振り返ると、オットーは4歳のころから息苦しさに悩まされていたことを覚えている。体を動かすとせきが出て、発作のようなせきがいつまでも続いた。ウガンダ北部の村で8人きょうだいの家庭に育ち、ほかの子どもたちと走ったり遊んだりしようとしたが、たいていは倒れてしまうか、休まなければならなかった。
10歳のとき、家族のためにトウモロコシを挽くはずだった製粉所へバスで向かう途中、気を失った。10代になるころには、100メートル走るだけで力尽きた。心臓は激しく鼓動し、ひどく汗をかいた。めまいもしばしば起きた。
やがてオットーは医療機関を受診し、気管支炎とマラリアの治療を受けた。しかし、結局よくならなかった。そして2017年3月、医師が心臓の超音波画像を撮り、ようやくすべてを説明する診断を下した。オットーはリウマチ性心疾患を患っていたのだ。これはA群レンサ球菌が引き起こす、元には戻らない病気だ。彼は22歳だった。
「あの何年もの間、ひどく苦しみました。遊んだり、サッカーをしたり、走ったりすることができませんでした」と、現在ウガンダの都市グルに住む24歳の教師、オットーは言う。「この病気のせいで、みんなのように遊べませんでした。」
A群レンサ球菌、通称A群溶連菌は、マラリア原虫、結核菌、HIVに並ぶ、地球上で最も深刻な被害をもたらす病原体の一つだ。高所得国では、通常、飲み込むのもつらいほど喉が痛む溶連菌性咽頭炎と結びつけられる。抗生物質で治ることが多い厄介な病気だ。しかし低所得国では感染がより一般的で、効果的な治療を受けられる可能性も低い。感染を繰り返し、治療せずにいると、心臓弁から血液が逆流するリウマチ性心疾患につながることがある。
リウマチ性心疾患はかつて西洋諸国でよく見られる死因で、発症は20代前半に多かった。抗生物質が定期的に使われるようになったこともあり、現在では欧州と北米でほぼ根絶されている。しかし、ほかの地域では今なお猛威を振るい、世界で3,300万人以上が罹患し、年間約30万人が死亡している。さらに、A群溶連菌が引き起こす侵襲性疾患、たとえばレンサ球菌性毒素性ショック症候群、敗血症、「人食い」と呼ばれる壊死性筋膜炎なども含めると、A群溶連菌による年間の死者は50万人を超える。
これは公衆衛生上の大惨事であり、ワクチンが切実に求められている。専門家によれば、ワクチンの開発は実現可能だ。近年いくつかの進展があり、複数のワクチン候補が臨床試験中にある。しかし、実際にワクチンが使えるようになる見通しは、何十年もの間、遠のき続けている。
研究室での取り組みが続く一方、低所得国で続くリウマチ性心疾患の危機に立ち向かう別の方法を探す研究者もいる。その一人が、39歳の小児心臓専門医アンドレア・ビートンだ。彼女のチームはウガンダの子どもたちを対象に、大規模な臨床試験を進めている。病気の進行を遅らせ、食い止め、さらには逆転させられるかを調べ、オットーのように人生の最盛期に心不全の危機にさらされる世代が生まれるのを防ごうとしている。
7月の暑い木曜日の午後、白い10人乗りのバンがグル刑務所小学校に到着する。通りの先にある刑務所にちなんで名づけられたこの学校には、5歳から13歳までの子どもが約500人通っている。
喫茶店やエチオピア料理店、プール付きのホテルがある活気ある都市となったグルは、つい最近まで、ウガンダ政府に対して何十年にもわたりゲリラ戦を展開してきた反政府組織、神の抵抗軍(LRA)の反乱の中心地だった。子どもを誘拐し、兵士や性奴隷にしたことで悪名高いLRAは、2004年にオットーの父親を殺害した。この紛争で犠牲になった10万人を超える人々の一人だった。LRAの大半は10年以上前にウガンダから追い払われた。
地域が徐々に復興するにつれ、グルにはNGOや外国の組織がますます集まるようになった。その中には、ワシントンD.C.のチルドレンズ・ナショナル・ヘルス・システムからクレイグ・セーブルが率いるチームもある。チルドレンズ・ナショナルは長年、先天性心疾患のあるウガンダの子どもたちの手術を支援してきた。
最近までチルドレンズ・ナショナルに所属していたアンドレア・ビートンが、初めてグルを訪れたのは2013年だった。当初はリウマチ性心疾患に焦点を当てる予定だったが、すぐに溶連菌性咽頭炎にも目を向ける必要があると気づいた。活発で親しみやすいビートンは、同僚と学校を訪れ、喉が痛い子はいないかと尋ねた。「みんな一斉に手を挙げたんです」と彼女は言う。「私たちは驚きました。なんてことだ、これを本当に見過ごしてきたんだと思いました。」
さらに詳しく調べると、地域で溶連菌性咽頭炎がどれほど一般的かが分かった。予備調査でビートンは、喉の痛みがある子どもの50%、喉の痛みがない子どもも含めた全体の30%の喉からA群溶連菌を検出した。ウガンダの学童は平均して少なくとも年1回、おそらく最大で年4回、溶連菌性咽頭炎にかかると彼女は推定する。米国では、溶連菌に毎年感染する子どもはわずか15%だ。
「米国で見られる量と比べて、溶連菌が非常に多いのに、子どもたちは誰も治療を受けていません」とビートンは言う。「ただ学校で過ごしているんです。」
ペニシリン系抗生物質はA群溶連菌に非常に有効だが、ウガンダの多くの家庭は伝統療法師を訪ねる。治療には、スプーンや鋭い木片で扁桃を出血するまでこする方法もある。親が抗生物質を求める場合でも、感染を治すのに必要な全期間分ではなく、ペニシリンを2錠だけ買うことがある。
溶連菌性咽頭炎を治療せずにいると、免疫反応が過剰になり、急性リウマチ熱という病気を引き起こすことがある。抗体が心臓弁を傷つける病気だ。子どもの体が一度過剰反応を起こすと、その後の感染にも毎回過剰に反応するようになる。その結果として生じるのがリウマチ性心疾患だ。
「リウマチ熱に初めてかかったときに心臓が非常に深刻な影響を受けることもありますが、最も多いのは、時間をかけて少しずつ心臓が傷つくケースです」とビートンは言う。心臓の損傷が始まってから症状が現れるまで、無症状の期間があるということだ。「10代になるころには、心不全や進行した心疾患を抱えて受診することになります。」
ウガンダではこの問題が広く見られる。首都カンパラでビートンのチームが記録したリウマチ性心疾患の有病率は、人口の約1.5%に上った。グルで子どもたちを検査すると、その率は2倍だった。ウガンダのような低所得国では、人口全体で見た場合、この病気で死亡する可能性は高所得国の約4~5倍だ。
ビートンと同僚たちは、溶連菌感染から心疾患へと進む過程を断ち切るため、臨床試験を開始した。また、心臓の損傷が蓄積し始める無症状期間の初期に、より早く介入する方法も探っている。ウガンダではリウマチ性心疾患と診断された人の85%が重症だと、ビートンは言う。
まずチームは、心疾患のごく初期段階にある子どもを見つける必要があった。そこで昨年6月から、1日に最大7校を訪問し始めた。
チームのバンがグル刑務所小学校に到着すると、えんじ色の制服を着た生徒たちが、中休みの終わりを楽しみながら校庭を埋めている。米国人とウガンダ人の看護師、プロジェクト調整員、医師が6人ほど車から降りて教室に入り、ベンチを動かして、クッション付き診察台や床のマットを置く場所を作る。検査を行うのは主に米国から1週間のボランティアに来た医師で、携帯型心エコー装置の前に座る。それぞれの装置には、白いプローブがiPadほどの大きさの画面につながっている。2015年の研究でビートンらが示したように、この装置は初期の心臓損傷を見つける性能が聴診器の4倍以上高い。
校庭から太鼓や木琴のリズミカルな音が流れるなか、子どもたちは一度に3、4人ずつ左側を下にして横たわり、肘に頭を載せる。検査担当者が胸にジェルを吹きかけ、心臓の上にプローブを当てると、弁が開閉する様子を示す粗い灰色の画像が画面に映し出される。血流の方向を示す赤と青の斑点を見ようと、首を伸ばす子どももいる。検査は1人あたり約1分で終わる。
検査開始から約15分後、ほっそりとして筋肉質な16歳の少年が、えんじ色の短パンと茶色のブーツ姿で、オハイオ州クリーブランドにあるケース・ウェスタン・リザーブ大学に所属する社交的な心臓専門医、マルコ・コスタの前の台に横たわる。コスタは検査を終えると、「サッカーをしておいで!」と言って少年を送り出す。それから画面上の青い画素の斑点を指さす。弁を通って血液が逆方向に漏れている。
「弁が開いていますが、弁の役割は閉じることです」とコスタは言う。「まだ病気ではありませんが、治療しなければ5年から10年後には発症するでしょう。」
コスタは紙の「異常」欄に印をつける。その紙は少年の両親に渡され、より良い機器で再検査を受けるため、グルにあるプロジェクトの診療所を訪れるよう促す。地域で何年もかけて信頼を築いてきたおかげで、親たちは診療を歓迎する。診療所で診断が確定すれば、家族は息子を臨床試験の次の段階に参加させる選択肢を得る。
午後4時30分までに、チームは401人の子どもを検査し、リウマチ性心疾患の可能性がある13人を確認した。臨床試験全体では、これまでに10万2,000人を超える学童の心臓を検査し、初期段階のリウマチ性心疾患がある子どもを916人見つけるという目標を達成した。次の段階では、その子どもたちを2つのグループのいずれかに無作為に割り当てる。
半数には毎月ペニシリンを注射する。進行期の患者には標準的な治療だが、心臓の損傷が始まっていても症状がまだ現れていない初期段階では、これまで試されたことがない。もう一方のグループには教育と医療を提供するが、抗生物質は投与しない。「試験に参加する子はみんな、月に一度、土曜日に来ることになります」とビートンは言う。「2年後には、ペニシリンが子どもたちに効果をもたらすか分かるはずです。」
複雑な取り組みだ。グルの家庭は診療所までの交通費を払えないことが多い。携帯電話を持たない家庭も多い。また、診断された子どもの多くは、病気が進行しすぎているか、HIV/AIDSなどのためにすでに毎日抗生物質を服用しているなど、参加条件を満たさない。「重症すぎる病気の子どもが大勢見つかっています」とビートンは言う。「本当に落ち込みます。」
治療によってA群溶連菌のさらなる感染を防ぎ、心臓が回復する機会を与えることで、リウマチ性心疾患の進行を遅らせ、止め、あるいは逆転させられるなら、検査プログラムへの投資やペニシリン注射の配布を強く後押しする根拠になる。治療に効果がなければ、検査の取り組みをやめ、病気と闘う新たな戦略を見つけるほうが理にかなうかもしれない。
ワクチンはそうした戦略の一つだ。子どもたちの免疫系がA群溶連菌と何度も闘わずに済むようにすれば、医療従事者は学校をくまなく回り、家庭に情報を伝え、何年にもわたって毎月注射が必要な子どもを追跡する手間を省ける。
「子どもたちに喉の痛みを治療する方法を教えることも役立ちます。でも、体が一度も溶連菌にさらされないようにできれば、それこそが病気をなくす方法です」とビートンは言う。
「ワクチンが広く使われ、高い効果があれば、私たちはこんなことを何もせずに済むでしょう。」
A群溶連菌ワクチンの研究は、細菌が世界中で無差別に大きな被害をもたらしていた約1世紀前に始まった。1930年代後半、ニューヨークのプレスビテリアン病院で行われた剖検の8%に、リウマチ性心疾患の証拠が見つかった。
重大な公衆衛生問題を前に、米国の科学者たちはA群溶連菌ワクチンの研究を始めた。しかし1940年代までには、米軍兵士の間でリウマチ熱が憂慮すべき規模で流行したにもかかわらず、衛生環境と住宅の改善に伴い、リウマチ性心疾患は減少し始めていた。
ペニシリンが広く行き渡ると、患者数はさらに減少した。20世紀後半には、低・中所得国でリウマチ性心疾患が広がり続ける一方、米国のリウマチ熱の発生率は子ども10万人あたり約5件にまで減っていた。
それでも、ワクチン開発への関心を失わなかった米国の研究者もいたと、メンフィスにあるテネシー大学ヘルスサイエンスセンター感染症部門の責任者ジェームズ・デールは語る。彼自身がA群溶連菌ワクチンの研究を始めたのは1980年代だった。
当時、ワクチン開発は大きな挫折に見舞われていた。1968年、ワクチン候補が、試験に参加した少なくとも2人の子どもに急性リウマチ熱を引き起こしたとされた。ワクチンが本当に原因かは明らかでなかったが、関係者は不安を募らせ、1979年には米国食品医薬品局(FDA)がA群溶連菌ワクチンの人体試験を禁止した。この禁止措置は30年近く続き、あらゆる場所で研究の勢いを止めた。
「あの臨床試験については、多くの疑問が残っています」と、オーストラリアのメルボルンにある王立小児病院の小児感染症医、アンドルー・スティアは言う。しかし、その影響は明らかだった。「FDAの規制がもたらす影響は広く及びます。」
2006年にFDAが禁止措置を解除するころには、リウマチ性心疾患は一般の人々からほとんど忘れられていた。ただし、デールによれば、米国国立衛生研究所は彼のような研究を一貫して支援してきた。
不足しているのは製薬業界の投資だ。裕福な国では抗生物質に頼れると人々が知っているため、A群溶連菌ワクチンの市場があるか確信できない製薬会社は、財務上のリスクを取ろうとしない。
「もし急性リウマチ熱やリウマチ性心疾患が、40年代や50年代のように広がり続けていたなら、ワクチンを求める声はもっと大きかったでしょう」とデールは言う。「でも、そうではないので、今や米国では急性リウマチ熱のことなど誰も気にかけません。ほかの高所得国も同じです。」
しかし、投資を呼び込む可能性のあるシナリオがある。世界中で使え、あらゆる社会経済層においてA群溶連菌が引き起こす多様な病気を防ぐ、単一のワクチンだ。フィジーで猛威を振るう皮膚感染症、米国の学童の咽頭炎、低所得国でリウマチ性心疾患に至る一連の経過を同時に防げるなら、小児用推奨ワクチンのリストに加えられるかもしれない。そうなれば、製薬会社が必要な資金を出す理由になる。
「製薬業界が求めているのは、A群溶連菌すべてをカバーする、たった一つの決定打となる抗原ワクチンです」とデールは言う。彼の考えでは、科学者たちはその難問の解決に近づいている。何十年にもわたる進展と挫折を経て、ワクチン研究は加速し始めた。
その背景には、リウマチ性心疾患への関心が再び高まっていることもある。病気の負担を調べる取り組みが新たに進むなか、世界保健機関(WHO)、世界心臓連盟、アフリカ連合が対策への新たな公約を掲げた。先住民が不均衡に大きな影響を受けているオーストラリア政府も同様だ。
同時に、技術の進歩が、複雑な敵に対して小規模ながら熱心で結束の強い研究者グループが新たな進展を遂げる助けとなっている。デールのチームが先頭に立っている。
汎用的なA群溶連菌ワクチンの開発における最大の課題の一つは、細菌の多様性だ。知られているA群溶連菌の型は200を超え、それぞれに異なるMタンパク質によって区別される。Mタンパク質は、テニスボールの毛羽のように細菌の細胞壁に存在する構造だ。免疫系は、異なるMタンパク質、つまりM型に応じて、それぞれ別の抗体を作らなければならない。
M型の違いがあるため、子どもは何度も溶連菌性咽頭炎にかかりうる。以前に闘ったことのない新しい型に遭遇する可能性があるからだ。しかし成人になるとA群溶連菌感染は少なくなる。これは、年齢とともにある程度の免疫ができ、ワクチンが実現可能であることを示唆している。
低所得国では、より多様な型が流行している。型は地域によって、さらには近隣地区によっても異なる。ブラジルのサルバドール市で2010年に行われた調査では、スラム街と富裕層の地域で異なる型の分布が確認された。
同じころ、どの型がどこで流行し、どの型が感染の主な原因かを明らかにするため、世界各地からM型を集め始めた研究グループがあったとデールは言う。このグループの発見によって、彼のチームの問題への取り組み方は変わった。
現在では、117種類のM型がA群溶連菌感染の約90%を引き起こし、それらはおよそ9つのクラスターに分類できると考えられている。ある型に対する免疫は、同じクラスターに属するほかの型にも免疫をもたらすとデールは言う。従来のワクチン開発は、一度に一つのM型に対する抗体を体内で作らせることに焦点を当ててきた。しかし、A群溶連菌をグループ分けできるという発見により、期待の持てる可能性が開けた。
「私たちは、違いではなく類似性に基づいて構造に注目する、まったく新しいワクチン開発のアプローチを始めました。最も広範な防御を生み出す可能性の高いMタンパク質を選べます」とデールは言う。「ついに世界で使えるワクチンができるかもしれません。」
デールと同僚たちは、最新の遺伝子配列解析技術と計算技術を用いて、30種類の菌株の遺伝子を組み込んだワクチン候補を開発した。これらの菌株は、カナダと米国における溶連菌性咽頭炎の全症例の98%、米国の侵襲性A群溶連菌感染症の90%、欧州の侵襲性症例の78%を占める。侵襲性疾患は、社会経済的な状況にかかわらず、誰にでもいつでも起こりうる。
ウサギでは、StreptAnovaと名づけられたこのワクチンが、意図した免疫反応を引き起こした。また、培養皿を使った実験では、対象に設計されていないものも含め、検査した菌株の80%以上を効果的に死滅させた。解析では、StreptAnovaの有効率はマリの首都バマコで最大84%、南アフリカのケープタウンで90%に達する可能性が示されており、汎用ワクチンが実現可能だという考えを裏づけている。
デールのグループは最近、カナダでStreptAnovaの初期段階の安全性試験を終えた。次は対象集団での試験に進みたいと考えている。対象はまず青年期の若者、その後はさらに幼い子どもたちだ。
M型をまとめるこのグループの戦略が唯一の方法ではない。ほかの研究者たちは、菌株間でより一貫している細菌の領域を標的にし、A群溶連菌の複雑な多様性を回避しようとしている。ただし、開発の進み具合ではデールのチームに及ぶものはない。
米国などでリウマチ性心疾患が事実上消滅した歴史を見れば、専門家たちはこの病気をなくす方法を知っていると、ケープタウン大学の疫学者マーク・エンゲルは言う。それにもかかわらず、何十年たっても貧しい国々では病気が続いている。予防可能な病気を止められなかったことは、新たなアプローチの必要性を強く示している。「だからワクチンが必要なのです」とエンゲルは言う。「私たちの多くは、とにかく前に進むべきだと感じています。」
研究者や活動家によれば、最大の障害は資金不足だ。これはA群溶連菌の複雑さと、それがもたらす不平等の両方に起因する問題である。健康への影響は、単一の医療コミュニティが担当できる一つの疾病分類に簡単には収まらない。A群溶連菌は子どもに影響を及ぼすが、研究資金を増やしやすい重点分野である5歳未満児の死亡にはつながらない一方で、成人や妊婦にも影響する。感染症であると同時に慢性かつ複雑な病気でもあり、長い時間をかけて進行する。
A群溶連菌感染症が最も大きな負担を強いるのは、若者、女性、貧困の中で暮らす人々など、脆弱な集団だ。「この3つの集団は、世界の保健分野でほとんど発言力がありません」とアンドルー・スティアは言う。「議題から外されてきました。」
しかし、その議題はついに見直されようとしている。WHOはロードマップを公表する予定であり、安全で手頃な価格の、世界で有効なA群溶連菌ワクチンを開発し、届けることを目指している。ワクチン開発を積極的に推進するため何が必要かを特定するコンソーシアムの準備も進められていると、スティアは言う。何年も放置された後に計画ができたことで、リウマチ性心疾患をなくせるかもしれないという希望の光が差している。
「ワクチン候補があるのは素晴らしいですが、その数は多くありません。開発のパイプラインは残念ながらかなり細いです」とスティアは言う。「それでも今、世界の保健分野では本物の勢いが生まれています。これは大きな前進です。」
ワクチン開発が続くなか、アンドレア・ビートンのA群溶連菌との闘いには、グルで臨床試験を行う際のいつもの困難が伴う。7月の静かな金曜日の午後、スティーブンという7歳の少年がチームの本部を訪れた。スティーブンは学校での検査で要再検査とされ、確認のために来た。通常、ビートンとチームが100人以上の子どもに心エコー検査をする定期診療日ではない。それでも、予定とは違う日に来る子どももいて、チームはいつも受け入れている。
平屋建ての建物の奥にある、涼しく静かな部屋で、ビートンは学校検査で使うものより大きな機械を使ってスティーブンの心臓を調べる。それから胸のジェルを拭き取り、母親の隣の椅子に座るよう伝える。二人の前にしゃがみ、診断を伝える。スティーブンには初期のリウマチ性心疾患の兆候がある。
「これは地域で非常によくある問題です。学校でのスクリーニング・プログラムは、問題の症状が出る前に、スティーブンのような子どもを見つけるためのものでした」と、彼女は英語で話す。看護師のパムが、彼女の言葉を家族が話すルオ語の方言に通訳する。
「今日は来てくれてよかったです」とビートンは言う。
翌朝、土曜日の午前9時30分ごろ、スティーブンはグルの中心部から車で約30分のところにある小学校に到着する。今日は試験の次の段階の初日で、登録された子どもたちが3時間の遊びのグループに参加し、毎月行われる治療を受ける。午前中は抗生物質の注射を受ける子どもたちのために確保され、対照群の子どもたちは午後に来る。スタッフはフリスビー、塗り絵、パラシュートなど、各回で行うゲームに使う備品を持ち込んでいる。
物事は計画どおりには進まない。親の中には、自分の子どもと一緒に近所の子どもまで連れてくる人がいる。その子たちが別のグループに割り当てられていてもお構いなしだ。何時間も早く来る人もいる。子どもたちは注射を受けたあと1時間ほど待つ必要があるのに、割り当てられた時間の終了間際に到着する人もいる。何時に来ても、ビートンは笑顔で家族を迎える。
「おはようございます!来てくださってありがとうございます」
彼女は名札に子どもたちの名前と、注射を受けるかどうかを書き込む。それから子どもたちをゲームに送り出す。赤土を掃き清め、注射を行う準備を整えた二つの教室のうちの一室で、子どもに薬のアレルギー反応が出た場合の緊急時対応手順を看護師たちに念押しする。そして、前向きな姿勢で臨むよう促す。
「みんな、もう少し元気を出して」と彼女は言う。「笑顔を見せて!」
誰にとっても前向きな体験にすることが重要だ。試験を成り立たせるには、子どもたちに今後2年間、毎月注射を受けてもらう必要がある。そしてビートンはほとんどの回で米国に戻っているため、現地で継続できる体制が必要だ。
スティーブンが注射を受ける番になると、クッションを敷いた台にうつ伏せになり、オレンジ色の短パンを下ろしてお尻を出しながら、フィジェットキューブをいじる。針が刺さると、彼は目をぎゅっと閉じ、歯を食いしばり、くぐもった声を上げる。その後、頬に涙を流しながら、痛みより恐怖のほうがつらかった、次は怖くないと言う。いつか医師になりたい、とスティーブンは話す。
ビートンが願うのは、スティーブンと同じ集団のほかの子どもたちが、大人になったら望むことを何でもできるようになること、そしてオットーが耐えてきた痛みを避けられることだ。
最初の診断後の経過観察の診察で、オットーは、唯一の望みは1年以内に手術を受け、二つの心臓弁を置き換えることだと知った。手術には3,000万ウガンダ・シリング(8,000米ドル超)がかかる。教師としての月給は15万ウガンダ・シリング(40米ドル)だった。どうすれば手術費を払えるのか、彼には見当もつかなかった。何か月もの間、彼は不安を抱えていた。
それから診断から約6か月後、オットーに神からの贈り物のような知らせが届く。無料で手術を受けられる患者に選ばれたというのだ。チルドレンズ・ナショナルは、カンパラのムラゴ病院にあるウガンダ心臓研究所で一連の弁置換手術を行うための助成金を得ていた。オットーは、プログラムに選ばれたグル出身の患者7人のうちの1人だった。
2017年11月、7人全員がバスに乗り合わせ、舗装されたばかりの道路を通ってグルからカンパラまで5時間かけて移動した。オットーは一行の最年長で、ほかの人たちの面倒を見た。
カンパラでバスは、市中心部のすぐ外にある急な丘に広がるムラゴ病院の敷地に停車した。入院すると、患者と付き添いの人は自分で食事を用意し、洗濯もしなければならない。色鮮やかな布が乾かすためにあちこちに掛けられ、敷地の周囲にある茂みやフェンスの大半を覆っている。
オットーの手術は、ある木曜日の午後3時に行われた。胸を切開して心臓を露出させるところから始まり、心臓を4時間以上停止させている間、血液は人工心肺装置を通り、外科医たちは僧帽弁と大動脈弁を機械弁に置き換えた。オットーは午後10時15分に手術室を出て、10日間の入院を経て帰路についた。
手術から回復して体調はずっと良くなったものの、オットーは今もできることが限られていると感じている。もっと給料のよい仕事に就きたいが、心臓が農作業や運転手の仕事に耐えられるかどうか確信が持てない。今のところ、教師を続けている。ワクチンがあっても彼自身には影響しない。しかしオットーは、ウガンダにとって大きな助けになるだろうと言う。
「この国には大勢の人がいて、苦しんでいるのがわかります」と彼は言う。「私たちのためにそのワクチンを作る支援を受けられるなら、それはよい方策でしょう」



