難民が事業を始める際には、非常に大きな課題に直面する。正規の教育、資金、社会関係資本(地域社会での人間関係)、英語力、現地市場や規制に関する知識が不足している人も多い。
私たちの調査は、ハザラ人難民コミュニティーを対象とし、彼らがいかに困難を乗り越えているかについて手がかりを示している。彼らは時間をかけて仕事で得た収入を貯め、開業資金を用意した。多くの場合、友人や家族と共同で事業を始めた。収容された経験を強みに変え、収容施設で出会った他のハザラ人と組んで事業を立ち上げた人もいた。
要するに、ハザラ人の起業家たちは、勤勉さと決意、そしてリスクを取る姿勢によって英語を習得し、資金と社会的ネットワークを築き、アデレードとそこで得られる機会について理解を深めた。
私たちは31人のハザラ人難民にアデレードで聞き取りを行った。その内訳は男性29人、女性2人で、うち15人は船で到着し、オーストラリアの収容施設で過ごした。彼ら起業家は地域で180人を超える雇用を生み出している。さらに、下請け業者を870社以上抱える事業者が1社ある。
最も意外な起業家たち?
一見すると、難民、とりわけハザラ人は、起業家として最も意外な存在に思える。融資を受けることや、現地市場にどのような機会があるかを知ることなど、起業時に直面する課題を考えると、彼らがこれほど成功しているのは、ほとんど逆説的ですらある。
全体として、多くの移民グループでは、オーストラリア生まれの人々より自営業に就く割合が高い。これは、一部の文化が他より起業家精神に富むというより、必要に迫られた結果と考えられる。たとえば、人種差別は制度的にも日常的にも、就職への道を阻むことがある。
しかし難民は、資金を集めたり市場のニッチを築いたりするために、大規模な家族や地域のネットワークを頼れない点で、他の移民とは異なる。
また、多くの難民は、オーストラリアや他国に定住する前に事業を営んだ経験がある。私たちの調査対象者の3分の1は、アフガニスタンで自分自身または家族が起業した経験を持っていた。世界各地の難民が営むこうした事業は、インフォーマル経済の中で営まれていることが多く、特にアフリカ、アジア、ラテンアメリカでその傾向が見られる。
難民の起業に関する別の研究によると、アデレードのハザラ人コミュニティーは孤立した事例ではない。
ウガンダにいるコンゴ、ソマリア、ルワンダの難民を対象とした調査では、60%が自営業であることが明らかになった。難民が営むこれらの事業のうち、都市部では21%、農村部では15%が他の人々を雇用している。さらに、都市部で難民に雇用されている人の44%は、ウガンダ出身者である。
困難を乗り越えて
私たちが話を聞いた人々が始めた事業は実に多様であり、ハザラ人コミュニティーが地域市場に深く根を下ろしていることを示している。
ハザラ人の起業家のうち17人は、炭火焼きケバブ店か、アフガニスタン、中東、インドからの輸入品を扱う小規模食料品店を開いた。他にも、塗装業、保育施設、中古品販売所、自動車教習所、旅行代理店、翻訳サービスを始めた人や、タイヤや家具を販売したり、看板を印刷したりする人がいた。
バヤニ兄弟の物語は、旅行代理店を立ち上げたハザラ人移民のアセフとアリの歩みを通じて、多くの難民が目の前の課題をいかに着実に乗り越えていくかを象徴している。アリときょうだいたちがオーストラリアに到着したとき、英語力はなかった。ウーメラ収容施設で40日間過ごした後、家族は解放され、勉強を始めた。
私と弟は小学校へ、兄と姉は英語を学ぶためにアデレード・セカンダリー・カレッジへ通いました。
ほどなくして、アリと兄は通訳事務所を始めた。移民局から英語とダリー語の翻訳業務を請け負った。この事業を通じて多くの移民や難民と知り合う中で、兄弟はさらに大きな機会に偶然出会った。
「依頼人の多くが自分の国に帰りたがっていて、『手配してもらえますか』と私たちに尋ねました。あまりに多くの人を紹介したので、『自分たちでやってみたらどうだろう』と思ったのです」
兄弟は現在、旅行代理店と翻訳サービスの両方を経営し、さまざまな国籍の下請け業者870社を通じて事業を行っている。
データと研究は、人道的理由で受け入れられた難民が、他の人々に比べて起業家となる割合が高いことを明確に示している。しかも、彼らはしばしば数多くの課題に直面している。
こうした状況を踏まえると、オーストラリアでは特に「ボートピープル」、そして難民全般を、経済の負担であり、オーストラリア社会に相いれない存在とみなす否定的な政治的・社会的言説を見直すべき時かもしれない。
アデレードのハザラ人の目を見張る物語が示すように、船でたどり着いてから事業を築くまでの道のりは困難だが、勤勉さと決意をもって、オーストラリアが与えてくれた機会を生かせば実現できる。


