AIが患者の治療成果や体験を向上させる力は確かなものだが、従来型のデータシステムによって制約されている。
医療分野は、機能ごとに分断されたデータアーキテクチャから脱却し、推論と自律的な行動を支えるため、マルチモーダルデータをリアルタイムで取り込むアーキテクチャへと進化しなければならない。
この新たな医療データアーキテクチャへ移行すれば、各国は、これまで見いだされていなかった新たな知見や発見を生み出し、自己学習型AIを活用する医療システムを実現することで、国民により良い医療を提供できる。
医療における人工知能(AI)の活用は、わずか数年で理論段階から変革をもたらす段階へと進んだ。すでにAIは、事務負担から診断、患者の治療成果に至るまで、医療のあらゆる側面を再構想する助けとなっている。
例えば、シンガポールのSingHealthでは、生成AIによる記録作成システムNote Buddyが、4つの言語で患者の診察内容を同時に文字起こしし、要約して診療記録を作成する。米国のメイヨー・クリニックでは、研究者がStateViewerというAIツールを開発した。このツールは、広く利用されている1種類のスキャンを使い、9種類の認知症に関連する脳活動パターンを、臨床医がより迅速かつ正確に特定するのを支援する。一方、カナダ・トロントのセント・マイケルズ病院におけるCHARTWatchのような予測ツールは、予期せぬ死亡を内科病棟で26%減少させた。
こうした例をはじめとする数々の事例は、人々の健康を向上させるAIの驚くべき力を示しており、世界の医療におけるAI変革は避けられないと多くの人が考える理由となっている。
しかし、避けられないはずのその変革は、壁に突き当たっている。医療データには、数十年にわたる異種システム、互換性のない形式、分断された記録、旧式のインフラにまたがる長く複雑な歴史がある。時代遅れのデータ構造は、AIを狭い特定業務向けのツールに限定し、マルチモーダルな医療データ全体にアクセスして推論、学習、行動できるソリューションの実現を妨げることで、イノベーションを制約している。より良く、個別化され、誰もが利用しやすい医療へ進むには、医療を支えるデータアーキテクチャを大胆に再構想する必要がある。
今日、デジタル化が最も進んだ組織や国でさえ、次世代のエージェント型AIおよび推論型AIシステムを支える、AI対応のデータアーキテクチャを備えていない。国家が、各国固有の文化、歴史、倫理の枠組みに沿って、主権型ヘルスAIを国の資源として広く活用するという約束を果たすには、それを可能にする医療データアーキテクチャへと再構想する必要がある。
医療のための次世代データアーキテクチャの構築
現代的なデータアーキテクチャを構築するうえで、次の概念が重要となる。
1. 統合データパイプライン
既存の医療データ構造の多くは、電子カルテ、検査機関、画像診断からの手入力に依存し、データを一括更新するために構築された。しかし、医療データはますます、リアルタイムセンサーや自動データ入力によって生み出されるようになっており、今後もその傾向は続く。
そのため、現代的なデータ構造には、インテリジェントな統合データパイプラインを活用し、受信データをリアルタイムでクリーニング、標準化、ラベル付けしたうえで、AIが理解できる数値表現へ直接変換することが求められる。このパイプラインは、比較的硬直したリレーショナルデータベースから、多次元グラフデータベースへとデータの基盤を移し、リアルタイムの意味理解と重要な文脈の把握を可能にする。
2. AIが利用、理解、探索できるデータにする
データを処理した後でさえ、医療に関する多くの重要情報は従来のキーワード検索では見つからず、ケアの改善や新たな発見につながる隠れたつながりも捉えられない。
ベクトルデータベース、グラフベースおよび階層型のRAG(検索拡張生成)基盤、極端分類器、世界モデルなど、データの価値を最大限に引き出す新たな手法が確立されており、医療分野でも取り入れる必要がある。例えば、標準化され、検索可能で、ベクトル化されたデータ表現を用いれば、データを保存、注釈付けし、継続的にリアルタイムで利用できる。
ベクトル化などの手法は、マルチモーダルデータ(テキスト、画像、信号、ゲノム配列など)を、データポイント間の関係や意味を捉える多次元の数値埋め込みへと変換する。これによりAIシステムは、文脈を踏まえてデータを理解できる。例えば、類似する臨床症例の認識、症状と過去の転帰の関連付け、関連する研究成果の大幅に高精度な検索が可能になる。
特に課題となるのが診療記録だ。そこには患者の病歴を構成する重要な知見、メモ、経過の記述が含まれる。このデータはAIが扱うのがとりわけ難しい一方、AIの幅広い導入には欠かせない。こうした高度なアプローチは、このような複雑なデータを扱ううえで不可欠であり、AIによる知見の創出にデータを活用できるようにする。これにより、将来の臨床・研究ツールに不可欠な迅速な検索とリアルタイムの意思決定支援が可能になる。
3. 未加工、精選、拡充されたデータを、単一の管理環境に統合する
医療データの多くは、さまざまなコンテナに分断され、サイロ化している。データを単一のコンテナに移すには、費用がかかり、検索も難しくなる場合がある。医療システムには、ストレージの基盤としてデータレイクハウスが必要となる。これにより、柔軟性と信頼性の両方を確保する標準化された公開レイヤーを通じて、分析、AI、運用のための安全なアクセスが可能になる。電子カルテ、検査機関、画像診断装置、ウェアラブル端末、さらには患者向けアプリのデータを、生成されると同時に相互運用可能な単一の環境へ取り込み、1つのプラットフォーム上で分析やAIから容易に利用できるようになる。
4. 利用者や用途を問わず、データの一貫性、安全性、アクセスを確保する
医療分野は、マルチモーダルデータの複雑さと、厳格なセキュリティ規制や倫理要件が同時に課される点で、比較的特殊である。データはデータレイクハウスのように整然とした複数のコンテナにまとめて保存される一方、AIが医療上の知見を見いだせるよう、高度な安全性と検索性も備えていなければならない。
インテリジェントなデータファブリックは、さまざまなコンテナやルールに分散したデータを包括し、データの安全性とプライバシーを確保する。AIアプリケーションや臨床医がデータを要求すると、まず適切な承認とアクセス制御を持つ利用者かどうかを確認する。その後、データをファブリック経由で取得し、ファブリックが情報を結び付けて、エンドユーザー向けに一貫性があり文脈を踏まえた情報セットを構成する。
5. 信頼できる臨床・管理上の知見にデータを基づかせる
医療AIには、得られる知見が業務上および臨床上の指針に沿うよう、具体的なガードレールと文脈が必要だ。ナレッジグラフ(重要な概念や用語の関係を示すノード、エッジ、ラベルのネットワーク)は、文脈に基づき検証された臨床知見として、AIの判断や出力に情報を与え、それらの根拠を示す手段の1つである。これにより、ケアチームや業務担当者がAIの推奨を信頼し、検証できるようになる。
フォーラムが、リーダーによるAIの理解と責任あるイノベーションに向けた協働をどう支援するか
AIエクセレンス・センターは、分野を越えてリーダーを結び付け、人工知能の急速な進化と、経済や社会への影響について理解を深める場を提供する。また、AI導入に伴う機会、リスク、トレードオフについて、十分な情報に基づく対話を支援する。
信頼できる場と協働イニシアチブを通じて、センターはパートナーが共通理解を築き、AIのイノベーションと活用に関する責任あるアプローチに向けて協力することを可能にする。
自動推論を実現するアーキテクチャ
データモデルを、分断された静的な検索システムから、インテリジェントで継続的に学習する環境へ移行させれば、新たなデータポイントの一つひとつが、ただちにケアに役立ち、研究上の知見をもたらす。
この新たな枠組みによって、医療システムのAIはあらゆる機能にわたりリアルタイムで動作できるようになる。例えば、検査結果やバイタルサインモニターなど、あるシステムへの入力がストリーミング更新によってネットワーク全体に即座に反映される。さらに、このようなアーキテクチャを基盤に構築されたエージェント型AIツールは、自動推論が可能となり、世界規模で医療の質を大幅に向上させ、コストを削減できる。
このアーキテクチャを基盤に、AIエージェントは映像や音声を含むリアルタイムのセンサーデータを活用し、訓練を受けた専門家でさえ見逃す可能性のある微細な兆候を検知する。さらに重要なのは、あらゆる転帰やフィードバックの循環から学び、業務上および臨床上のケア基準に則りながら性能を向上させることだ。
研究用に訓練された他のエージェントは、データを同時に精査して異常やパターンを見つけ、調査上の問いに答え、画期的な発見、治療法、治癒法につなげる。また、各研究者や研究室にとってどのデータが有用かを継続的に学習する。
患者向けには、健康に関する質問への回答を訓練されたAIエージェントが最新の文献を把握し、基本的なケアや患者教育に関する質問に答える一方、その他の質問は適切な臨床医に振り分ける。
安全で患者中心のAIという構想は、今日すでに実現可能だが、最新のデータアーキテクチャを世界規模で導入して初めて実現する。このアーキテクチャを通じて、医療事業者、政府、その他の医療イノベーターは、データを治療成果へ、情報を思いやりへと変え、支援を必要とするより多くの人々に届けるという共通のビジョンを実現できる。
メイヨー・クリニックのMatthew Callstrom博士と、マイクロソフトのPeter Lee博士も本エッセイに寄稿した。


