男性を装う女性を装う女性。三重アイデンティティ症候群? そうではないが、これはブレイク・エドワーズ監督のミュージカル映画『ビクター/ビクトリア』の愉快な主人公のことだ。1930年代半ばのパリを舞台に、ビクトリアは食べるものにも困るソプラノ歌手で、ビクターという名のゲイの男性としてキャバレーで歌うことを決意する。ビクターはさらに女性になりすます。ビクトリアはすぐに成功し、男性も女性も惹きつける。「コメディーやミュージカルの場面には、ジェンダー認識、差別、男女間の争いについて、驚くほど鋭い観察が織り込まれている」(1)。
映画を大いに楽しめるだけでなく、自分とはジェンダー、文化、人種、宗教が異なる人の立場になってみると、偏見をどう変えられるかを考えるきっかけにもなる。相手の見解や意見をよりよく理解するために、別の人のアイデンティティを真剣に想像してみたことはあるだろうか。これは、一部の企業やビジネススクールで、多様性を評価し尊重する方法に気づくために実践されているロールプレイ演習だ。
私たちはどのようにアイデンティティを形成するのだろうか。幼少期にまず、家族、集団、国、あるいは地域との一体感を持つようになる。この愛着は人生を通じて強まり、特定の集団の慣習、関心、好み、さらには料理を好むという形で表れる。多くの人にとって、集団に属していると感じることは自己認識、つまり「私は誰か」という問いに答える要素の集まりの一部である。
興味深いことに、外交官や海外赴任中の幹部の子どものように、複数の国で育った子どもは、単一の文化や集団への帰属意識が希薄になりがちだ。さらに、幼少期や若い頃を旅して過ごした人は、自分の文化から遠く離れたものも含め、異文化に関心を持つことが多い。異なる文化に触れた子どもや、他の社会に関心を示す子どもは、同じ場所で育ち、国内の環境に結びついていると感じる子どもよりも、リーダーシップ能力が高い傾向にあることが研究で示されている。(2)近年の歴史におけるその顕著な例がバラク・オバマだ。彼は幼少期の多くをインドネシアで過ごし、その後、米国の複数の都市で育った。集団への帰属意識は根本的に文化的なものであり、幼少期から教育を通じて身につける習慣である。そして興味深いことに、霊長類の仲間の行動にも見られる。
こうしたことを踏まえ、帰属意識と起業家精神やリーダーシップの資質との関係に関する三つの問いを論じたい。
第一に、帰属意識は生来のものではなく文化的な習慣であるため、変えることができる。たとえば、教育の早い段階で地球規模の共同体に暮らしているという意識を育てること、旅をしたり海外に住んだりすること、子どもたちに異文化やなじみのない文化への関心を育むことが挙げられる。こうした幅広い帰属意識を育てることは、後年のリーダーシップスキルや対人・異文化間の交流能力を高めると私は考える。
第二に、帰属意識は生涯にわたり、成人期に至るまで、また成人期の間も変え続けることができる。たとえば、大学の交換留学プログラムに参加することや、キャリアの過程で、異なる文化の人々とビジネスをするため別の国や大陸で働くよう派遣されることが挙げられる。
帰属意識を乗り越えるもう一つの方法は、ある時点で働く業界や会社を変えることだ。自分の経験を例に挙げることをお許しいただければ、私は法学の学位を取得し、道徳哲学の博士号を持ち、MBAも修了した。まったく異なる三つの分野だ。同時に、大学で哲学や経営戦略など幅広い科目を教え、コンサルタントとして働き、取締役を務め、学術機関の管理職も経験してきた。私は自分を単なる弁護士とも、純粋な研究者とも考えておらず、職業上の経歴が複合的で型破りであることを自覚している。職業を尋ねられると、たいてい「教育者」と答えるが、その答えに戸惑う人もいる。
いずれにせよ、こうしたキャリアの多様な側面は、子どもの頃からずっと携わりたいと思ってきた活動、すなわち教育について、多次元的な視点を持つ助けになったと考えている。教育を含むさまざまな分野で、幅広い経歴を持つ専門職が享受する利点も見て取れる。多様な職業経験、とりわけ異文化に関わる経験は、創造性やイノベーション、そして既成概念にとらわれない思考を促す姿勢を育むと考えるからだ。
若い専門職への私の助言は、専門化を目指すより、半専門化を選ぶことだ。そうすれば、ほかの職業上の機会にも開かれた姿勢を保てる。たとえば、金融学の博士号を持ち、関連する学術誌にしか論文を発表せず、自分の専門分野の会議にしか参加せず、同じ分野の研究者としか話さない人は、きわめて狭く、慣習にとらわれた職業観を持つことになり、イノベーションを妨げるだけだろう。
同時に、学界や他の職業における従来の評価・昇進の仕組みをなくそうと言っているわけではない。しかし、私たちを取り巻く環境が変化するのと同時に、仕事を変革する助けとなるアプローチにも開かれている必要があると思う。不変の昇進構造に基づく過度なキャリアの標準化は、創造性を抑えがちだ。その結果、停滞や硬直したパターンを招き、それを打ち破れるのは、制度の中に時折現れる天才だけとなる。
第三の問いは、インターネットやソーシャルネットワークによって、若者の帰属意識がどの程度薄れているかだ。LinkedInのようなプラットフォームを通じて、異なる、しばしば遠く離れた場所にいる友人や同僚と連絡を取り合えることは、異文化への認識と尊重を促すと同時に、自分たちの社会や価値観をより客観的に見る助けにもなる。
ここまで読んだ読者は、なぜ私が従来の集団を超えて帰属意識を広げることを考えるよう促すのか、と尋ねるかもしれない。結局のところ、霊長類の行動が示すように、同質性を求めるのは生物学や自然によって条件づけられているのではないか。仕事の世界で他者との類似点を探し、私生活でも共通点を求めるのは、自然なことではないだろうか。
幅広い研究に基づく私の考えでは、多様性を受け入れ、他者の宗教、文化、民族、ジェンダー、性的指向、階級にかかわらず、人類への帰属意識を育むことは、感情知能の発達に役立つ。その過程で、イノベーションや創造性、さらに数多くの美徳に対する開放性が高まり、いずれも人間関係や職業上の成功を促すことにつながる。同時に、このアプローチは寛容さを広め、世界を理解し、ギリシャの哲学者たちが「善き生」と捉えた生き方を実践する多様な方法への敬意を促す。
すでに述べたように、より幅広い帰属意識は生涯を通じて育むことができる。そのために、個人的な視野を広げるのに役立つ実践をいくつか取り入れられる。
– 国際メディアを通じて海外の出来事を把握し、遠い文化についての本を読み、世界の多様な状況に近づくドキュメンタリーを見る。
– 対面でもソーシャルネットワークを通じても、自分とは考え方や外見、暮らし方が異なる他文化・他環境の人々と関係を築く。
– 議論の場で、異なる役割を担ったり、自分とは異なる考えを提案したりする。この方法は教育現場でますます使われており、討論の参加者に、遠い文化の出身者や別のジェンダー、性的指向を持つ人など、現実の自分とは異なるアイデンティティを割り当てたり、自分のものとは大きく異なる個人的利害を擁護するよう求めたりする。
多様性を受け入れることは、あなたのアイデンティティを豊かにし、対人スキルを高める。同質性を求めることは人格を貧しくし、知識を狭めるうえ、退屈でもある。
注
(*)この投稿を、先週金曜日に卒業したIEビジネススクールのMBA、ハビエル・アルトゥーロ・カメロと、その母ミリアム・マルティネス・デ・カメロの思い出に捧げる。二人は昨日、チュニスでのテロ攻撃によりともに命を落とした。優秀な学生であり、傑出した人物だったハビエルの記憶は、私たちの心に消えることなく残る。この機会に、世界中のあまりにも多くの家族に極度の苦痛と悲しみをもたらす、あらゆる形態のテロを非難する。
(1)ジーン・ベイカー著、http://www.imdb.com/title/tt0084865/plotsummary
(2)ハワード・ガードナー、エマ・ラスキン著『Leading Minds. An Anatomy of Leadership』(ニューヨーク:ベーシック・ブックス、2011年)、第2章。
本記事は LinkedInとの共同制作です。記事の掲載は、世界経済フォーラムが見解を支持することを意味しません。
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著者:サンティアゴ・イニゲスはIEビジネススクールの学部長。
画像:2014年3月21日、ダウガフピルスのロシア文化センターに展示された、ペイントされたマトリョーシカ、またはロシアの入れ子人形。ロイター/Ints Kalnins。



