コロナウイルス:武漢ではどんな日々だったのか?ある医師が語る体験

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  • 王偉は中国の広東省出身の医師だ。

  • 彼は約1,000km離れた武漢の客厅方舱医院に派遣され、6週間にわたってCOVID-19患者の治療にあたった。

  • 客厅方舱医院は武漢にある最大の方艙病院だ。武漢は新型コロナウイルスのパンデミックが始まった都市である。

この記事は、過去4か月間に武漢で暮らし、働いた医療従事者たちの一人称による証言シリーズの一編です。シリーズのほかの記事はこちら。

2月9日の午前0時ごろ、夜食に手羽先を食べていた私は、上司からの電話で呼び出された。

私は中国南部の広東省にある病院の救急外来で働いている。この時間の電話が何を意味するかは、すぐに分かった。これから起きることを察した妻は、泣き出した。

案の定、病院から、COVID-19流行の中心地である中国中部の湖北省へ向かう医療支援チームに加わる意思があるかと尋ねられた。「必要なら喜んで行きます」と答えた。「でも、まず家族と相談させてください」。正直、相談することはほとんどなかった。家族にはつらいことだが、行くのが正しいと思った。

午前1時30分に正式に選抜を知らされ、3時過ぎに荷造りを終え、その朝7時には出発の準備を整えて病院に着いた。あまり面識のない同僚まで、皆が別れの抱擁をしてくれた。マスクや手袋などをこっそり荷物に入れてくれた人もいた。

1月下旬から、中国は全国各地から4万2,000人を超える医療従事者を湖北省に派遣した。そのうち約2,500人が広東省からだった。私たちのチームは医療従事者310人で構成され、私の病院からは看護師2人が参加した。私たちは幸運なほうだった。参加するかどうかを選べたからだ。チームの若手医師の中には、所属部署で誰も志願しなかったため、くじ引きで選ばれた人もいた。

出発のために集まったとき、私たちには何が待ち受けているのか、仕事にどれほどの危険が伴うのか、家族とどれほど長く離れるのか、湖北省のどこに派遣されるのかさえ分からなかった。最後の疑問への答えが分かったのは、到着してからだった。省都・武漢にある最大の方艙病院、客厅方舱医院だった。

2020年2月9日、湖北省武漢にある客厅方舱医院の外観。Image: 王偉

2月13日:最初の印象

武漢に着いてから3日がたった。今朝、初めての勤務が午前2時に始まり、6時間続いた。

感染拡大前、客厅の広大な展示ホールでは映画祭や芸術祭が開かれていた。2月初旬のわずか3日間で、武漢市はそこを、軽症のCOVID-19患者約1,500人を受け入れる臨時病院へと改装した。

方艙病院は武漢の病床不足を緩和する助けになったが、もう一つの不足も深刻だった。武漢の医療体制が急拡大し、軽症ながら感染力のある患者が何千人も新たに受け入れられたことで、個人用防護具の需要が急増した。私たちのような支援チームのメンバーは、マスク、ゴーグル、防護服など、日々必要になるものを何でも持参するよう言われた。

私たちのような支援チームのメンバーは、持っていけるものは何でも持参するよう言われた。

王偉、医師

医療用具はどこでも品薄で、追加分をどこで手に入れればよいのか見当もつかなかった。相談した末、2月12日、地元の衛生当局に支援を求めることにした。友人の友人の、そのまた友人が――今も名前は知らない――すぐにゴーグル500個を寄付し、市に働きかけて高品質の医療用N95マスクも一批送ってもらえることになった。

初勤務の日、新しい職場を見て回った。私の配属先の病棟には400人を超える患者がいる。勤務ごとに医師はわずか4人、看護師も数人だけで、私たちは一人あたり約100人を担当することになっていた。

夜勤が始まるころには、ほとんどの患者が眠っている。しかし、病状が悪化しているのではないかと心配して、起きたままの人もいる。私はバイタルサインを測り、異常はないと安心させる。

不安を和らげ、休んでもらえるよう慎重に選んだ温かい言葉が、薬よりも効果を発揮することもある。

左:客厅方舱医院の内部。右:湖北省武漢の客厅方舱医院で、医師が患者のCT画像を確認している。2020年2月。Image: 王偉

2月17日:長い日々

夜勤のよさが分かってきた。勤務に入るころには、ほとんどの患者がすでに眠っていて、仕事も楽だからだ。

日勤はより大変だ。私たちは実質的に地域のかかりつけ医のような役割を担っている。患者の状態を観察し、薬を管理し、気持ちの面での対処も手助けする。

看護師は1日に3回、患者のバイタルサインを確認する。心拍数が130を超える、体温が摂氏38.5度を超える、または血中酸素濃度が93%を下回る患者は、より重症の患者を治療する病院へ移送する手配をする。

たいていは不安を抱えているが、長い待ち時間の間に募った恐怖が、ときに怒りとなって爆発する。

王偉、医師

重症患者の命を救おうと集中治療室で奮闘する医師たちと比べれば、こちらの仕事は比較的単調に思えるかもしれない。しかし、方艙病院にも独自の危険がある。感染力が非常に高い可能性のある何百人もの患者を診ている以上、新型コロナウイルスは常に、あらゆる場所に存在すると考えなければならない。

患者の要求が非常に厳しいこともある。特に、まだウイルスに感染しているかを調べる検査を何日も待たされた末、検査キット不足が続くために何度も断られるときはそうだ。

たいていは不安を抱えているが、長い待ち時間の間に募った恐怖が、ときに怒りとなって爆発する。初めての日勤に入った日、患者の集団に取り囲まれ、次々と大声で質問を浴びせられた。すぐに退院したい人もいれば、不安で、もう少し入院していたい人もいた。検査をまだ受けていない理由を問い詰める人もいた。

患者たちは私を責めながらせき込み、唾を飛ばした。防護服を引っ張る人さえいた。誰か一人が逆上して防護服やマスクを破っていたら、どうなっていたか分からない。

2020年2月18日、湖北省武漢にある客厅方舱医院の内部。Image: 陳卓/長江日報/People Visual

2月18日:集団療法

私たちの仕事の大半は、患者と話をしてストレスを和らげることだ。今日、私たちの方艙病院は、患者向けのソーシャルメディア「微信(WeChat)」グループを立ち上げた最初の病院の一つとなった。患者はそこで、病状について私たちに質問したり、互いに話したり、退院後や別の病院へ移った後の暮らしを投稿したりできる。

患者が情報を得られる手段を用意することは、自分で状況を把握できているという感覚につながり、不安を和らげる。私たちにとっても役立つ。退院後の方艙生活について、ここの医師が知るのはグループのメッセージを読んでから、ということもある。

私が話をした患者の約4分の1は、最近亡くなった人を知っている。身近な人に何が起きたのか、まったく分からない患者も数人いる。

ある日、患者の一人が、隣のベッドの高齢男性は不安そうで、退院したがっていると教えてくれた。その男性は検査結果を長い間待っており、数日間、妻から連絡がなかった。妻は、より重い症状の患者を受け入れる病院で治療を受けていた。

男性は妻に何かあったのではないかとひどくおびえていた。そこで私たちは、地元出身の看護師に、女性が治療を受けている病院まで様子を見に行ってもらった。

2020年3月9日、湖北省武漢の「方艙」病院で休憩を取る医療従事者。この病院は3月10日に閉鎖された。Image: 申伯涵/新華社

3月1日:気分転換

医師も患者と同じように、方艙での生活のストレスを免れるわけではない。30時間ごとに6時間の勤務が1回あるが、慣れない環境で、遠く離れた故郷を思いながら未知の病気と闘うストレスは、少しずつ心身にこたえている。

恋しい食べ物の話をしたり、すべてが終わったら互いに訪ね合おうと計画したりするほうが、気持ちが楽になることもある。

王偉、医師

勤務時間外でも、ホテルの敷地から出ることは許されていない。それでも、ずっと部屋に閉じこもってはいられないので、ときどき互いの部屋を訪ねて話をする。もちろん、安全な距離を保ちながらだ。部屋を出ずに1日6キロ走る室内ランニングを始めた人もいる。

夜勤では、患者が皆眠った後、当直の看護師たちと座って話をする。彼女たちも私たちと同じく、中国各地から来ている。ほとんどは家族を故郷に残して来ており、まだ歩けないほど幼い子どもがいる人もいる。恋しい食べ物の話をしたり、すべてが終わったら互いに訪ね合おうと計画したりするほうが、気持ちが楽になることもある。

困難や衝突もあったが、武漢で過ごした間、何より心に残ったのは、患者が私たちに示してくれた敬意だ。ある晩、午前2時に勤務を終え、休もうと自分の事務室に入ると、携帯電話で写真を撮っている女性がいた。翌日退院する予定だと話し、助けるために故郷を離れて来た医療スタッフに恩義を感じていると言った。私たちのことを忘れないよう、医師や看護師全員と一緒に動画を撮りたいということだった。

医師として7年間働いてきたが、こんなことは一度もなかった。

2020年2月24日、湖北省武漢の客厅方舱医院へ向かうシャトルバスに乗る医療従事者。Image: 呉明/南方ビジュアル/People Visual

3月17日:帰路

荷物や物資はすでに速達で故郷へ送っていた。すべて終えたころには倒れそうなほど疲れていたが、突然、武漢で知り合ったバス運転手から電話がかかってきた。

ある日、彼が私を職場まで送ってくれたのをきっかけに、親しくなった。腹痛で勤務に遅れ、病院行きのシャトルには私一人しか乗っていなかった。話をするうちに、彼の家族は無事だが、同僚の一人の母親が亡くなったと聞いた。正式な診断は受けていなかったものの、おそらくCOVID-19だったのだろう。

彼は、都市封鎖中に医師などの移動を助けるシャトル運行に、自ら志願した武漢のバス運転手の一人だった。シャトルは15分ごとに出ていた。運転手は一度に6時間、休みなく働く。運行時刻を守るため、道端にしゃがんで食事を取ることも多かった。彼に送ってもらった後、マスクなどの日用品を届けた。

もう連絡はないと思っていたが、チームが武漢を離れると知った彼から、別れの電話があった。私たちは3月8日に最後の患者を退院させていた。彼は贈り物に感激し、受け取ったものの一部を近所の人たちと分け合ったと話した。そして、私がまた武漢に来ることがあれば、家族が市内を隅々まで案内すると言ってくれた。

こうしたささやかな感謝の表れは、珍しいことではなくなった。方艙病院にいた警備員、警察官、ボランティアの多くは、自ら志願して参加していた。振り返れば、私には選択の余地がなかった。感染症の流行に対応するのは仕事の一部だからだ。彼らには選択肢があった。それでも危険を冒す覚悟で参加してくれた。

2020年3月17日、湖北省武漢の客厅方舱医院の外で、ピカチュウに扮したボランティアが医療支援チームのメンバーに感謝を伝えている。Image: 馬芙蓉/中国新聞社/People Visual

3月20日:帰郷

今日、私たちは武漢を離れた。車列が市内を進むと、交差点のたびに車がクラクションを鳴らし、住民たちは窓から身を乗り出して別れの手を振ってくれた。

英雄と呼ばれたいとは思わないが、武漢で話をした医師たちは皆、今回の流行で中国の医療従事者への評価が頂点に達したという点で一致していた。ほんの数か月前までは、不満を抱いた患者に医師が傷つけられたり、殺されたりするニュースを日常的に目にしていた。それも今では、ずいぶん昔のことのように感じる。

この冬、医師も患者も、誰にとっても楽ではないと理解しているようで、互いの理解が広がった。それでも、すべてが終わった後も患者が私たちに親切でいてくれるだろうかと、同僚と話し合うことがあった。私たちにできるのは願うことだけだ。

先日、病院から武漢で過ごしたときの写真を求められた。写真に添える短い文章も書いてほしいと言われたが、私がどうにか書けたのは3語だけだった。

「日常が戻りますように。」

Sixth Toneの蔡逸文が聞き書きした。

翻訳:ルイス・ライト、編集:キリアン・オドネル、ポートレート画:張沢欽。

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