世界で直面するあらゆる困難を「問題」として捉えようとすることが、それらの困難を終わらせるのを難しくしている理由の一つかもしれません。これらの問題にはそれぞれ固有のパラドックスがあり、ある問題の解決策が新たな問題を生みます。新たなイノベーションによって交通の問題を解決すると、大気汚染や交通渋滞、森林伐採などの新たな問題が生じます。
いくつかの問題は、さまざまな前提を含む形で定義されています。たとえば、私たちは児童労働を根絶したいと考えます。この問題を解決するため、子どもが工場で働くことを禁じる法律を制定し、こうした事例を監視する仕組みを設けます。しかし、子どもが映画に出演したり、リアリティー番組の歌唱コンテストで優勝して人気者になったりしても、児童労働だとは非難しません。お金や人気は子どもにとって悪いものではないと考えられているからです。このパラドックスは、さまざまな分野にわたる私たちの思考すべてに内在しています。
私の国で生まれた二つの社会的イノベーションを振り返ってみましょう。一つ目は私が成長する中で身近にあり、もう一つは年月を経て私の心に根づきました。これらのイノベーションは、あらゆる問題に内在するパラドックスを深く理解した結果です。矛盾を表面化させ、こうしたパラドックスを理解すれば、問題への認識をより深めることができ、その認識から生まれる解決策によって、全体を見渡した最善の方法で問題に対処できると私は信じています。
K・カマラージによる昼食給食
K・カマラージは、インドの私の出身州タミル・ナードゥ州で、1954年から1963年まで州首相を務めました。在任中、州は子どもの栄養不良や低い識字率を含む、さまざまな社会課題に直面していました。ある時、タミル・ナードゥ州南部への公式訪問中に、カマラージは踏切で停車せざるを得ず、車を降りて待っていました。牛やヤギの世話をしている少年たちが目に入りました。州首相がそのうちの一人に尋ねました。「ここで何をしているの?どうして学校に行かなかったの?」少年はすぐに答えました。「学校に行ったら、誰が食べ物をくれるの?食べなければ勉強できないよ。」その答えに内在するパラドックスに直面した州首相は、自身も子どもの頃、家族を支えるために学校を中退していました。そして、史上最も偉大な社会的イノベーションの一つである昼食給食制度を始めました。学校で食事を提供することで、彼の政府は生徒が学校に通うよう促し始め、その結果、低い識字率と子どもの栄養不良という二つの社会問題に取り組みました。
私が故郷のマドゥライで通っていた学校にもこの制度があり、極めて恵まれない環境にある同級生の多くは、教科書と一緒に皿を通学かばんに入れて持ってきていました。政府は年月を経て、週に一度、卵(子どもたちにとってはありがたいものです)も取り入れ、またこの制度を女性の雇用機会の創出にも活用しました。
この制度は、恵まれない層(特に女子や部族コミュニティーの人々)の子どもたちを学校に呼び込むことから、退学者の減少、栄養面での効果の向上、異なるカーストの子どもたちの交流、さらには女性の雇用機会の創出に至るまで、幅広い影響をもたらしています。その後、この制度はインド各州の政府に採用され、Akshayapatraのような組織との官民連携を通じても拡大しています。今日では、120万人の子どもに、127万を超える学校および教育保障制度センターで食事を提供する、世界最大のプログラムとなっています。
マハトマ・ガンディーによる非暴力
非暴力は、私が知る限り、最も偉大な社会的イノベーションです。ガンディーの非暴力は、インド人とイギリス人の対立に潜むパラドックスを理解した結果です。そのパラドックスとは、個人としてのアイデンティティーにおいては、イギリス人であれインド人であれ、他者の殺害や抑圧に反対しているのに、国家としてのアイデンティティーが関わると、同じ人々が互いに殺し合う用意があるということです。
非暴力は、対立が人間同士のものではなく、アイデンティティー同士のものであるという認識から生まれます。ガンディーは、インド人を大切にしたのと同じくらい、イギリス人も大切にしていたと私は考えています。
世界各地の紛争では、多数の兵士が戦い、何百万人もの市民が両陣営の暴力的な戦闘から切り離されているのが「現状」です。市民を戦いに参加させる従来の方法は、軍事訓練を施すことです。ガンディーはこれを逆転させました。武器を持つ兵士という考え方から人々を遠ざけることで、何百万人もの人々を巻き込むことに成功しました。非暴力は、暴力を基盤とする従来のモデルを揺さぶります。暴力を消費しない人々をより多く引きつけたからです。そうした人々は、そうでなければこの運動への参加を避けていたでしょう。理由は、a)一般市民はインドの独立に貢献したいと思っていたものの、武器を取ることや命を失うことを恐れていた、b)価値観や宗教的帰属意識から人を殺すことができなかった、c)自ら法を執行すれば消えることのない罪悪感を抱くのではないかと恐れていた、d)投獄される恥辱に耐えられず、軍事訓練に時間と労力を費やしたくなかった、e)一般に行われていることとは別の方法で貢献したかった、というものです。
非暴力はこれらすべての条件を満たし、一般の人々を喜ばせさえしました。人々は道徳的勇気と規律によって尊敬され、より大きな大義のための投獄は名誉となり、罪悪感を残さず、その罪悪感を敵対者へと移しました。また、ほかの方法では力を発揮しなかった人々に、自尊心をもたらしました。戦場で戦う代わりに、塩の行進や「インドを去れ」運動(ビジネスの世界でいう「市場に出る」モデルに相当)などの新たな取り組みが、人々を動員し、大義への参加を促しています。
私たちには「非暴力」という、実証済みで癒やしをもたらすイノベーションがありますが、残念ながら現代世界は、紛争解決における暴力的な手法という現状にとどまろうとしています。何百万人もの国民が住居や食料を得られない一方で、各国は軍事力の強化に何十億ドルも費やしています。起こらない戦争、あるいは将来起こる戦争のために、各国は現在の現実への優先度を下げています。上記の例は、問題に内在するパラドックスを理解することで、問題を解決できることを示しています。食料安全保障と国家安全保障は、昼食給食のアプローチと同じような方法で取り組めないでしょうか。
著者: ビジェイ・ラージュ、パートナーシップ担当アソシエイト・ディレクター兼責任者、 グローバル・シェイパーズ・コミュニティー、世界経済フォーラム。グローバル・リーダーシップ・フェローでもあります。グローバル・シェイパーズをフォロー: Twitter、 Facebook、または www.globalshapers.org
画像:2013年7月19日、インド東部ビハール州チャプラ地区ブラヒムプル村の政府運営の小学校で、子どもたちが無料の昼食を食べている。REUTERS/Adnan Abidi


