アフリカの人々がこの中国の都市に続々と集まる。その理由とは

An African woman shops at a market at "African village" in Guangzhou, Guangdong province, October 25, 2014. Chinese authorities have identified the southern province of Guangdong, home to Asia's biggest African population, as a frontline in their efforts to prevent the deadly Ebola virus from entering mainland China. Picture taken October 25, 2014. REUTERS/Alex Lee (CHINA - Tags: HEALTH BUSINESS POLITICS DISASTER) - GM1EAAU1L6M01
Guangzhou is the urban center of the world’s manufacturing powerhouse, with a large population of foreigners.Image: REUTERS/Alex Lee
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時代ごとに、世界中の夢を抱く人々を引き寄せる磁石のような都市がある。19世紀後半から20世紀初頭のニューヨークもそうした場所だった。エリス島では移民たちが、彼らの多くが生まれたヨーロッパの村やスラムから遠く離れた新世界で、アメリカン・ドリームを追う機会を待っていた。

今日、そのような場所の一つが、世界の製造業の一大拠点である珠江デルタの中心都市、広州だ。世界的な機会に恵まれた広州には、世界各地から外国人が集まっている。

広州には多くの外国人が暮らしているが、その数は明らかでない。国勢調査によると、2010年に中国全土で暮らしていた移民は約59万4,000人で、人口2,000人当たり1人にも満たなかった。

時代ごとに、夢を抱く人々を引き寄せる磁石のような都市がある。

広州の外国人数については、推計に大きな開きがある。ある最近の報告書は、人口約1,300万~1,400万人の広州に、2014年1月から8月までに外国人が出入国した件数は305万件で、市内に居住登録している外国人は8万6,000人と推定している。別のウェブサイトは、広州には常時およそ50万人の外国人がいると推計する。あるサイトによると永住外国人は3万4,000人、別のサイトでは4万7,000人、さらに別のサイトでは12万人だという。

正確な数字を把握するのは不可能だ。公式の数字が非公開、あるいは不明であることに加え、広州には不法滞在している外国人も多い。確実に言えるのは、広州には合法か違法か、数えられているか否かを問わず、多数の外国人がいるものの、巨大な中国の人口全体から見ればごくわずかだということだけだ。

外国人の顔ぶれは幅広い。日本やヨーロッパの企業に勤める人から、中国製品を母国や地域に輸出する世界各地の商人までいる。広州は、南アジアや東南アジア、ラテンアメリカ、そしてとりわけ中東やアフリカへ輸出される安価な模倣品の主要な仕入れ拠点だ。広州で活動する開発途上国出身の起業家、とりわけ最大勢力を占めるアフリカ人たちは、この貿易を成り立たせるうえで欠かせない役割を担っている。

本書では、『広州の世界』広州にいる外国人の多様な姿を見たうえで、広州のアフリカ人起業家たちの暮らしと貿易を探る。2013年から2014年にかけて、私はアフリカ人やアラブ人の多くが働き、余暇を過ごす中心地である広州の小北地区に滞在した。こうした起業家たちを、「低位のグローバリゼーション」という視点から考察した。これは、弁護士や広告予算を抱える多国籍企業のグローバリゼーションではない。法の目をかいくぐりながら比較的少量の商品を送り、複数の大陸で税関職員に賄賂を渡し、商品を故郷の露店や街頭商人のもとへ届ける商人たちのグローバリゼーションだ。これは、世界の大多数の人々が経験するグローバリゼーションである。

今日の広州は、低位のグローバリゼーションを調査するのに世界で最も適した場所かもしれない。広東省と珠江デルタという中国の工業の中心地を束ねる大都市圏の中核であり、低位のグローバリゼーションを通じて流通する商品が売買される世界の中心都市だからだ。

では、低位のグローバリゼーションは広州でどのように機能しているのだろうか。契約や法律を通じてではなく、評判と人と人との信頼を土台に動いている。知らない相手と、文化を越えてその信頼をどう築くのか。ソマリア人商人の言葉を言い換えれば、こちらの言葉を話さず、英語もほんの少ししか知らない、自分と同じ宗教を信仰していないか、あるいは宗教を持たず、自分が飲酒や喫煙をしないのにそれをする相手を、どう信頼できるのだろうか。

さらに、法への姿勢が緩やかなケニアやナイジェリアのような社会から、西ヨーロッパ、日本、米国のような社会へと、足並みは一定しないながらも移行しつつある今日の中国で、低位のグローバリゼーションはどう機能するのか。今日の広州で実践される低位のグローバリゼーションには、究極的にどのような意味があるのか。

ここから、第二の問いが生まれる。本書で取り上げるアフリカ人たちは、広州で取引をするだけでなく、そこに暮らしてもいる。大半は数週間から数か月、一部は数年、そして少数は10年以上にわたって滞在する。合法か違法かを問わず広州に残り、中国人と結婚して家庭を築くアフリカ人もいる。彼らの将来には何が待ち受けているのだろうか。過去60年間、中国はおおむね単一民族・単一文化の国だった。しかし今、南部の都市・広州は国際的で多文化的な都市になっている。長期的に見て、これは何を意味するのか。50年後、あるいは100年後、中国は真に多民族・多文化の社会になっているだろうか。世代を経た先に、中国独自のバラク・オバマが現れるのだろうか。

広州の印象

白雲空港から地下鉄やタクシーで広州市中心部へ向かうとき、あるいは香港の羅湖口岸から高速鉄道で向かうとき、最初に目に映るのは、よく整備された都市かもしれない。そびえ立つホテル、きらめく百貨店、大規模な高速道路の高架、並木の続く広い大通り、そして清潔で速く近代的な鉄道や地下鉄。その姿は、先進国の典型的な豊かな大都市のように見える。

人民服を着た人々や、自転車の大群といった昔の中国のイメージを抱いている人にとって、今日の広州は衝撃的かもしれない。1980年代初頭に初めて広州を訪れたとき、目にしたのは暗い低層の建物、使えないトイレ、屋外の卓球台がある街だった。市場で見かけた人々のしわ深い顔が印象に残った。当時の私は、香港の通りを行き交う人々の柔らかく丸みを帯びた顔と比べて、「第三世界の顔」だと思った。1990年代半ばに再び広州を訪れた際、偶然、市内で最初期に開店したマクドナルドの一つに入った。従業員が一人、そしてまた一人と、英語でそっと、中国を離れて米国かヨーロッパで暮らしたいと切望していると打ち明けたのを覚えている。その夢が彼らをマクドナルドへと導いたのだった。

シャーロット・イケルズの著書『富の神の帰還』は、1980年代後半から1990年代初頭にかけての広州を包括的に描いている。国家による全面的な統制から自由市場の働きへと大きく移行する街であり、今日では当たり前となった高層ビルが建ち始めたばかりの時代だ。彼女の本に今日の広州が垣間見えるのは限られた部分だけだが、それは著者の落ち度ではない。ここ20年で広州があまりにも急速に変化したからだ。

これは、世界の大多数の人々が経験するグローバリゼーションである。

きらびやかな近代都市という広州の第一印象は、街をじっくり眺めるとある程度変わる。とりわけ、本書で描く小北などの地区では、別の光景が広がる。明るい光とネオンに彩られた活気ある街並みは変わらないが、地上に目を向けると目を見張る光景がある。ラジカセから流れるコーランの朗誦を聞きながら施しを求める物乞い、米ドルの札束を手にする回族の両替商、歩道沿いのカフェで水たばこを吸い、ミントティーをすするアラブ人、そして街頭では中国人を上回る数で行き交い、午前2時にも外出して祝うアフリカ人たち。少なくともこうした地区の広州は、中国の都市というより世界都市に見える。小北で何人もの中国人から、「ここでは自分が外国人みたいに感じる」と聞かされた。

イケルズが1990年代に描いた、本書で取り上げる場所にかなり近い広州の地区の姿は、別の点でも際立っている。彼女の本には外国人が一人も登場しないのだ。広州が外国人に本格的に門戸を開き始めたのは1990年代後半から2000年代初頭にかけてで、広東省の経済発展と中国の世界貿易機関(WTO)加盟が背景にあった。今日の中国の人口統計は不完全かもしれないが、2010年まで外国人は集計にさえ含まれていなかった。1990年代初頭には外国人の数がごくわずかだったため、イケルズは彼らに触れなかった。広州を余すところなく論じるとうたう今日の本なら、彼らを無視することはできない。

広州に来たばかりの外国人が抱く印象は、出身地によって大きく異なる。イラン人はこう語った。「テヘランと広州を比べるのは、1950年代の車と新しいメルセデス・ベンツを比べるようなものだ」。イエメン人はこう言った。「広州へ移るのは、過去から現在へ移るようなもの。洞窟から出てくるような感じだ」。別の中東出身の商人はこう話した。「高速道路も地下鉄もある。バーレーンには地下鉄がないんだよ、知ってる?……それにここの女の子たちは、あまり服を着ていない! 初日も二日目も、短いスカートに驚くけれど、そのうち慣れるよ」。

ケニア人は、自国と中国を比べて、より分析的な見方を示した。「広州と中国には感心せずにいられない。インフラ、都市計画。政府は鉄道網、道路、レクリエーション施設、公園を整備して10億人を支えられる。アフリカにはそうしたものが欠けている。ここに滞在している間、停電を一度も経験していない。そう、ケニアにも中国のようになってほしい!」一方、英国に長く居住していた西アフリカ出身の商人は、より悲観的な見方をした。「アフリカから直接中国へ来るアフリカ人は、ここを素晴らしいと思い、中国のようになりたいと願う。でも、ヨーロッパや米国で暮らしたことのある人は、あまり中国を好まない。私にとって、英国のあとに来た中国は『世界がひっくり返った』ようだった。中国では法律が守られない。契約書なんてトイレットペーパーみたいなものだ」。

ケニア人は、自国と中国を比べて、より分析的な見方を示した。「広州と中国には感心せずにいられない。インフラ、都市計画。政府は鉄道網、道路、レクリエーション施設、公園を整備して10億人を支えられる。アフリカにはそうしたものが欠けている。ここに滞在している間、停電を一度も経験していない。そう、ケニアにも中国のようになってほしい!」

一方、英国に長く居住していた西アフリカ出身の商人は、より悲観的な見方をした。「アフリカから直接中国へ来るアフリカ人は、ここを素晴らしいと思い、中国のようになりたいと願う。でも、ヨーロッパや米国で暮らしたことのある人は、あまり中国を好まない。私にとって、英国のあとに来た中国は『世界がひっくり返った』ようだった。中国では法律が守られない。契約書なんてトイレットペーパーみたいなものだ」。

こうしたすべてが示すのは、中国の世界における立ち位置だ。数千万人が飢餓に苦しんだ時代からまだ60年も経たない開発途上国でありながら、今や世界第2位の経済大国となり、多くの分野で世界の覇権をめぐり米国と競う超大国でもある。中国有数の豊かさを持ち、外国人の多い大都市の一つである広州は、この変化を体現している。

シカゴ大学出版局から刊行予定の『広州の世界:華南のグローバル市場に生きるアフリカ人とその他の外国人』からの抜粋。

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