天然痘が希望を抱く理由となるのはなぜか

A nurse is given the vaccine against the H1N1 swine flu during a vaccination session for front line medical staff at the Countess of Chester Hospital in Chester, northern England, November 6, 2009. REUTERS/Phil Noble (BRITAIN HEALTH SOCIETY) - GM1E5B61RXY01
We humans have also shown that we can overcome even our most daunting problems.Image: REUTERS/Phil Noble
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世界の天気予報と世界政治を左右に並べた分割画面の放送を見れば、私たちは破滅を免れないと思っても不思議ではない。

猛烈な嵐や命を奪う熱波は、人間が引き起こした気候変動の到来を告げている。地球温暖化と生態系の崩壊が進めば、さらなる災害が待ち受けている。

しかし、右派ポピュリズムは海面上昇より速い勢いで広がり、気候変動をはじめとする世界的な危機への対策を妨げている。その一方で、ドナルド・トランプ米大統領は、気候変動はフェイクニュースだと繰り返しツイートしている。まったくひどい!

それでも人類は、最も手ごわい問題でさえ克服できることを示してきた。その好例が、史上最も恐れられた病原体の一つとされる天然痘を克服したことだ。

古来の災厄

天然痘ウイルスはおそらく約3,000年前、ラクダなどの家畜から人へ「飛び移り」、中国の農民からエジプトのファラオまで、あらゆる人々を襲った。

感染力の強いこの病気は、乳児に発熱や震えを引き起こし、特徴的な発疹が出る前に命を奪うこともあった。年長の患者の顔や手には何千もの小さな発疱が現れ、多くの人が命を落とし、それ以上の人々が顔などに痕を残した。

中世までには、アジア各地の治療師たちは、天然痘患者の膿を、健康だが感染リスクのある人の肩や太ももに接種する方法を知っていた。これを人痘接種と呼び、死亡率は2~5%で、重症の天然痘よりはるかに低く、通常は軽症で済みながら生涯にわたる免疫が得られた。

1518年、ヨーロッパ人は感染したアフリカ人奴隷を、コロンブスがイスパニョーラ島(ハイチとドミニカ共和国)に上陸した地点の近くにある過酷な鉱山へ送り込み、知らず知らずのうちにウイルスを再び広めた。島々から本土へ天然痘が広がり、「斑点の死」に対する自然免疫を持たない広大な文明を、冷酷なコンキスタドールが滅ぼす一因となった。

その後に続いた破局は、記録に残る歴史上、類を見ないものだった。アメリカ大陸各地で流行が繰り返され、一部の先住民族では天然痘によって最大90%が命を落とした。特に大きな被害を受けたのはバンクーバーのセイリッシュ族で、伝承には「恐ろしい竜」が登場する。その熱い息が子どもたちに降りかかり、皮膚を焼いてただれさせたという。

人痘接種からワクチン接種へ

しかし、人々は反撃した。1720年頃、ヨーロッパ人と植民地時代のアメリカ人は、オスマン帝国と西アフリカの情報源から人痘接種を学んだ。ボストンで流行が起きた際、牧師コットン・マザーは、この新しい方法を受け入れ、「黒人」や「マホメット教徒」(イスラム教徒)の妖術だと退ける偏見に満ちた人々の声に耳を貸さないよう、皆に呼びかけた。

多くの人は、この方法をより邪悪な目的に利用した。英領バルバドス島の裕福な農園主たちは、砂糖農園で奴隷を働かせ続けるため、1750年までにほぼ全員に人痘接種を受けさせた。1760年代には、英国の指揮官たちはまず自軍を守り、その後この恐ろしい病気を先住民の敵に広めた。彼らはおそらくその10年後、ボストンの反乱植民地人にも同じことをした。

それでも、偏見のない男女は共通の敵である天然痘と闘った。敵国の研究者とも知見を共有し、人類に役立つ医療の進歩には代価も国境もないと主張した。

Image: Gillray作。CC BY

大きな転機は1796年に訪れた。エドワード・ジェンナー医師は、英国の搾乳婦が天然痘にかからないことに気づいた。彼は彼女たちの手にできた「搾乳者の結節」を削り取り、そこに含まれる感染物質――牛痘またはワクシニアとして知られる、天然痘に近縁のウイルス――を患者に接種した。こうしてワクチン接種が誕生した。

イングランドを恐れ、嫌悪していたにもかかわらず、米国大統領トーマス・ジェファーソンは人類を代表してジェンナーに感謝の手紙を送った。「人類全体」の名において。

19世紀から20世紀にかけて、裕福な国々では人々へのワクチン接種が次第に定期的に行われるようになった。米国には国立ワクチン研究所さえあったが、1822年に倹約家の議員たちによって廃止された。アフリカやカリブ海地域の貧しい国々では、人痘接種を先駆けたにもかかわらず、天然痘の被害が長く続いた。

残り続ける脅威

1966年、カナダで最後の症例が報告されてから4年後、WHOは天然痘を地球上から根絶することを決議した。この驚くべき計画が成功した大きな理由の一つは、冷戦下にもかかわらず、米国とソ連が緊密に協力したことだった。

人類は今や40年以上にわたり、天然痘のない状態を保っている。再流行を恐れて暮らすことも、天然痘に苦しむ子どものおぞましい姿を思い出すこともなくなった。

その代償として、私たちの大半はこの残酷な敵に対する免疫を失い、5世紀前の最初のアメリカ人と同じほど無防備になっている。

公式には、このウイルスは米国とロシアの最高度の警備を備えた2つの研究所にしか存在しない。しかし、天然痘は研究所の環境でも安定しているため、人痘接種の時代の古いウイルス株がどこかに隠れているかもしれない。バイオテロリストが、そうした活性物質を兵器化する可能性もある。

そうなれば、私たちには新薬が必要になる。たとえば、米国政府が承認したばかりのテコビリマットだ。また、ワクチン備蓄を賢明に活用し、流行と、それが広げるパニックを封じ込めるための大規模な国際的取り組みも必要となる。反政府・反科学の反動勢力による、避けられない抵抗も乗り越えなければならない。

そのすべては、2018年には不可能に思えるかもしれない。

だからこそ、天然痘に対する最初の勝利を、私たちの創意工夫とレジリエンスの証として、そして人類の健康と幸福のために協力できる力の証として、心に留めておく必要がある。

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