昨夜、フランスで開票結果が出て、エマニュエル・マクロンが大統領選挙の決選投票に進んだとき(中道派候補は数週間後、極右のマリーヌ・ルペンと対決する)、同じ考えを持つ友人や同僚が感じた安堵を、私も味わえたらよかった。しかし、西側社会を特徴づける政治的混乱のただ中にあって、どうしてもそうは思えない。選挙は勝者と敗者を決めるスポーツの試合ではない。深刻な分極化が進む国々では、選挙での勝利はもはや、社会の受容や変化への民意の支持を保証するものでも、それを意味するものでもない。
今回の選挙の結果、フランス社会はかつてないほど分断され、分極化が進むと私は予測する。二回投票制は歴史的に有権者の分断をあおってきたが、今回は事情が異なる。得票率が4分の1に達した候補者はおらず、大敗した候補者たちには苦々しさが広がっている。

第一に、候補者たちの言葉遣い、口調、態度が、いわゆる「オーバートンの窓」を打ち砕いた。これは、世間が受け入れる考え方、行動、言葉の範囲を指す。英国のEU離脱を問う国民投票、続いて米国の大統領選挙でこの現象が現れるのを目の当たりにし、今度はフランスの番となった。討論ではスキャンダルが話題を独占し、主流メディアは激しく批判され、オルタナティブメディアのニュースはソーシャルメディアで拡散し、候補者たちは社会の模範となるという約束を反故にした。
第二に、政治情勢は混乱している。極右が再び大統領選挙の決選投票に進み、中道左派が事実上、勢力図から姿を消しただけでなく、主流派の政党は一つも選挙を生き残れなかった。
第三に、決選投票に進んだ2人の大統領候補の間にある隔たりは、ほとんど前例がない。その得票差は、マリーヌ・ルペンの父で、彼女が率いる政党「国民戦線」を創設したジャン=マリー・ルペンと、ジャック・シラクが争った2002年の決選投票よりもさらに小さい。
マクロンが開放的でリベラル、親EUの候補者像を掲げる一方、ルペンが提示するのは閉鎖的で保護主義的、欧州懐疑的な未来だ。対立する2人の候補者は、あまりにも異なる2つの社会モデルを体現しており、その根底にある世界観を一つにすることは不可能だ。

しかし、2つの立場を和解させることこそ、次期大統領とその政権が取り組まなければならない課題だ。6月に行われるフランスの国民議会選挙では、どの政党が国民議会を構成するかが決まる。分裂した議会が主要5候補をめぐる不和に満ちた政治を反映すれば、フランスはほとんど統治不能になりかねない。
合意形成を重視するマクロンは、こうしたフランス特有の二分状態を見極め、対処するうえで、ルペンより有利な立場にあるのは間違いない。しかし、どれほど善意の政治家であっても、この至難の課題を成し遂げられないかもしれない。問われているのは、マクロンが主流派のフランス政党から容易に得た支持を、次の選挙で確固たる議会多数派へと変えられるか、また、どうすればそれができるかだ。
EU市民として、欧州プロジェクトを維持するだけでなく、前進させることが絶対に必要だと確信している私は、反欧州感情が再び高まる可能性を極めて懸念している。現実を直視しよう。親EU候補に投票したフランス国民は50%に満たなかった(フランスの有権者の49.44%が、マクロン、共和党のフランソワ・フィヨン、退任する社会党のブノワ・アモンに投票したのに対し、極左と極右に投票した人は49.31%だった)。
マクロンが掲げる社会モデルを信じる準備ができていない人は、フランスにあまりにも多い。このモデルは過度にリベラルで、過度にウーバー化されており、EUへの主権移譲をさらに招く可能性があると見られているからだ。この社会モデルは大きな富を生み出すうえでは優れているかもしれないが、社会全体を結びつける力に欠ける。

そのため、欧州連合を強化し、より開放的でリベラルなフランスを実現するという彼の構想を、現実にするのは困難、あるいは不可能となるだろう。
ドイツと、同国の次期選挙で争う2人の候補者は、開放性、公平性、正義といった欧州の価値観への正面攻撃を食い止める最後の砦となるだろう。しかし、それだけで私たち自身から私たちを救えるわけではないし、そうであってはならない。
今日、パリの地下鉄に乗り、その後、私の大学であるHECパリの教室にいたとき、私はどうにも居心地の悪さを感じずにはいられなかった。私は、これまで経験したなかで最も分極化した社会に暮らしている。
昨日の選挙はフランス社会を分断した。そして今後も分断し続けるだろう。これは旧大陸に生きる私の世代にとって、根本的に新しく、心をかき乱す事態であり、上の世代にも下の世代にも懸念の種となるはずだ。
かつてないほど、欧州の未来は私たちの手に委ねられている。

