ローマ皇帝からCEOが学べること

A view of Rome's ancient Colosseum is seen August 5, 2010. Rome's ancient Colosseum literally crumbles from neglect, the cash-strapped Italian government is looking for private sponsors willing to help pay for restoration work in exchange for advertising rights. Picture taken August 5. REUTERS/Tony Gentile (ITALY - Tags: SOCIETY) - GM1E6861CXR01
Roman emperors saved what they thought was important about the past while adapting to the future.Image: REUTERS/Tony Gentile
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ローマ帝国は、政治的野心や軍事的勝利、汚職をめぐる物語によって、何世紀にもわたり歴史愛好家を魅了してきました。しかしローマ人は、効率性、工学上の偉業、そして遠く離れた地域社会を巧みに統治したことでも知られていました。今日のビジネスリーダーは、彼らが広大な帝国をどのように築き、運営したかを見れば、貴重な教訓を得られます。コーネル大学教授のバリー・ストラウスは著書『十人のカエサル:アウグストゥスからコンスタンティヌスまでのローマ皇帝』でそうした教訓を明らかにし、さらにシリウスXMの番組『Knowledge@Wharton』に出演し、それについて語りました。

以下は対談を編集した記録です。

Knowledge@Wharton:ローマ皇帝10人の物語とその遺産をまとめた理由を教えてください。

バリー・ストラウス:カエサルはもともと、ユリウス・カエサルのような家名でしたが、やがて私たちが皇帝と呼ぶものの一般的な呼称になりました。彼ら自身は皇帝とは名乗りませんでした。カエサル、あるいはアウグストゥスと名乗っていました。彼らは皆、ユリウス・カエサルやアウグストゥスといった王朝の創始者と血縁関係にあると主張したがりました。実際には、ほとんどの場合、血縁はありませんでした。養子になった者もいれば、単に権力を奪った者もいますが、皆が同じ家族の一員だと思いたがっていました。だから私たちは彼らをカエサルと呼ぶのです。

彼らがこれほど魅力的なのは、非常に原始的な技術しかなかった時代に、人口5,000万から7,000万人、領域の広さが3,000マイルを超える帝国を統治していたからです。民族や文化が非常に多様だったにもかかわらず、帝国を維持し、変化にも対処しました。彼らは、リーダーが変化にどう向き合い、過去の大切なものを守りながら未来に適応できるかを示す手本です。彼らの驚くべき現実主義と容赦ない適応力に、私は強く惹かれました。

Knowledge@Wharton:彼らリーダーのどのような点が、今日も人々の心に響くのでしょうか。

ストラウス:まず、彼らは創始者です。[フェイスブックCEOの]マーク・ザッカーバーグは、アウグストゥスに強い関心を寄せています。アウグストゥスは、何世紀も続く帝国という偉大なものを創始したからです。帝国が何を成し遂げられるかについて大きな構想を抱き、帝国に平和と繁栄をもたらすことに大きな成功を収めました。

彼らリーダーのもう一つの注目すべき点は、後継者を計画する能力です。いつもうまくいったわけではありません。アウグストゥスは何十年も権力の座にありましたが、ごく早い時期から「誰が私の後を継ぐのか。次に来るのは誰か」と気にかけていました。自分の後を継ぐ適任者を見つけるという、非常に難しいプロセスに多大な注意を払ったのです。

彼らリーダーのもう一つの特徴は、驚くほど効率的だったことです。帝国の広大さを考えると、わずか30万人の軍隊で統治していたのは驚くべきことです。そこにも効率性についての教訓があります。

Knowledge@Wharton:ローマ帝国が発展を続け、領土を広げるなかで、征服したばかりの人々に市民権を与えていたのは興味深いですね。

ストラウス:それがローマ人の成功の理由の一つです。初期の頃から、彼らは人々を征服するだけでなく、市民権を与えて味方につけました。時間のかかる過程で、何世紀も要しますが、最終的にはローマ帝国内の自由民全員がローマ市民になります。これは歴史上、最も進歩的な出来事の一つです。このような形で市民権を広げたことは、今日の私たちにとっても教訓になります。

Knowledge@Wharton:あなたのお気に入りはマルクス・アウレリウスだと読みました。なぜですか。

ストラウス:本当に善良な人間だった皇帝は、彼だけでしょう。多くの皇帝はあまり立派ではありませんでしたが、マルクス・アウレリウスは善人です。哲学者でもあり、私たちに『自省録』という、本当に素晴らしい書物を残しました。歴史上、リーダーの内面を知ることができ、そのリーダーがこれほど高尚な言葉で語りかけてくれるのは、非常にまれです。彼は今日の私たちにも、ビジネスやリーダーシップ、人生についての教訓を与えてくれます。

Image: Luis García[CC BY-SA 2.0]、Wikimedia Commons経由

Knowledge@Wharton:本の冒頭では、何事にも勝つ術を心得た象徴的な人物としてアウグストゥスを取り上げています。彼について教えてください。

ストラウス:彼はガイウス・オクタウィウスとして生まれ、ユリウス・カエサルの養子となり、名前をユリウス・カエサルに変えました。出生時の名前から、オクタウィアヌスと呼ぶこともあります。しかし彼はアウグストゥスという名を選びました。これは「尊敬すべき者」や「敬われる者」といった意味です。つまり、彼は象徴的な人物です。……また、非常に優れた才能の持ち主でした。演説が巧みで、若い頃から非常に抜け目のない政治家でした。18歳で表舞台に登場します。

彼は世界最高の将軍ではありませんでしたが、人を動かすのが得意でした。そして優秀な将軍マルクス・アグリッパを得て、自分に忠誠を誓わせ、代わりに戦わせました。信頼できる人物です。彼の知性と、アウグストゥスの人付き合いの巧みさによって、必要としていた副官を得ました。信頼でき、効率的で有能なナンバー2を持つことは、どんなリーダーにとっても非常に重要です。

Knowledge@Wharton:彼をリーダーとしてどのように評価しますか。CEOに似た資質を備えていたのではないかと思います。

ストラウス:間違いありません。彼はこの巨大な帝国を運営しなければならなかったので、助けとなる適切な人材と、信頼できる人々が必要でした。情報網も、身を削るほどの勤勉さも求められました。彼は何年も何年も旅を続けました。ローマの宮殿に座っていたわけではなく、絶えず各地を巡り、自ら姿を見せ、自分を売り込んでいました。彼自身と家族の肖像は、ローマ世界の至るところにありました。硬貨や彫像など、どこにでも見られます。大規模な事業を運営するのとまったく同じように、彼は何度も決断を下していました。皇帝はぜいたくにふけり、人々にブドウを食べさせてもらっていたというイメージがあるかもしれませんが、それはアウグストゥスには当てはまりません。

Knowledge@Wharton:この時代を見ると、物語はローマの権力の中心地をはるかに超えて広がっていますね。

ストラウス:最終的に帝国は、ブリテン島から現在のイラク北部まで広がり、エジプトと北アフリカ、ドイツ西部、地中海全域も含んでいました。ローマ人は人々との取引に長けていました。市民権を広げるだけでなく、帝国内の人々に最高位の権力を与えたのです。やがて皇帝はローマ出身でもイタリア出身でもなくなります。スペイン、北アフリカ、シリア、バルカン半島から現れるようになります。さまざまな場所から来た新参者にエリート層への門戸を開く姿勢が、ローマ人の成功の重要な理由だったと私は思います。

Knowledge@Wharton:この時代の女性の役割についてはどうでしょうか。

ストラウス:ローマ人は男性優位で、ときには女性蔑視でもあったため、女性の存在は見過ごされがちです。しかし女性は、貿易や手工芸から皇帝一家に至るまで、ローマ社会のあらゆる階層で大きな役割を果たしました。アウグストゥスはリウィアというローマの貴族女性と結婚し、二人は54年間連れ添いました。彼女は絶大な影響力を持ちました。単なる妻ではなく、主要な助言者の一人でした。帝国内を彼とともに旅しており、家にとどまっていたわけではありません。

彼女は建物を建て、宗教祭を組織し、とりわけ女性たちに働きかけました。彼女は特別な存在ではありませんでした。多くの皇帝には、影響力のある妻や愛人、母親がいました。ハドリアヌスは歴史上初めて、あるいは人類史上初めて、義母を神格化した皇帝でした。彼女を女神にしたのです。コンスタンティヌスの母ヘレナ、後の聖ヘレナは、ローマ帝国のキリスト教化における重要人物の一人でした。彼は彼女にパレスチナを聖地に変える役目を与えました。女性は非常に重要な役割を果たしていたのです。

Knowledge@Wharton:章の一つに「ギリシャ人ハドリアヌス」という題が付いています。この時代のローマ人とギリシャ人の関係について話す機会になりますね。

ストラウス:私たちがローマ帝国と呼ぶものは、ギリシャ・ローマ帝国とも呼べます。帝国内の至るところにギリシャ人がいました。ローマのエリート層はギリシャ語を学びました。かつてのイギリスやアメリカのエリート層がフランス語を学んだのと同じようなものです。ローマには大勢のギリシャ人が住み、帝政ローマ時代にはおそらく世界最大のギリシャ語話者の都市でした。ローマの文化的遺産について考えるとき、ローマ帝国から生まれた最も影響力のある二冊の書物は何でしょうか。第一は、ギリシャ語で書かれた『新約聖書』、そしてマルクス・アウレリウスの『自省録』です。こちらもギリシャ語で書かれています。どちらもラテン語では書かれていませんが、いずれもローマ帝国の産物です。

Knowledge@Wharton:本にはネロも登場しますが、お気に入りではないようですね。

ストラウス:ネロは善人ではありませんでした。実母の殺害と、別の女性と結婚するために離婚した最初の妻の死に責任があります。ローマ大火の際に皇帝の座にあり、自分の名を付けた新都市を建設しようとしていたため、火災を起こした可能性さえあるという証拠もあります。ローマの名をネロポリスに変えようとしていました。また、キリスト教徒を迫害し、ローマに対するユダヤ人の反乱につながったユダヤ属州の圧政にも責任があります。彼はひどい人物でした。

Knowledge@Wharton:本には、あまり知られていない人物も何人か登場します。その一人、セプティミウス・セウェルス帝とはどんな人物ですか。

ストラウス:彼は現在のリビアにあたる地域の出身で、イタリア人植民者の血を一部引いていました。北アフリカのベルベル人の血も一部引いていた可能性があります。史上初の黒人皇帝と考える人がいるかもしれませんが、実際のところ、彼の人種については分かっていません。

セプティミウス・セウェルスについて興味深いのは、それ以前より帝国をはるかに軍事化したことです。彼は内戦のさなかに権力を握り、アッピア街道沿いのローマ郊外に新たな軍団基地を設置しました。彼のモットーは「兵士に給料を払え、ほかの者は忘れろ」でした。労働力のうち、重要な部分を容赦なく見極めるCEOを想像してみてください。

また、彼がシリア出身の女性と結婚したことも興味深い点です。こうしてシリアと北アフリカにまたがる新王朝を築き、支配者一族の民族的・文化的構成を大きく変えました。

Knowledge@Wharton:ローマ帝国は領土拡大の重要な手段として軍隊を用いました。時がたつにつれ、他国も軍事力を高め、それがローマ帝国の衰退につながりました。このことについて話していただけますか。

ストラウス:軍事力が成功すると、それを模倣する者や競争相手が現れます。ビジネスでも同じです。何世紀にもわたって断続的にローマ人と戦ったゲルマン人は、ローマ人から組織運営と規律も学びました。それによって、アウグストゥスがドイツ全土を征服しようとした試みを退けることができました。彼らはローマ軍団三個を壊滅させ、最終的にはローマ帝国を征服しました。

一方、東方ではローマ人が、パルティアと呼ばれるイラン系の帝国と何世紀にもわたって戦っていました。パルティアは一部、ローマからの圧力によって崩壊します。それはローマにとって良い知らせでした。悪い知らせは、パルティアに取って代わった新王朝がさらに強大で、ローマにとってより大きな脅威となったことです。ササン朝ペルシア帝国です。こうして何世紀もの間、ローマ帝国は西方ではゲルマン人と、東方ではイラン人と、二つの戦線で戦い続けました。

Knowledge@Wharton:複数の統治者がいた時代を含め、帝国の終焉について話していただけますか。

ストラウス:ローマ人は、帝国の問題は一人で対処するには大きすぎると結論づけました。ディオクレティアヌスの時代から後継者の大半にかけて、帝国は東西の二人の皇帝に分割統治されました。国境地帯への圧力があまりに強く、一人の人間が一つの場所で対処することはできなかったのです。

Knowledge@Wharton:帝国を終焉へと向かわせた要因には、どのようなものがありましたか。

ストラウス:統治の失敗が大きな要因でした。西方では、悪い皇帝が相次ぎ、王朝をめぐる争いも起こりました。ローマ人にとって到底余裕のない内紛でした。外部からの圧力に対抗するため、最も団結が必要なときに、互いに争う余裕を自ら作ってしまったのです。もう一つの問題は、国境地帯への圧力でした。東方から新たな人々が押し寄せ、ゲルマン人を故地からローマ帝国内へと追い立てました。ローマ人は大規模な移民と、それがもたらす課題に対処しなければなりませんでしたが、うまく対応できませんでした。

Knowledge@Wharton:ローマ帝国はそれほどの力を持ちながら、世界の広い地域に平和をもたらそうとしていたのですね。

ストラウス:そのとおりです。アウグストゥスの時代から、ローマ人は平和と秩序、良き統治、そして一定の繁栄をもたらす能力に誇りを持っていました。では、幾度も大きな軍事的課題に直面しながら、どうすればそれらすべてを実現できるのでしょうか。非常に難しい仕事でした。

Knowledge@Wharton:皇帝たちは広報戦も繰り広げていました。それについて説明していただけますか。

ストラウス:皇帝たちは優れた宣伝家でした。その素晴らしい例の一つがコロッセオです。ローマのコロッセオはスポーツ競技場だと思われていますが、スポーツだけが目的ではありませんでした。帝国を売り込み、ローマ市民を楽しませ、競技会で人々を満足させるとともに、このようなものを建設できる帝国の偉大さ、力、栄光を人々に感じさせるためのものでした。ローマ世界のあらゆる場所から、人間や動物の犠牲者を連れてきました。つまり、ローマを宣伝する手段だったのです。

Knowledge@Wharton:400年にわたって指導者が途切れることなく交代したのに、権力の移行を経ても帝国の力が保たれたのは興味深いです。

ストラウス:ローマ人はすでに習慣を身につけていました。帝国が始まる頃には、何世紀にもわたり領土を拡大してきたのです。現実主義と容赦のなさを身につけたことが、帝国を維持できた理由の一つだと思います。また、ローマ法の体系と工学技術もありました。道路や輸送網、建築物に加え、外部の人々を受け入れて市民とし、ローマ帝国の維持に利害関係を持たせる能力もありました。すべてが一体となった仕組みです。

Knowledge@Wharton:人々が今もこれほど皇帝たちに魅了されるのはなぜでしょうか。

ストラウス:私たちは彼らから絶えず学ぶことができます。もちろん、彼らから学ぶことの中には否定的なものもあります。しかし、統治の仕方、変化への対処、複雑で多様な社会への向き合い方について、彼らから学べる肯定的な教訓もあります。そして、偉大な存在になる方法も学べるのです。

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