制裁はロシアにとって本当は何を意味するのか?

Russian flag painted on an outside structure
Russia is experiencing a rise in nationalism say cultural critics.Image: Unsplash/Ilya Ryabov
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  • ロシアによるウクライナ侵攻を受け、多くの国や国際機関が同国に対する厳しい制裁を引き続き科している。

  • しかし、一部の国際的な研究者は、西側諸国の戦略は裏目に出る可能性があると考えている。ロシア人全員が戦争を支持しているわけではないのに、全員が制裁の影響を受けており、その結果、国際社会から拒絶されたと感じるようになるおそれがある。

  • 彼らによれば、過去の政治的・経済的な苦難は、ロシアとその国民を結束させる結果にしかならなかった。

ロシアがウクライナで容赦ない戦争を続け、数百万人のウクライナ難民が近隣諸国へ逃れるなか、西側ブランドはロシアから次々と撤退している。

800店を超えるマクドナルドの店舗の閉鎖は、とりわけ目を引く。マクドナルドはロシアに進出した初の米国レストランで、1990年に開店した。その進出は、ロシアの新たな親西側時代を象徴していた。

その時代は急速に終わりつつあり、ロシア・ナショナリズムの復活が勢いよく広がっている。こうしたナショナリズムは、制裁による同国の経済的窒息と、ロシアおよびウクライナとの戦争に対する西側諸国の広範な拒絶が直接もたらした結果だ。

西側諸国はロシアに制裁を科し、制裁が引き起こす深刻な経済危機によってかつてソビエト連邦の不可分の一部だった独立国家、ウクライナに対する血なまぐさい戦争が終わることを期待している。

私たちは国際的な批判的文化研究者であり、米国、欧州連合、ポストソビエト諸国など、さまざまな地政学的状況で豊富な経験を積んできた。制裁によってロシアとロシア人が考えを改め、戦争が終わると考える人々は、この国とその歴史、国民についてほとんど知らないと、私たちは考える。

ロシア人の絶え間ない苦難

ロシア人は動乱と不安定さに慣れている。20世紀から21世紀初頭にかけて、彼らは自国の政治指導者たちが押しつけた残酷な社会実験に耐えてきた。ミハイル・ゴルバチョフという稀な例外を除けば、その時代のロシアの指導体制は決して民主的ではなかった。

第一次世界大戦への参戦を弱い皇帝が指揮したこの国は、戦争を経て困窮した状態に陥った。皇帝の統治は、ボリシェビキの蜂起によって暴力的に覆され、その蜂起は数十年にわたるソビエト統治をもたらした。ソビエト国家の建設に伴い、何百万人もの自国民が強制労働収容所へ追放され、また、多くの人々が冷酷に処刑された。これは1917年から1956年にかけてのスターリンによる大規模な弾圧のさなかに起きた。

1929年に私有財産が廃止され、政治指導者たちはソビエト国家への絶対的で無私の服従を命じた。第二次世界大戦では、子どもを含むすべての市民が、苦痛を伴う犠牲を強いられた。

戦争が終わると、疲弊したソ連は比喩的な意味での鉄のカーテンを築き、市民が西側へ渡航したり、西側と連絡を取ったりするのを妨げた。ソビエト国家が共産主義の影響力を拡大しようとしたことで、冷戦が始まった。その間、農業改革の失敗によって食料配給制が生まれた。1990年の痛みを伴うソ連解体は、新たに成立したロシアに経済的混乱をもたらし、さらに失業と高い自殺率も招いた。

こうした苦難の一覧から、何が分かるだろうか。私たちには、制裁によって物資が不足してもロシア人をおびえさせることはできないと示唆されている。高級ファッションブランドやiPhone、高級コーヒー、外国車は、この20年間でロシア人の生活の一部になった。しかし、それらが生活に根づいてからの期間はあまりに短く、なくなった生活を想像できなくなるほどではない。いずれにせよ、ロシアでは高級企業と見なされるマクドナルドを含め、高級ブランドの大半はモスクワとその近郊で営業していた。一方、ロシア人の圧倒的多数は、自分たちの町でそれらを目にすることもなかった。

苦闘のなかで結束する

歴史を振り返ると、政治的・経済的な苦闘は、特に共通の敵に直面したとき、ロシアとその国民を結束させてきた。その敵として伝統的に示されてきたのは、西側諸国だ。

第二次世界大戦と冷戦は、自己犠牲をソビエトのアイデンティティの中核とする考えを中心に国民を結束させた。そのアイデンティティ、すなわち一種のソビエト例外主義は、はかない魂――神秘的なロシア語の「душа(ドゥシャ)」――を、滅びゆく西側の肉体よりも重んじる、道徳的に優越した国民という理念から成っていた。

ソビエトのアイデンティティは、ロシア人だけに限られない、実に多様な民族を包含していた。ソ連の首都はモスクワで、公用語はロシア語だったが、ソ連はほかに14の共和国から成り、100を超える民族をまとめていた。諸民族の統一という主張には議論の余地がある。というのも、しばしば強制的な同化によって均質化が押しつけられたからだ。ロシア語とロシア文化を広めるロシア化、そしてあらゆるものを国家が独占し、集団思考を伴うソビエト化である。したがって「ソビエト」とは、ウクライナ人、ロシア人、ジョージア人、ベラルーシ人、アルメニア人、アゼルバイジャン人、エストニア人など、ソ連に暮らしたすべての人を指す。

ロシアの近年の歴史において、多くの人々にとって制裁は日常の一部だった。Image: Unsplash/Michael Parulava

ソ連は、ソビエトの均質性と国民の道徳的犠牲を称揚する大仰な言説を用い、それを愛国心と祖国への忠誠心をかき立てる手段とした。その祖国の中核にあったのはロシアだった。よく知られた標語や格言には、次のようなものがある。「Раньше думай о Родине а потом о себе」/「まず祖国のことを考え、それから自分のことを考えよ」。「Я - последняя буква алфавита」/「『私』はアルファベットの最後の文字」――キリル文字ではそのとおりである。そして「Я русский бы выучил только за то, что им разговаривал Ленин!」/「レーニンが話した言葉だからこそ、私はロシア語を学ぶ!」

やがて「ロシア」と「ソ連」は、国内外で同じ意味のように理解され、使われるようになった。そのため、多くのロシア人、特にソ連で生まれ育った人々にとって、ウクライナが西側に接近するのを目にすることは、ロシアの歴史の一部が一緒に去っていくことを意味する。

傷ついた熊

西側諸国の制裁戦略は裏目に出る可能性があると、私たちは考える。

ロシア人全員がウクライナでの戦争を支持しているわけではないし、自分たちを戦争に引きずり込んだ政府を支持しているわけでもない。しかし、ロシア人は全員、制裁と危機に苦しんでいる。人々が共に苦しむ状況は危険だ。それはあまりにも身近で、人々を怒らせ、その一部は反撃に出ようとしている。

こうした事態の可能性は、ソビエト時代につくられ、ポストソビエト・ロシアで育った世代にまで影響を及ぼしているロシアの国民意識に根差している。西側の自由は部分的にしか魅力がない。歴史的に見て、ロシア人にはそれがなかった。言論の自由も、自己決定権も、信教の自由も、渡航の自由もなかった。

その代わり、ロシアの人々は忍耐強く、禁欲的で、しばしば非合理なほど、残酷な祖国に献身している。その祖国の独裁的な指導者が戦争を始めた。

ロシア人はどのような状況に置かれているのだろうか。私たちの見方では、深い宙づり状態にある。現在、ウクライナを爆撃し破壊している侵略国は、彼らが愛する祖国でもあり、今やありのままの彼らを受け入れる世界で唯一の場所でもある。

自国が国際社会のならず者国家と見なされることは、ロシア人にとって目新しいことではない。気候政策からスポーツ、外交政策に至るまでそうであり、その中には広く非難されたクリミア併合も含まれる。

しかし、今日の状況は極端だ。ロシア人が国際社会から拒絶されたと感じ、政府の側につく可能性は、高いと私たちは考える。

そうなれば、西側諸国に拒絶されるなか、産業と経済を復興するという名目のもとで、プーチンの独裁体制がさらに強化される可能性が高い。

ロシアには再び共通の敵が生まれるだろう。そしてロシアでは、従わない考えを持ち、行動することがたいてい深刻な結果を招くため、異論は聞き入れられない。プーチンの反対派であるアンナ・ポリトコフスカヤ、アレクサンドル・リトビネンコ、ボリス・ネムツォフ、アレクセイ・ナワリヌイをはじめ、多くの人々――殺害された人もいれば、投獄された人もいる――は、ロシアで政治的異論を唱えた場合の罰を示す警告となっている。

ロシア人に独裁政府への抗議を促すことは、西側諸国が実際に行ってきたように、彼らとの関係を断つ一方で行えば、思想的な矛盾をきたす。政府の行為を理由に国民を罰し、経済的に窒息させることになる。

シベリアでは、安全規則が生死を分ける。その一つは、熊が逃げられる道を常に残しておくことだ。熊は傷つき、追い詰められ、子熊を守ろうとするとき、とりわけ攻撃的になる。ロシア国民を象徴する傷ついた熊も例外ではない。

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