グローバル化は人々を取り残してきた。私たちが取り組むべきこと

A sand castle is washed away by the sea in Clacton-on-Sea, a town in eastern England, where 70 percent of people voted on June 23, 2016 to leave the European Union, Britain August 22, 2016. REUTERS/Neil Hall
'The most fundamental lesson is that to address a problem, you first need to notice it.'Image: REUTERS/Neil Hall
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世界経済フォーラム年次総会2017での、英国首相テリーザ・メイによる特別演説はこちらでご覧くださいこちら。

グローバル化と自動化によって人々が取り残されていると感じ、民主主義の基盤が損なわれているのではないかという懸念が、最近、流行のように広がっている。こうした懸念には、ある程度の根拠があると私は考える。しかし、これは新しい問題ではない。少なくとも1980年代までさかのぼる。私たちが当時この問題に気づかず、それ以降も対策を講じなかったため、今や危機的な規模に達しているのだ。

何十年にも及ぶ政策の失敗から、私たちは教訓を得られるだろうか。得られる。では、それを生かせるだろうか。そうならないかもしれないが、期待できる兆しもいくつかある。

最も根本的な教訓は、問題に対処するには、まずその存在に気づかなければならないということだ。ブレグジットの投票や、ポピュリズムの高まりがさまざまな形で現れたことに対する他の地域の反応で際立っていたのは、豊かで国際色豊かな都市に住む多くの有権者が、同胞の一部が自分たちとは大きく異なる考え方をしていると知って驚いたことだ。

そうした人々は、伝統的な雇用が一世代前から失われ始め、十分に補われることのなかった町や小都市に暮らしていることが多い。金融危機よりずっと前から、地域社会全体で実質所得の停滞や減少が続いてきた。

10年前、ベンジャミン・フリードマンは著書『経済成長の道徳的帰結』で、民主主義には、必要な譲り合いを円滑にする経済成長が欠かせないと論じた。自分の暮らしが良くなっていると感じる人は、他者の暮らしがより速く良くなっても、おおむね寛容に受け止める傾向がある。しかし、自分の生活水準が下がり、子どもたちの生活はさらに悪くなると予想すれば、より恵まれた人々への反感は避けられない。

自動化とグローバル化が産業を根本から変え始めて以来、少なくとも30年にわたり、経済全体が成長する一方で、広範な地域が苦境にあえいできた。大半の場合、この問題は政策立案者の目にほとんど留まらなかった。

危機の兆しを知らせる統計は存在していたが、誰も注目していなかった。トマ・ピケティが2014年の著作『21世紀の資本』で、どれほど多くの労働者が取り残されているかをデータから明確に読み取れるようにするため、膨大な労力を注いだ。

しかし、ピケティがしたのは議論の口火を切ったことにすぎない。私たちはなお、真剣な政策対応を打ち出す必要がある。1980年代から取り組むべきだったこと、つまり地域政策をはるかに重視することを始めるのに、遅すぎることはない。主な要素は三つある。

インフラ

大都市は常に経済成長の最良の孵化場となる。人が一か所に多く集まるほど、知識が互いに広がりやすくなるからだ。しかし、都市間を結ぶインフラを整備すれば、小都市や町が抱える構造的な不利を縮めることができる。

この提言には、高速ブロードバンドをあまねく利用できるようにすることが含まれる。同時に、高速鉄道など、より良い交通手段の必要性も示している。仮想のコミュニケーションと対面のコミュニケーションは補完し合うものであり、代替するものではないからだ。

教育

卒業後に子どもたちが直面する技術中心の世界に向け、どのような教育をすべきかについて、私に専門知識があるとは言えない。しかし、現在の教育が間違っていることはほぼ確かだ。多くの学校は今も、費用がかかる割に性能の高くないコンピューターへ子どもを仕立てる工場のようだ。

明白で、よく議論されている改善策の一つは、コーディング教育を増やすことだ。必要な技能を持つ教師が足りないこともあり、私たちはこれに苦労している。もう一つの改善策は、問題解決における創造性など、機械が習得するには最も遠いと思われる人間ならではの能力を、子どもたちが伸ばせるよう支援することだ。

権限の地方移譲

地域ごとに創出できる仕事も、必要とする教育の種類も異なる。そこで最後の優先課題として、地方政府により大きな権限を与えることが挙げられる。遠く離れた都市の官僚が教育政策を決めるなら、地域経済に適した技能を生徒に身につけさせられると期待するのは無理がある。

他の政策分野も同様だ。昨年の選挙をめぐる衝撃から得られる明確な教訓の一つは、多くの人が自分には物事を動かす力がないと感じていたことだ。人々は、自分たちとは異なる人々が、自分たちの暮らしを左右する決定を下していると見ている。中央銀行、多国籍企業の役員会、活況を呈する首都など、遠く感じられ、周辺地域とのつながりを失っているように見える場所で決定がなされる。英国の国民投票運動で最も共感を呼んだスローガンは、「主導権を取り戻す」という約束だった。

民主主義を損なう要因の一つが、人々が権力から切り離されていると感じることなら、解決策の一つは、権力を人々の近くに戻す方法を探ることだ。

公共部門の投資と政治的意志

どれも言うほど簡単ではない。取り残された地域や町に機会を生み出すには、資源の大幅な振り向けが必要となる。質の高い教育やインフラは安くない。さらに、取り組みは公共部門が主導する必要がある。取り残された地域の人々が利用できる資本は、公的資本だけだからだ。

現在の財政課題を考えれば非現実的だと思う人もいるかもしれない。しかし、問題は資源よりも政治的意志にある。企業や富裕層への税優遇措置を終わらせることに本腰を入れれば、投資資金は確保できる。

技術の変化は、それが引き起こしている社会の混乱を和らげる機会ももたらす。第4次産業革命は、賢明に舵取りすれば、すべての人の暮らしを向上させることができる。

少なくとも英国では、政治家が理解し始めたかもしれないという、心もとないながらも兆しが見える。「産業政策」という言葉が再び使われるようになったのは心強い。新たな略称「JAMs」も広まりつつある。「かろうじてやりくりしている人々」を指す言葉だ。洗練された表現とは言えないかもしれないが、少なくとも問題に名前を与える助けにはなる。

歴史が示すように、多くの人々が将来に悲観的になると、本来なら対処可能な危機も、すぐに制御不能な事態へと発展しかねない。政策を正すために、さらに何十年も費やす余裕はない。

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