任感を育みました。つまり、一見ささいな仕事の多くも、職務経験を形づくる重要な要素になり得るのです。私自身、ホームレス支援施設でボランティアをして、どんな報告書を読むよりも貧困について多くを学びました。
人から学ぶ
この単純な点について考えてみましょう。人生で出会う人は誰でも、ある分野についてあなたより多くのことを知っています。ですから、誰からでも学べます。とりわけ、世界最高の教師である子どもたちから学べます。娘のサディカがまだ4歳だったころ、私は素晴らしい教訓を得ました。仕事をしていると、娘がキスをしに来ました。「今はだめだ、仕事で忙しいんだ」と私は言いました。娘は信じられないという顔で私を見て、こう言いました。「パパ、自分を愛してくれる人からのキスを、二度と絶対に断らないで!」

失敗の意味を捉え直す
ちょっとしたゲームをしましょう。「FAIL(失敗)」という言葉の意味を捉え直すのです。「学びの第一歩(First Attempts in Learning)」としてみてはどうでしょう。成功の反対が失敗だという考えを、私はどうしても受け入れられません。
むしろ、そこから学ぶのであれば、失敗は成功を構成する重要な要素だと考えています。人生を通じて、私たちは成功につながる失敗を幾度も経験します。誰もが失敗を重ねて学びます。歩き方を覚えたときや、子どもが床に転んだあと歩けるよう手助けしたときのことを考えてみてください。私たちは、子どもが失敗したと思ったでしょうか。それとも、学んでいると思ったでしょうか。私たちには、つまずくたびに何度でも立ち上がる力が遺伝的に備わっています。ネルソン・マンデラがかつて言ったように、「私は決して負けない。勝つか、学ぶかのどちらかだ」。
問いその2:他者を助けていますか。
レバノン出身のサビーヌ・シュカイルを紹介しましょう。CEO、会長、議長といった肩書を持つ重要人物が大勢集まる会議で、彼女に会いました。彼女の肩書は「道化師」。道化師になるには勇気がいるものですから、私は彼女の話を聞きに行きました。彼女は素晴らしい仲間たちとともに、ギリシャの小さな島レスボス島で数週間を過ごし、シリアから来た難民を迎えました。彼女の望みは、ただ彼らに数秒の喜びと人とのつながりを届けることでした。これが成功とどう関係するのか、と思うかもしれません。ここからは、より実利的な考え方をする方に向けた話です。

最も成功するのはどんな人でしょうか。与える人、受け取る人、それとも見返りを求める人でしょうか。受け取る人はあなたから何かを得ようとします。見返りを求める人は返礼を待ちます。一方、与える人はあなたを助けたいと考え、時間、エネルギー、人脈、知識、意見、あるいは単なる助言などを提供します。この問いは、私たちが周囲の人とどう関わるかの核心に触れています。正解はどれだと思いますか。与える人、受け取る人、それとも見返りを求める人でしょうか。正解は「与える人」です。ただし、相手を喜ばせることと、相手を助けることの違いを理解している場合に限ります。これは心理学者のアダム・グラントが著書『GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代』で導いた結論です。
この点を考えてみてください。他者を助けることは、採用につながります。人脈づくりとは、必要なときに誰かに連絡することではなく、関係性に時間とエネルギーをかけ、相手を尊重することです。最も多くの仕事のオファーを受けるのは誰でしょうか。必要な資格があるだけでなく、信頼、誠実さ、評判に基づく良好な関係を築いてきた候補者です。洗練された履歴書を書くことではなく、意義ある関係を育むことが大切なのです。
問いその3:自分の仕事を愛していますか。
何年も後になってマーク・トウェインの言葉を読んだとき、父の助言が本当に意味することに気づきました。
「人生で最も重要な日は二日ある。生まれた日と、なぜ生まれたのかを知る日だ。」
ですから、父が投げかけた問いは、より深い意味を持っています。愛することを見つけるだけではなく、自分の目的を見つけることなのです。今ここで、なぜそうしているのでしょうか。何を信条としていますか。
では、私の人生で二番目に重要だった日についてお話ししましょう。大学卒業後、私は投資銀行で働き、その後、世界銀行に勤めました。世界銀行に入って最初の6カ月間、人生で最悪の選択をしたと思っていました。ボーナスやストックオプション、立派な社用車を手放していたのです。さらに、ワシントンに移る際、恋人は私が飛行機に乗り込もうとしているときに別れを告げました。
つらい数カ月を過ごした後、1996年、私は初めての出張でカメルーン西部の辺境の村を訪れました。運転手のジョージが農業プロジェクトを見せに連れて行ってくれました。土ぼこりの舞う道を何キロも走った後、彼は井戸の前で車を止め、建設前は母親が小さなバケツを持って川まで水をくみに行くのに6キロ歩かなければならなかったと話しました。その後、世界銀行は国連とともに井戸を建設しました。井戸は彼の住む村からわずか数百メートルの場所にあり、彼の生活は変わりました。ジョージは、私自身は井戸と何の関係もなかったにもかかわらず、私に感謝したいと言って、村に案内してくれました。母親に会い、私たちは長い間抱き合いました。彼女は驚くほど気高い女性でした。後になって、忘れられたこの村で過ごした時間が、私の人生で二番目に重要な日だったと気づきました。
それは、48年前に父が投げかけた問いへと私を引き戻しました。自分の仕事を愛しているか。他者を助けているか。学んでいるか。父は、この3つの力強い問いを贈ってくれました。それ以来、ずっと私の心にあります。それが私の成功の羅針盤となりました。
この3つの問いを忘れてしまっても、ひとつだけ心に留めてください。自分を愛してくれる人からのキスを、二度と絶対に断らないことです。


