アイスランドの人々にとって、世界経済フォーラムのジェンダー・ギャップ指数で9年連続首位に立つことは誇りです。首位という評価は、ここ数十年の成果を裏付けるものであり、男女の地位、影響力、権力の完全な平等に向けて取り組みを続ける励みとなっています。
アイスランドの成功の秘訣は何でしょうか。そこから得られる教訓は何でしょうか。要するに、ジェンダー平等は自然に実現するものではありません。女性の人権擁護活動家による連帯と集団行動、政治的意思、そして法整備、ジェンダー予算編成、クオータ制などの手段が必要です。
島国であるアイスランドも、ジェンダー平等に向けた進歩から孤立しているわけではありません。世界各地と同様に、私たちの段階的な進展は、まず、男性が権力を独占し、女性を支配する状況に異議を唱え、抗議する女性の人権擁護活動家たちの連帯によるものです。

第二に、女性が権力を握り、男性優位の「真実」に代わるものをつくり、これまで見えなかった女性の現実、とりわけセクシュアルハラスメントや虐待を含む差別的慣行を可視化したことが、成功につながりました。最後に、意思決定者として女性と男性が権力を分かち合い、ジェンダー平等に伴う相互の譲り合いを支持する男性が徐々に増えたことも、アイスランドの進歩に寄与しています。
このように、アイスランドの事例は特別なものではありません。文化、政治、宗教、社会、学術、経済の潮流が海を越えて届き、国内で育まれ、形づくられてきた影響を受けています。
文化面では、「強い女性」という考え方があります。神話的な存在ではありますが、現実に根差しています。女性はコモンウェルス時代に一定の自由を享受し、文化的・宗教的な権威を持っており、その伝統は時代を超えて続きました。宗教面では、「近代以前」の異教社会で多様性が受け入れられていました。そこには男神と女神がおり、文化的・宗教的権威を担う女性と男性もいました。女性は巫女や託宣者、詩人、ルーン文字の熟達者、商人、医師として、社会で尊敬を集めていました。
この宗教的多様性は、1000年にキリスト教が到来すると終わりを迎え、多様な男神と女神は唯一の一枚岩の神に取って代わられました。同時に、女性はもはや公の場で神を代表するに「ふさわしい」と見なされなくなりました。比較的平等な地位にあったにもかかわらず、女性には投票権も、930年に設立された世界最古の議会であるアイスランド議会で代表を務める権利もありませんでした。
女性たちは「ふさわしい」と認められる権利を求めて闘い始めました。1914年と1915年には部分的な成果を得て、それぞれ女性にプロテスタントの司祭になる法的権利と、投票権および政治候補者として立候補する権利が認められました。しかし、進歩的で権利を基盤とする法整備と、根強い文化的規範や社会の現実との間には大きな隔たりがありました。そのため、男性は権力の座にとどまり、「先行者優位」を享受し、女性を抑え続けました。
この状況は、知の殿堂を取り囲む要塞、すなわち学界に、教育を受けた女性たちが一定数入り込むまで続きました。1960年代から1970年代にはフェミニズムが大衆運動となり、平等な権利を求める女性たちを結びつけ、政治にも影響を与えました。

この数十年の間に、女性たちは自分たちの立場から、私たちが生きる世界を定義し直し、新たな「真実」を生み出す力を握り始めました。フェミニズムは神学にも入り込み、1974年にアイスランドで初めて司祭に任命された女性は、神を「彼女」と呼びました。アイスランドがキリスト教国となってから974年、女性が司祭を務めることが合法化されてから60年後のことです。それから38年後の2012年、アイスランド初の女性司教が任命されました。実現までに1世紀を要しました。
政治面では、政治組織を通じた女性たちの連帯が、アイスランドのジェンダー平等の推進に大きな役割を果たしてきました。1915年から1983年まで、国会議員に占める女性の割合はわずか2~5%でした。
1908年に地方自治体の議会に、1922年に国会に選出された最初のアイスランド人女性たちは、従来の政党ではなく、女性候補者の名簿から選ばれたことも重要です。数十年後の1982年に女性同盟が結成され、この政治的試みが再び行われると、大きな変化が起き、政治に参加する女性が急増しました。女性同盟の政治綱領には、女性が男性と対等に労働市場へ参加できるようにするための保育など、「女性の要求」が盛り込まれ、女性有権者の支持を得ました。
その後の1983年、アイスランド史上初めて、1回の選挙で国会議員に占める女性の数が、全60議席中5人から15人へと急増しました。アイスランドの政治学者アウズル・ストリュルカウルスドッティル博士は、女性が民主的な参政権を獲得してきた波を、地震や火山噴火のような自然の激変になぞらえています。他の北欧諸国で女性議員の割合が着実に上昇したのとは異なり、アイスランドの男性優位は、女性たちの集団行動と連帯によってのみ打ち破られました。
女性同盟は、国会の内側から粘り強く活動し、政治論議や従来の政党の政治課題に影響を与えた後、1999年に活動を終えました。やがて「女性の問題」は他党の政治課題にも取り入れられ、そうした政党の女性たちは、以前のように男性優位の政党や候補者名簿を飾るだけの存在ではなく、より重要な役割を担うようになりました。

女性が国政選挙の参政権を得てからの1世紀の間に、選挙に立候補する女性は増えてきました。政治的代表におけるジェンダー平等を目指すなら、男女の比率を同じにするだけでは不十分です。その実現には、女性が権力の座に選ばれる機会を平等に得られるよう、候補者名簿の上位に配置される必要があります。アイスランドの成功例の一つは、歴史ある政党のうち、男女を交互に並べる「ジッパー方式」など、何らかのジェンダー・クオータ制を採用していない政党が一つだけであることです。
2016年には、国会議員の48%を女性が占めました(その後の選挙では38%に低下)。長い闘いの中で、近年、内閣に占める女性の割合が国会の女性議員比率を反映するようになったことも、大きな成果です。行政府の権力は、最も高いガラスの天井と呼ばれてきました。100年以上を経て、政治的平等はほぼ実現しています。

結論として、アイスランドの女性の地位は歴史的に男性と比較的平等でしたが、法的平等が保障されたのは1976年になってからです。それでも、対立が生じた際に女性の権利を男性に対して法的にも事実上も守らない制度の下では、実質的な権力を持たない、あるいは奪われた女性は誰もが弱い立場に置かれます。これは特に、家庭内外で家族や見知らぬ人によって女性や少女が暴力を受ける場合に当てはまります。

女性の人権と安全を守らない制度の下で生きることは、ロシアンルーレットのようなものです。女性は「主人」である善良な男性か邪悪な男性かのなすがままです。なぜなら、その制度は暴力の加害者となりうる人々の利益を守るからです。こうした制度の下では、運よく難を逃れる女性もいれば、くじ運が悪く不利益を被る女性もいます。
したがって、歴史を通じて、そして今日に至るまで、女性の人権擁護活動家の闘いは、そもそも善良な男性か邪悪な男性かを問うものではありません。問題は権力と権威の行使、そして濫用です。つまり、女性(および男性)に対する暴力について、責任を問わない文化が説明責任の文化に優越する制度を変えることです。
この闘いは、私たちの生活を規律する規範と法のルール、すなわち権力を持つ人々によって形づくられた制度を変えることを目指しています。だからこそ女性は、権力を平等に持ち、権力の座に就く必要があります。それだけのことです。
1960年代から1970年代にかけて、女性の政治的・経済的な力を制度的に高める動きは、フェミニズム研究者が知の揺りかごに「侵入」したことと並行して進み、それまで語られず、見えなかった新たな現実が浮かび上がりました。「セクシュアルハラスメント」という言葉はその一例です。1960年代に生まれたこの言葉の意味は、力も声も持たなかった被害者、すなわちサバイバーの経験に根差しています。新たなフェミニズムの用語によって、彼女たちは声を届ける手段を得ました。
当時、アイスランドをはじめ、主に西側諸国でセクシュアルハラスメントを禁じる法律が導入されました。しかし、男性の権力と特権が広く行き渡る文化のため、法的に禁止された後も性犯罪者は守られ続けました。被害者を黙らせたり、被害者を名指しして非難し、恥をかかせたりすることで、犯罪に加担した男性も女性も彼らを庇ったのです。
米国でハーヴェイ・ワインスタインに対する告発が明るみに出る直前、19世紀の法律に基づき、有罪判決を受けた性犯罪者の「市民としての地位」が「名誉回復」という文言で復元されたことを受けて、アイスランド政府は崩壊しました。当初は伏せられ、その後公表された事件に関する情報は、小規模な連立与党の一党にとって信頼を損なうものと受け止められ、政府の解散につながりました。9月には、該当する法律の条項が廃止されました。
一般に、ソーシャルメディアが抗議の波を生み出し、女性たちが声を上げて、次の言葉を繰り返し発信する様子は印象的です。#metooそして、もう我慢できないと世界に伝えています。これはアイスランドでも、他の地域と同様に起きています。「名誉回復事件」を「いつもどおり」のこととして扱う風潮に、サバイバーやその親たち、フェミニスト、そして一般市民が立ち上がり、大規模な抗議につながりました。その抗議を象徴するハッシュタグ「#höfumhátt」は、「黙らされないようにしよう」という意味です。
残る課題は何でしょうか。アイスランドでは他の北欧諸国と同様、福祉国家が両親に育児休業を認めることでジェンダー平等を支えています。その結果、権力の分担が進むだけでなく、家庭や家族を運営する責任の分担も増えています。若者の間では男性らしさに関する考え方が変化しており、近い将来、労働市場におけるジェンダーによる職業分離の解消に寄与するとみられます。
それでも、解決すべき課題は残っています。とりわけ、性別、性的指向、アイデンティティに基づいて個人や集団について多くのことが決めつけられる、私たちが生きるジェンダー化された現実があります。こうしたジェンダーに基づく思い込みや観念は、女性が多く就く看護職が、男性が多く就く建設業などの職業より低く評価されるといった問題を引き起こし続けています。1961年から同一賃金法が存在するにもかかわらず、同じ価値の労働に賃金格差があります。アイスランドの女性たちは1975年以来、ゼネストを行ってこの不均衡に抗議してきました。
40年以上が経った今、同一賃金認証法の導入に表れているように、平等な権利は政治的意思に支えられています。この法律は、調整後の男女賃金格差の解消を目指す「同一賃金基準」と呼ばれる仕組みに基づいています。この基準は、常勤職員25人以上のすべての企業と機関に適用されます。
この基準の導入により、雇用主は同一労働同一賃金と同一価値労働同一賃金の原則に従った賃金管理システムを実際に導入できるようになります。これにより、男女の平等な地位に関する法律を遵守し、国際労働機関の諸条約、北京行動綱領、女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(CEDAW)などの国際条約が求める義務を果たすことができます。
同一賃金基準を法律によって導入するという政府の意向は、この問題に関する他のあらゆる法案と同様、アイスランドで広く議論されました。その結果、ジェンダー平等をめぐる議論は、しばしば周縁に置かれてきた場から主流の政治や政策決定の場へと移りました。
同一賃金基準は、男女賃金格差の解消に重要な役割を果たすと考えられています。秘訣は何でしょうか。口先だけでなく、行動で示すことです。
筆頭著者:マグネア・マリノースドッティル、寄稿者:ローサ・エルリングスドッティル、アイスランド福祉省平等局


