データを石油にたとえてはいけない――デジタル化には新しい考え方が必要だ

Azerbaijani oil derricks
The old world … the oil industry created a division of labor that is outmoded today.Image: REUTERS/David Mdzinarishvili
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将来、より良く活動できるようにするには、知識の活用や集団学習のプロセスを、より見えやすくしなければならない。また、自分たちの思考にある偏りや弱点、盲点を自覚する必要がある。個人としても共同体としても、心がどのように働くのかについて理解を深めなければならない。認知と組織の人間工学は、職場や意思決定における新たな潮流だ。

「スマート」という言葉が流行しているようだ。スマートシティ、スマート交通、群衆の知恵、人工知能といった話題が、誰の口にも上る。知性、知識、能力、技能、学習する力は、リーダーシップや組織をめぐる議論に入り込み、いまや組織の競争力の中核を成している。データは新たな石油と呼ばれる。どちらの資源も巧みに活用すれば価値を生み出せるが、石油資源が枯渇する一方で、データ量は指数関数的に増加している。

私たちは石油を精製し、生活の質を高める一方で環境を損なうさまざまな用途に利用する術を学んだ。石油の煙に満ちた産業時代には、生産と物流のプロセスを磨き上げ、最高の効率を実現した。

情報社会という言葉が何十年も語られてきたにもかかわらず、情報に基づく問題解決や意思決定のプロセスは、依然として素人仕事のように見える。データ管理やデータ活用について語る際に使う言葉や用語さえ、まだ確立されていない。

分別ある人々も、組織の一員となると愚かな判断をする。私生活ではばかげていると思うような行動を、組織の中では許してしまう。組織内では愚かさが体系的に生じているように見える。だからこそ、真剣に受け止めるべきだ。

間主観的な物語

思考のパターンは、しばしば無意識のうちに私たちの行動を導く。こうしたパターンは、観察やエネルギーを特定の問題に向け、ほかの事柄を見えにくくする。

人はそれぞれの認識の仕方に導かれ、自分が見たいものだけを見て、かつて学んだことに頼りがちで、先入観を手放そうとしない。米国の理論家マイロン・トリバスは、こう述べている。「何が見えるかは、見始める前に何を考えていたかによって決まる。」

こうした共有された思考パターンと、それに結び付いた物語は、社会が期待どおりに機能し、人々の幸福が保たれるよう、私たちが作り出す道具だ。これらの物語は間主観的な物語と呼ばれる。その真偽は、具体的な現実と照らし合わせて調整される。

フィンランド芸術科学用語銀行は、間主観性を次のように定義している。「間主観性は、客観性とも主観性とも区別されなければならない。客観的なものは主体にかかわらず存在し、主観的なものは各主体にとってのみ存在する。一方、間主観的なものは、誰もがそれが皆にとって存在すると信じるから存在する。たとえば、貨幣の価値や言葉の意味がそうである。」

間主観的な物語は、多数の人々の協力を可能にしたため、ホモ・サピエンスの生存手段となってきた。人々が互いの認識を自律的に強め合うなかで、時とともにその力を増してきた。

奴隷制のもとでの人間観は、何千年にもわたって支配的だった物語の一例であり、過去に人々が特定の行動を取った理由を説明する。また、物語を覆すことの難しさと、逆転した物語が新しい世代には意味を持たなくなることも示している。

よく知られたアインシュタインの言葉によれば、私たちが作り上げた世界は私たちの思考の産物であり、思考を変えずに世界を変えることはできない。

100年前、耐久性のある包装材が不足していた。石油の利用がその問題を解決し、私たちはプラスチックという革新を生み出した。かつて望まれた耐久性は今や、何キロにもわたって漂うプラスチックの帯という問題になっている。プラスチックを生み出したのと同じ考え方では、この新たな問題は解決できない。

私たちの思考が作り出す物語が、人々や社会全体のニーズに合わなくなったり、目の前の問題に対する実効性のある持続可能な解決策を見つける妨げになったりすれば、問題を引き起こすのは明らかだ。

認識の偏りを克服する

世界の変化の速度は以前より速い。多様性の高まりと速いペースが、私たちに馴染みのある物事の捉え方に変化を迫っている。かつて認識されていた問題や適切な解決策は、今日直面する問題とは大きく異なる。

普遍的な妥当性や予測可能性の重要性が薄れていることで、この現象はいっそう顕著になっている。多くの組織が、かつて成功したやり方をあまりに長く続け、衰退していることからも、職場でこの現象ははっきり見て取れる。個人レベルでも、より多くの人々の仕事の性質や背景が日々変わり、技能や専門知識を絶えず更新する必要が生じている。

多様性の増大が速いほど、認識の偏りが生じるリスクも高まる。データを石油にたとえるのは、認識の偏りの一例だ。そうすると、私たちは実質的に、産業の視点を通してデータ活用を見ていることになる。

産業時代の概念は、多様性がはるかに低い世界で使われる道具を私たちに与える。つまり、産業時代のメンタルモデルが本来の目的に反するようになっても、私たちは使い続けている。

私たちは思考のパターンにとらわれ、問題をさらに悪化させるものを「薬」として与えてしまうことがよくある。認識の偏りは、個人にも共同体全体にも生じうる。

思考のパターン、それに基づく解決策、そして生み出される結果は、良くも悪くも互いに結び付いている。

たとえば、階層を設け、思考と実行を分けるという、かつての産業労働の編成方法で知識労働を組織すれば、明らかに失敗のリスクがある。階層と分業は局所的な業務効率を高める一方、知識や学習、創造性を共同で活用するうえで欠かせない、より包括的な共創を妨げるサイロを作り出す。

ある業務環境で成功する解決策が、別の環境では失敗の根本原因となることがある。

サービス提供における平等

多様性が少なく、その性質もより恒常的であれば、供給側だけに注目することで目的を果たせる。この認識方法は産業時代の組織や構造ではうまく機能し、提供能力を高めた。

しかし、従来型産業と成長するサービス産業では、認識の方法を大きく変えるべきだ。従来型産業は提供能力の向上を目指すのに対し、サービスの仕組みは相互に対応する能力を育てることを目的とするからだ。

従来型産業では、生産システムが直線的であれば個別製品の提供はうまくいく。一方、サービスの仕組みでは、顧客が生み出したニーズを満たすため、複数の専門家が個別に合わせたサービスを提供できることが求められる。

相互に対応する能力は、ニーズがどれだけ速く満たされるかで評価できる。ニーズがシステム内にとどまる時間が短いほど、サービスの仕組みの能力は高く、費用対効果も大きい。

そのため、サービス構造が多様な世界では、供給側の検討だけに集中することはできず、個々の状況に即して需要やニーズをまず理解する必要がある。この考え方は、サービス開発に対する従来の捉え方に変化を迫る。

公共部門の改革の多くは、多様性に対応する能力を高めるという課題に取り組んでいる。ニーズの多様性は大幅に増し、現在のサービスの仕組みも、ある程度は多様性を「吸収」できるようになっている。

均一で平等な解決策が平等を生む、と私たちは考えがちだ。多様な業務環境でサービスの仕組みが画一的な窓口を設けると、異なるニーズを満たすうえでの平等性が損なわれる可能性が高い。これまで、公共部門改革をめぐる議論では、供給側の検討にばかり焦点が当てられることが多かった。

多様な世界でサービスの仕組みがより円滑に機能するには、最前線にもっと多様性が必要だ。多様な業務環境の最前線で多様性を高めると平等性が増す。これは、現在の間主観的な物語と相いれない逆説である。

しなやかな心

今となっては想像しにくいが、「持続可能」と「開発」という概念を結び付けるのは、もともと不可能だと考えられていた。企業幹部と環境保護活動家は、共通の言葉を見つけるどころか、互いの良い点を見つけることにも苦労していた。長い議論を経て、持続可能な開発は新たに共有される間主観的な物語となり、いま私たちは大規模な地球規模の問題を解決するためにそれを頼りにしている。

人はさまざまな方法で学ぶ。直接観察したことに反応して行動を変える人もいれば、異なるものを組み合わせて創造的な解決策を生み出す人もいる。

学習で最も難しいのは、自分自身の思考パターンを見直し、組み替えることだ。高いメタ認知能力と、自分の基本的な前提を見極め、問い直す力が求められる。

自らを調整できるしなやかな心は、環境の変化に適応し、意義を感じる力を保つ機会をもたらす。複雑で厄介な問題は、情報量を増やしても解決しない。自らの思考パターンを絶えず分析し、変容させることを学ぶことで解決できる。

同様に、思考や行動に潜む数多くの自然な認知バイアスを自覚しなければならない。優れた物語は、それが真実かどうかにかかわらず、個人や共同体全体を巻き込む。私たちは自分の感覚をあまりに信頼するため、目に見えないものは存在すらしないように感じる。自分の意見を裏付ける議論や情報にしがみつき、ほかの情報を無視する。そして、成功するにはあまりに危険な飛躍であっても、結論に飛びついてしまう。

私たちは、同じ価値の獲得よりも損失を重く受け止める。実際にはそうでなくても、最終結果を自分でコントロールできると信じる。偶然の重要性を軽視する。進む道が間違いだと証明されても、その道を歩み続けようとし、自分の誤った選択を強く意識する。情報の提示のされ方に基づいて選択する。

私たちは、最初に見つけた情報に基づいて意思決定する。危機が起きると短期的には過剰反応する一方、長期的な影響を過小評価する。そのため、金融危機やバブルにいつも不意を突かれる。

アリストテレスの思考の次元

この時代に、集合知を十分に活用するには、どのように行動することを学べばよいのだろうか。

データ、情報、知識、洞察、結論、行動から成る一連のものを、産業時代の石油精製プロセスのように捉えることはできない。私たちは長い間、そうしてきた。データと呼ばれる原料を手に入れ、アーカイブや統計という倉庫に保管してきた。データを保存するサイロ、データ管理部門、アーカイブ機関、統計センターは、従来の物事の捉え方と、それに続く組織化や分業の考え方に沿って設けられてきた。

私たちはデータを保存するが、何を記憶しているのだろうか。それとも、サイロにある情報を忘れ、判断の瞬間にわずかな事実を思い出せる作業記憶だけに導かれて行動しているのだろうか。

データと人工知能は、多くの問題の解決策と見なされている。一方、オープンデータと、経験に基づく暗黙知、知性、知恵をどう組み合わせるかは、あまり語られてこなかった。データから知恵への道のりは、量から質へ、一般論から文脈に即した理解へ、容易な定型作業からエネルギーを要する取り組みへと向かう道のりでもある。

アリストテレスは、思考を三つの次元に分けた。エピステーメーは規則に基づく論理的思考で、科学的な推論や研究に表れる。テクネーは、物事を実践で試し、うまくいくかどうかを確かめることを指す。そして最後に、フロネシスは文脈によって定まり、その時々に示される倫理的選択に基づく知恵と定義される。

これらすべての知識の次元は、これからも必要とされる。しかし今日の地球規模の課題を解決するには、データと経験に基づく知識を組み合わせ、個々の状況に即した持続可能な解決策を生み出すことが重視される。

データ管理や情報に基づく意思決定は、情報を受け取り、伝達する精製プロセスとして扱われている。入ってくるデータが不十分であることや、情報が届けられるべき全員に届かないことが、問題と見なされる。

データの伝達は重要な視点だが、議論では心の複雑な仕組みが、まるで透明マントに覆われたかのように見えなくなっている。私たちの経験では、データ管理やデータに基づく意思決定に関する問題は、情報不足ではなく、利用者自身の思考パターンと異なるデータを活用しようとしないことに起因する。

理由はさまざまだ。自分の専門職としてのアイデンティティや、支配的な見解、伝統への信念に疑問を投げかけたくないこと、集団の結束を保つ信念、あるいはより広範な間主観的視点などがある。多忙さ、仕事のプレッシャー、自分の立場を失うことへの恐れ、権力をめぐる問題も、データ活用の妨げを大きくする。

感情は石油パイプの表面に傷をつけることはないが、データ管理の領域では流れそのものを止めることがある。感情を外部に切り離す組織は、学ぶことも意識を高めることもできない。感情は、周囲に対する姿勢や、世界に意味を与え解釈する方法の核心にある。感情を理解することは、データ管理の中核である。

欠陥のあるリーダーシップモデル

デジタル化は、以前の思考パターンの上に重ねるにせよ、新たに何かを築くにせよ、相互作用の比重が高い仕事を組織する新たな方法をもたらす。デジタル化は、過去の真実を最大限に機能させ、デジタル・テイラー主義を効率化するために使うこともできる。

私たちは、間違ったことをより良く、あるいはより速く行うことに長けている。私たちは今も主に、組織を戦場のように捉えている。たとえば、指揮官が状況の推移を俯瞰し、必要に応じて兵士に指示を出せるよう、近くの丘から戦況を監視するようなものだ。

デジタル化も同じ原則を用い、組織の兵士たちが自ら考えることを認めない。その考え方は、奴隷制に結び付く人間観に近い。このモデルをスマートと呼ぶ人もいるかもしれないが、賢明でも適応力が高いわけでもない。

経営上の意思決定には階層が今も必要かもしれないが、一方で、大幅な自己決定と共通の方向付けも必要だ。「組織」という言葉から権力構造を示す箱の積み重ねをまず思い浮かべるなら、人々の協力の組織を非常に限られた視点で見ていることになる。

簡単に言えば、リーダーシップは組織的な協力を実現する方法の一つにすぎない。この考え方は、リーダーシップの視点から世界を見る人にとって難しいものだ。業務環境、人々が協力する目的、そしてその取り組みへのコミットメントが許すなら、組織におけるリーダーシップの役割はごく小さくてもよい。

多様な世界では、状況認識を共有することで、組織とリーダーシップに新たな可能性が開かれる。思考、感情、視点、議論が自由に行き交うことが鍵となる。それは組織内だけでなく、付加価値を生み出すシステム全体を通じて必要だ。

階層や自分の地位を重視するリーダーは、部下の能力を低下させる。対話、創造性、情報の自由な流れを妨げる権力構造、エゴ、権威、そして心理的不安の温床は、専門家組織をむしばむがんである。

サイロ化した組織では複雑な問題を解決しにくい。分断は必ず集合知を低下させるからだ。

組織における集合的で共有された意味は、情報のサイロ化を防ぎ、本当に重要なことに集中できるようにする。変化の速い現実の中で、組織は自らの運営を外部の視点から検討できなければならない。観察に加えて、自分たちの思考パターンに疑問を投げかけ、批判を受け入れる方法も学ばなければならない。

情報の不一致、支配的な前提や信念と現実との矛盾は、データ管理を奏でる楽譜である。指揮者としてのリーダーの役割は、その不協和を明らかにすることだ。それは学習の前提条件だからである。

新しいことを学ぶのと同時に、以前学んだことを手放すのは、しばしばより難しいが、欠かせない。将来成功する人々は、かつて学んだことを手放す術を身に付けているだろう。

変化の根源

これからは、文脈や状況に結び付いた認識の仕方を選ぶことが、意思決定やリーダーシップの中核的な技能の一つとなる。問題を解決するためにどの方法を使うかは、認識の仕方によって決まるからだ。特定された問題を解決するより、未知の問題を見つける方法を学ぶ方が難しい。

私たちは、職場の雰囲気づくり、アジャイルやリーンのマネジメント、データシステムのプロジェクト、組織改革、リーダーシップ研修に多くの時間、労力、資源を費やしている。これらすべての出発点は、「私たちはどうすれば、共により賢く行動できるのか」という問いだ。

解決策は、出来合いの処方箋でも、現在のやり方の効率化でもない。言葉の本来の意味において、思考の仕方を根本から変える必要がある。「ラディカル」はラテン語のradix、つまり根に由来する。表面上重要に見えることに焦点を当てると、問題に対して何かをしているように見えるだけの姿が浮かび上がる。それだけでは不十分だ。

変化をめぐるこうした騒ぎの中でも、ゆっくりと変化し、深く根を張り、交差する根本原因に焦点を当てる時間を取らなければならない。草の根のレベルまで目を向ける必要がある。発展と学習を可能にするには、自分たちの思考を支える基本的な前提を明らかにできなければならない。

これこそが、私たちの価値観を反映する情報社会を築く唯一の方法である。そこでは誰もが、可能性を最大限に伸ばし、共同体に属し、自分の才能を意義ある形で発揮する機会を得られる。

相互作用、データ、知識から成る現実の中で、組織の運営や仕事を捉えるために、新たな間主観的な物語が必要だ。人工知能は解決策を見つけるための重要な新しい道具をもたらすが、問題解決にフロネシスを活かし、賢明に適用する場合に限られる。データ管理とデータ活用を包括的に捉える視点が必要だ。

それぞれの組織が成功するかどうかは、自らのエコシステムにおける特定の問題を解決するために、どれだけうまく学び、学んだことを活用できるかにかかっている。

Facebookで共有したいという意欲を生み、ポケモンGOをしながら検索し、Amazonで推薦し、Wikipediaでクラウドソーシングを行う力が、不平等の解消やAgenda2030の目標達成に使われたら、何が起きるだろうか。

データ管理と心についての理解を、個人としても共同体としても深めることには、投資する価値がある。多くの企業が「スマート」という言葉を絶えず使っていることを考えれば、まだ手つかずのブルーオーシャンは広大に残されている。

まずは、組織においてデータと学習に基づく業務の進め方や意思決定プロセスがどのように機能しているか、そしてどうすればより良く機能するかを見極めるとよい。これは、産業時代の認識から脱却して自らを再創造し、学習する共同体やネットワークへと向かいたいすべての組織に当てはまる。

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