汚職と闘うために市民をどう巻き込むか

汚職と闘うために市民をどう巻き込むか
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汚職という言葉は頻繁に使われます。しかし、汚職の正確な定義とは何でしょうか。公職の乱用を指すのでしょうか。それとも、汚職を処罰し防止する法律がないことを指すのでしょうか。法律が執行されないこと、あるいは正義そのものが存在しないことを意味するのでしょうか。

汚職には数多くの定義がありますが、ここでは私自身の見解だけを、一般市民がどのように捉えているかに重点を置いて述べます。この見方は、エジプトの開発分野で、さまざまなレベルにおいて、また多くの部門や機関に携わってきた長年の経験を通じて形作られたものです。

公式に定義される汚職は、権力の不正使用と結び付いています。この定義については一般市民の間で広く合意されています。多くの人が、あらゆるレベルの公職者は、自らの地位を私的利益のために、あるいは社会全体ではなく一部の人々に奉仕するために乱用していると考えているからです。

それにもかかわらず、公職を私的利益のために乱用することを防ぐはずの法律、法令、政令は数多くあります。問題はそこにあります。市民とさまざまな国家機関との関係を規律し、汚職行為を可能にする環境をつくると同時に、それに対する防御線となるはずの法律、規則、法令が54,000件もあるのです。

多くの法律に見られる二重基準や一貫性の欠如は、公職者が法的責任を免れるための抜け穴を与えています。場合によっては、社会の周縁化された人々の要求に応える決定を可能にする法律もあります。これを「汚職の肯定的な側面」と呼ぶ人もいます。その結果、違法な手段であれそうでない手段であれ、必要を満たす方法として、一般市民の間に汚職を容認する文化が生まれます。

汚職は最終的に国家機関と結び付けられ、一部の人々が主張するように、他の国家部門、すなわち市民社会、民間部門、メディアの役割を周縁化することがあります。しかし、これらの部門もまた、さまざまな形で汚職の影響を受けています。開発の優先課題の特定、活動する部門の選択、「市民主導」の開発という名目で活用する資源に、その影響が明らかに表れています。

汚職は社会全体に浸透しています。どの社会部門で活動していようと、権力、影響力、情報、資金を持つ一部の人々によって利用されています。これを資源活用の効率性と有効性の欠如に起因するとする見方もあり、その結果、一般市民にとっての開発の成果や利益に影響が及びます。

さらに、市民の不満に対応して取られる国家の取り組みは、汚職の根本原因への対処法についての専門家の見解に導かれてきました。その結果、国家は法律や規則を改正し、民間部門のガバナンス手法や仕組みを採用し、最後には業績を検証して汚職を行った公職者の責任を問うための汚職対策委員会を設立しました。とはいえ、委員会の問題は政府から独立していないことだと主張する人もいます。

実際には、こうした取り組みは業績を改善せず、汚職を減らすことも、市民の国家機関に対する満足度を高めることもありませんでした。多くの人は、汚職の根本原因を特定するためのプロセスに市民が関与しなかったこと、さらに重要な点として、その原因への対処方法に関する市民の意見が十分に取り入れられなかったことが理由だと考えています。この意見の欠如は、すでにあらゆる部門と汚職対策に不信感を抱いていた市民の信頼に、悪影響を及ぼしました。

市民と市民社会組織(CSO)の役割を強化する

したがって、汚職と闘うためには、あらゆる段階で「市民参加」を広く、真摯に組み込むことを目指す、別の仕組みとアプローチを採用する必要があります。一般市民全員が、そのプロセスに意見を届ける手段を持つべきです。意見に耳を傾けるだけでなく、尊重し、行動に反映させるべきです。

ここでの主な課題は、市民をどのように参加させるかです。この点で、CSOは重要な役割を担うべきです。自らの活動を改善し、一般市民を代表してその利益を擁護し、市民の声が十分に聞かれ、尊重されるよう努めるべきです。活動をサービス提供だけに限定してはなりません。

しかし、エジプトにはCSOが40,000団体あるため、声がまとまっていないことから、その声に耳を傾けるのは難しいかもしれません。メディアは、市民社会の取り組みに光を当て、市民の声が聞かれ、それに応答がなされるようにするうえで、重要な役割を果たせるでしょう。

したがって、政府の汚職の防止と対策だけに注力しても十分ではないと結論づけられます。汚職は社会のあらゆる部門に影響を及ぼしているからです。汚職との闘いは、多面的で複雑なプロセスであり、すべての部門の連携が必要です。とりわけ重要なのは、社会のすべての部門が、一般市民に対する責任を認識し、引き受けることです。汚職は市民の権利を損ない、市民はそれを取り戻すためにこれ以上待つ余裕はありません。

本記事は、 世界銀行のブログ「Voices and Views: Middle East and North Africa」との協力により掲載されています。本記事の掲載は、世界経済フォーラムが見解を支持していることを意味するものではありません。

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著者:Takamol Foundation for Sustainable Development事務局長、Amer Lashin。

画像:2003年5月20日、バグダッドのパン工場で早朝のパンを待つ列に並び、手を差し出してお金を見せる幼いイラク人の少女。REUTERS/Kieran Doherty。

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