太平洋地域における銃規制の意外な成功

太平洋地域における銃規制の意外な成功
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最近の見出しは明白だ。私たちの世界は、恐怖に満ち、血にまみれ、怒れる男たちと野放しの銃があふれる場所だ。しかし、そうではない地域もある。

広大なある地域では、違法銃器の着実な拡散と銃撃による死亡がほぼ抑えられ、時には逆転さえしてきた。太平洋諸島フォーラム加盟16カ国のうち12カ国では、通常 非武装の警察官が巡回している。10カ国には軍隊がない。南西太平洋の島嶼コミュニティは、反対がほとんど、あるいはまったくない中で、武装しない状態を法律で定め、積極的に維持するよう促されてきた。

これは単なる偶然ではない。ブーゲンビルの9年間に及ぶ分離独立戦争が1997年に終結したとき、最大で1万2000人から1万5000人が 死亡していた。それ以降、太平洋諸国の政府は近隣地域の武装解除に最善を尽くしてきた。

これは大きな変化だ。数十年前、オーストラリアは新たに独立したパプアニューギニアの国営武器庫に、何千丁もの突撃銃と拳銃を供給した。その後キャンベラは、同国の警察と軍の銃器の4分の3が 台帳から消えていたことを知り、落胆した。そのころには、PNG高地地方からブーゲンビルまで、ソロモン諸島からフィジーまで、政府に供与された銃が、軍事クーデターや反乱、部族間・民族間の暴力、武装犯罪の増加、銃による殺人の 相次ぐ発生 を助長していた。

新世紀を迎えて事態の認識が広がると、立て直しが始まった。太平洋諸国は、ほとんど注目されなかったものの、振り返れば驚くべき地域的合意を形作った。それは今や、私たちを世界の多くの地域とは異なる存在にしている。

武器に満ちた世界で、異なる道を選ぶ

平和を取り戻すために銃をさらに持ち込むのではなく、メラネシアでは反対の道を試みた。法の支配と人権を回復し、医療と司法を利用できるようにし、安全な環境で健全な仕事を進めるために、銃器は復興と再開発を妨げる最も差し迫った障害と見なされた。

2001年には、意図的に 武装しない平和構築要員 と、地域主導で設計されたブーゲンビル和平プロセスが、武装解除と武器廃棄を政治的自治と独立への願いに結び付けた。多くの銃が保管され、銃撃事件は今ではまれだ。

太平洋諸国12カ国の警察や軍の武器庫は、一部がトタン小屋にすぎなかったが、突如として 援助国の優先課題となった。オーストラリアとニュージーランドは顧問や建設作業員を派遣し、数百万ドルを投じて、太平洋の島嶼国の近隣諸国が保有する銃を保管し、多くの場合は破壊した。

キャンベラはひそかに、パプアニューギニア国防軍(PNGDF)に働きかけ、その後、支援と資金提供を開始して、小火器の 3分の1超を破壊 させた。PNGDFはその後、世界の軍隊の中でも最高水準の銃器破壊率を達成した。

2003年、危機からの脱却を支援するため地域支援ミッション(RAMSI)がソロモン諸島の首都ホニアラに到着した際、太平洋諸国政府の 最優先事項 は、驚くべきことに、異論が聞こえることもなく、警察と民間人の銃器をすべて直ちに回収して破壊することだった。圧倒的な国民の支持を受け、国内で 保有していることさえ把握されていなかった銃を上回る数が破壊された。法律上、ソロモン諸島は今や銃のない国であり、銃器の携帯を許されているのは、特別な訓練を受けた少数の警察官だけだ。

銃規制は確かに効果をもたらす

私が「太平洋の武装解除合意」と呼ぶものは、島々にとどまらず、潮流となった。数十年で最も保守的な指導者に率いられ、当時のジョージ・W・ブッシュ大統領から東南アジアにおける アメリカの保安官 と評された、地域の大国オーストラリアは、米国では今なお考えられないことを実行した。銃器業界がかつて「アサルトウェポン」として宣伝した半自動小銃に加え、連射式散弾銃や犯罪者に好まれる種類の拳銃を禁止した。

100人が死亡した一連の銃乱射事件に衝撃を受けたオーストラリア国民は、自国の銃文化に背を向けた。国民の賛成が最大95%に達する世論調査が示される中、連邦政府が資金を出した2回の銃器買い戻しと、警察主導による数十回の小規模な銃器恩赦によって、 100万丁を超える銃器、すなわち民間保有銃の3分の1が、精錬所へ送られた。

銃器法が強化されてから 18年以上が経過した が、その間も 一部の人々は 規制緩和を 求め続けてきた 。それでも、オーストラリアで銃撃によって死亡するリスクは、依然としてかつての 半分未満 だ。5カ月前に、銃の所有者が家族4人を 射殺 し、続いて自ら命を絶つ事件が起きるまで、これらの年月には銃乱射事件もなかった。

国内の銃規制と外交政策は歩調を合わせて進み、太平洋地域の商業拠点であるオーストラリアとニュージーランドは、島嶼部の武器取引を取り締まった。ニュージーランドは、ソロモン諸島の民族間暴力を助長する恐れがあるとして、バヌアツの銃販売業者に弾薬を輸送する輸出許可を拒否した。オーストラリアは パプアニューギニアへの輸出を締め付け、銃弾が著しく不足した結果、南部高地地方の傭兵銃撃犯たちは、顧客への対応が難しいと苦情を述べた。

ニュージーランドとオーストラリアは、今も地域の武器取引で最大の役割を担っているが、現在は武器の拡散よりも、オセアニアの軍備管理に大きく貢献している。

武器の流入が殺害と戦争を助長する

そして、ここに対照がある。今月初め、米国のバラク・オバマ大統領は再び、 ウクライナへの銃器供与を検討した。中東各地では、紛争への標準的な対応は、平和を強制するために銃をさらに空輸することだった。

イラクでの一件だけを見ても、米国政府監査院は、米国の同盟国向けに新たに輸入された20万丁の突撃銃とグロック拳銃が、 行方不明になったと明らかにした。CIA独自の用語で「ブローバック」とは、今日の自由の戦士が明日は犯罪者、あるいはテロリストにさえなり得ることを意味する。

しかし、こちらがより太平洋地域らしい対応だ。2006年、オーストラリアの島嶼部の隣国、東ティモールの首都ディリに、地域介入部隊が到着した。その最優先事項は、ティモールの軍と警察を武装解除し、次いで地元ギャングから武器を取り上げることだった。「ディリでは全員の武装を解除する」と、 述べた のはミック・スレーター准将だ。2カ月後、平和維持要員は違法銃器の大半が引き渡されたと確信していた。

もちろん、太平洋の近隣諸国は皆、概して良好な友好関係にあり、近隣に紛争地帯も武器密輸ルートもない。組織犯罪、コカインやアヘンの栽培は繁栄していない。郵便局員がオーストラリアの犯罪者向けに グロック拳銃を数百丁輸入した事例を除けば、1980年代以降、この地域に違法な小火器や弾薬が大量に持ち込まれたと指摘できる取締機関はない。

オーストラリアでは、アリのように少量ずつ――多くは米国郵便で部品に分けて密輸される――銃が取引されているが、口径の偶然の違いにより、アフリカや南アジアを襲った「AK-47の災厄」は免れた。国際的な同盟関係により、太平洋地域の法執行機関と軍はNATO規格の銃器と弾薬を選ぶ。地元の警察官や兵士が犯罪や紛争で使われた最も破壊的な銃器を供給し、PNGの警察大臣でさえ、警察官による「弾薬の無差別な一般販売」を 認めた 後では、供給が需要を左右していることは容易に理解できた。

オセアニアでは、東側陣営の武器に合う弾薬は非常に珍しい。そして弾がなければ、AK-47でさえただの棍棒にすぎない。

地域として、また太平洋の人々としての私たちの相違が、今日の太平洋地域の気風を生み出したのは明らかだ。しかし、鍵となる違いは何だろうか。私たちは暴力性の低い人々なのだろうか。

米国の殺人犯罪について取材を受けた著名な犯罪学者フランクリン・ジムリングは、 その考えを否定した。

シドニーのバーでもロサンゼルスのバーでも、口を殴られる可能性は同じくらいです。しかし、ロサンゼルスで殺される可能性は20倍です。

違いは銃だ、とジムリングは述べた。

オセアニアは、ほとんど無意識のうちに、独力で新たな姿勢を築き上げた。少なくとも当面の間、私たちはアメリカで人気の標語を書き換えた。地域の車のバンパーに貼る標語は、今こうなっている。

武装しない社会は、礼儀正しい社会である。

この記事は、 The Conversationとの協力により掲載しています。掲載は、世界経済フォーラムが見解を支持することを意味するものではありません。

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著者:フィリップ・アルパースは、シドニー大学公衆衛生学部の客員准教授です。

画像:ソロモン諸島の首都ホニアラで、交戦中のマライタ・イーグル・フォース(MEF)のメンバーが引き渡した武器と弾薬の前に座る地元の少年。ロイター/オーストラリア陸軍/ゲイリー・ラメージ。

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