独立以来のウクライナ激動の歴史をたどる年表

People holding up Ukraine flags in a city.
Ukraine and its Western backers accuse Moscow of waging an unprovoked war of aggression.Image: Unsplash/Karollyne Hubert
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  • この年表では、1991年にソ連から独立して以来、ウクライナの政治史で起きた主な出来事をまとめています。

  • 8月24日で、ロシアによるウクライナ侵攻から6カ月となります。

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が「特別軍事作戦」と呼ぶ形でロシアがウクライナに侵攻してから、水曜日で6カ月となります。

ウクライナと西側諸国の支援国は、ロシアが領土を奪い、ウクライナの国民的アイデンティティーを消し去ることを目的に、いわれのない侵略戦争を仕掛けていると非難しています。

プーチン氏は、NATOの拡大に対するロシア自身の安全を先制的に確保するため、ウクライナを非武装化し、ロシアを脅かしていると同氏が述べる極右民族主義者を一掃することが目的だと語りました。

1991年にモスクワから独立を勝ち取って以来の、ウクライナの政治史における主な出来事を年表で振り返ります。

1991年:ソ連構成共和国ウクライナの指導者レオニード・クラフチュクが、モスクワからの独立を宣言。国民投票と大統領選挙で、ウクライナ国民は圧倒的多数で独立を支持し、クラフチュク氏を大統領に選出しました。1994年に同氏の後任となったレオニード・クチマ氏の下で、ウクライナは核兵器を放棄することにも合意しました。ソ連時代から引き継いだ世界第3位の規模の核戦力を手放す見返りに、ロシア、米国、英国も署名したブダペスト覚書に基づき、独立と主権の尊重を前提とする安全保障上の保証を受けることになりました。

2004年:親ロシア派候補のヴィクトル・ヤヌコビッチ氏が大統領に選出されたと発表されましたが、票の不正操作疑惑をきっかけに抗議運動が起こり、後に「オレンジ革命」と呼ばれる事態となって、投票のやり直しを余儀なくされました。親欧米派の元首相ヴィクトル・ユシチェンコ氏が大統領に選出されました。

2005年:ユシチェンコ氏は、ウクライナをクレムリンの勢力圏から離し、NATOと欧州連合(EU)に近づけると公約して政権に就きました。元エネルギー企業幹部のユーリヤ・ティモシェンコ氏を首相に任命しましたが、親欧米派陣営内の対立を経て、同氏は解任されました。

2010年:ヤヌコビッチ氏が大統領選挙でティモシェンコ氏を破りました。ロシアとウクライナは、ウクライナ領クリミア半島の黒海沿岸港におけるロシア海軍の租借期間を延長する見返りとして、ガス価格で合意しました。

2013年:ヤヌコビッチ政権は11月、EUとの貿易・連合協定に関する協議を中断し、モスクワとの経済関係の再構築を選択。これを受け、キーウで数カ月にわたる大規模な抗議集会が続きました。プーチン氏は、西側諸国が抗議運動を扇動し、支援していると非難しました。

2014年:主にキーウのマイダン広場周辺で続いていた抗議運動が暴力化し、数十人の抗議参加者が死亡しました。2月、議会はヤヌコビッチ氏の解任を決議し、同氏は国外へ逃れました。その数日後、武装した男たちがクリミアの議会を占拠し、ロシア国旗を掲げました。3月16日の住民投票で、クリミアではロシアへの編入を圧倒的多数が支持したとして、モスクワは同地域を併合しました。

2014年4月:ウクライナ東部ドンバス地域の親ロシア派分離主義勢力が独立を宣言しました。戦闘が始まり、たびたび停戦が行われたにもかかわらず、2022年まで断続的に続きました。

2014年7月:アムステルダムからクアラルンプールへ向かっていた旅客機MH17が、ウクライナ東部上空でミサイルに撃墜され、乗客乗員298人全員が死亡しました。調査当局は使用された兵器の出所をロシアと特定しましたが、ロシアは関与を否定しています。

2017年:2014年5月から政権を担う親欧米派の億万長者実業家ペトロ・ポロシェンコ大統領が、物品とサービスの自由貿易に関するEUとの連合協定を締結しました。ウクライナ国民はEUへのビザなし渡航も認められました。

2019年:元コメディ俳優のウォロディミル・ゼレンスキー氏が4月の大統領選挙でポロシェンコ氏を破りました。根深い汚職に取り組み、ウクライナ東部の戦争を終結させると公約していました。同氏の政党「国民の僕」は7月の議会選挙で勝利しました。

2021年:ゼレンスキー氏は1月、米国のジョー・バイデン大統領にウクライナのNATO加盟を認めるよう求めました。ロシアは春、軍事演習だとしてウクライナ国境付近に軍を集結させました。12月、ロシアは東欧とウクライナでのあらゆる軍事活動をNATOが放棄するという法的拘束力のある保証を含む、詳細な安全保障上の要求を提示しました。これに対しNATOは、「門戸開放」政策へのコミットメントを改めて表明する一方、モスクワの安全保障上の懸念について「現実的な」協議を行う用意を示しました。

2022年:2月21日のテレビ演説で、プーチン氏はウクライナがロシアの歴史に不可欠な一部であり、真の国家としての歴史を持ったことがなく、外国勢力に支配され、傀儡政権が置かれていると述べました。プーチン氏はウクライナ東部の分離地域を独立国家として承認する協定に署名し、ロシア軍に同地域への進駐を命じました。西側諸国はロシアに対する経済制裁を強化しました。2月24日未明のテレビ演説で、プーチン氏は戦争を宣言し、ロシアは3方向から侵攻を開始。ミサイルと砲撃でウクライナ軍と空軍基地を標的にし、都市部も攻撃しました。数万人が住まいを離れて逃れる中、ゼレンスキー氏は総動員を命じました。

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