近年の研究では、世界各国で拡大する個人間の富の不平等が取り上げられてきた。本稿では、欧州の地域間および国家間で広がる富の格差を検討する。1900年までさかのぼるデータを用いて、地域間の収斂が1980年頃に終わり、それ以降格差が拡大していることを示す。両極にあるのは、首都圏と衰退する工業地域である。こうした地域間格差の拡大は、個人間格差の拡大と相まって、近年のポピュリズムの反動に大きな役割を果たしてきた。
個人所得や富の分配における不平等の拡大は大きな懸念事項であり、Atkinson(2007)、Piketty(2014)、Milanovich(2016)の研究もこれを示している。彼らの研究によれば、OECD諸国で高い所得成長が社会のあらゆる層に広がった戦後期は、世界の将来を示す道しるべというより、歴史上の例外だった。1980年代にそれは終わり、所得上位層の所得が急増する一方、中間層の所得は停滞し、貧困層の所得は実質的に減少した。
この現象が、人々の間の不平等、すなわちごく少数の超富裕層とその他すべての人々との格差拡大だけでなく、国内および国家間の地域格差にも当てはまることを示す証拠が増えている。Rodriguez-Pose(2018)は、世界各地で衰退している地域が政治的緊張とポピュリズムの高まりを生み出していると論じた。たとえば米国、英国、フランス、ドイツなどが挙げられる。
新刊書と最近の論文では、この現象の長期的な起源を明らかにするため、1900年から現在までの欧州173地域(NUTS 2)の発展をたどった(Rosés and Wolf 2018、Rosés and Wolf 発刊予定)。その結果は、個人間格差に関するPiketty(2014)などの研究と驚くほどよく似ている。地域間格差は1980年頃を転換点とするU字型の推移をたどることが分かった。図1は、地域ごとのGDP(実質価格、購買力平価ベース)と人口の分布を、ジニ係数で測り、時系列で示している。
図1欧州173地域におけるGDPと人口の分布、1900~2010年
1900年以降、地域間の差は縮小してきたが、戦間期にはその流れが一時中断した。収斂の動きは1945年以降に加速し、世界の他の地域でも見られた(Barro and Sala-i-Martin 1992)。その主な要因は構造変化だった。かつて農業が中心だった地域で、工業とサービス業の雇用の両面で追い上げが進んだのである。財、資本、労働の市場統合と、電化を含む技術の普及がこれを後押しした。収斂は国家間でも、各国内の地域間でも起きた。
しかし、1970年代には収斂が弱まり、欧州ではその後ほぼ止まった。図2aと図2bは、所得分布が時とともにどう変化したかを示している。各年について、対象の173地域を1人当たりGDP(ここでも実質価格、購買力平価ベース)に応じて、同じ規模の14の所得区分(「ビン」)に分けた。左端が最も貧しい地域、右端が最も豊かな地域である。1900年には大半の地域が低い区分に属し、最上位の区分に属する地域は少なかった。1900年、1950年、1980年と時が進むにつれて分布は右に移り、1人当たりGDPが中央値付近の地域が増えていった。特に1950年から1980年にかけて、分布は中央に向かって大きく移動した(図2a)。しかし図2bが示すように、1980年にこの流れは逆転した。相対的に見て、他地域より大きく好調な地域がある一方、分布全体は左へ戻っている。
図2a地域別所得分布、1900年、1950年、1980年
図2b地域別所得分布、1980年と2010年
こうした変化のなかにも、一定の安定性が見られる一方で、運命が実に劇的に逆転した地域もある。1900年に好調で、今日も欧州で最も活力のある地域の一角を占める地域がいくつかある。特に、パリ周辺のイル・ド・フランス(FR10)、ルクセンブルク(LU00)、ストックホルム(SE11)、ブラバント(BE10およびBE24)など、すべての首都圏がそうだ。図3は、過去1世紀にわたる対象地域のGDP総額に占める首都圏の割合を示す。1980年以降、欧州では首都圏の比重が高まっている。これはドイツとベルリンのやや特異な発展によるものではない(検証した他の観測対象についても同様である)。
図3 対象地域のGDPに占める首都圏の割合の推移(ベルリン、DE30を含む場合と含まない場合)
首都圏が安定しているのとは対照的に、欧州の工業地域の間には大きな違いがある。カタルーニャ(ES51)、ロンバルディア(ITC4)、シュトゥットガルト周辺の北ヴュルテンベルク(DE11)など、欧州の旧工業地域のなかには、地位と工業の富を維持できた地域もある。これらの地域は石炭資源や重工業への依存度がもともと低く、機械・自動車生産への特化度が高かった。一方、かつて豊かだった地域のなかには、大きく後れを取ったところもある。顕著な例がベルギーのエノー(BE32)で、1900年には欧州でも最も豊かな地域の一つだったが、現在はEUで最も貧しい地域の一つである。1900年と2010年の1人当たりGDPで全地域を順位付けすると、エノーは1900年の173地域中7位から、2010年には153位に下がった。ワロン地域の他のすべての地域、英国のウェールズ、フランス北部のオート=ノルマンディー(FR23)とノール=パ・ド・カレー(FR30)、東ドイツのザクセン地域など、欧州には同じ運命をたどった地域がほかにもある。
何が起きたのか。これらの地域はいずれも、地域雇用全体に占める工業、特に重工業と鉱業の割合が非常に高かったことから、私たちは「工業の敗者」と呼んでいる。実証的に見ると、1900年には炭田に近いことが経済発展の強みだったが、1960年代以降は重荷に変わった。雇用全体に占める工業の割合は全体として1970年頃にピークを迎え、その後は低下し始めた。近代化のかつての中心地は、平均所得だけでなく人口の面でも後れを取り始め、これらの地域では不動産価格と富が減少した。その背景にあったのは、Baldwin(2016)が「第二のアンバンドリング」と呼んだ動きである。1970年代に貿易コスト(コンテナ化などによる)と通信コストが低下し、実質賃金が上昇したことが組み合わさり、新たな国際分業を促した。欧州(および米国、日本、その他のOECD諸国)は工業雇用を発展途上国に移す一方、貿易可能なサービスの雇用を増やした。たとえば、付加価値に占める金融サービスの割合が急上昇した。これにより、大手銀行、保険会社、証券取引所の本社が置かれた地域、つまり一般に首都圏が恩恵を受けた。
この現象を捉えるもう一つの視点は空間的なまとまり、すなわち隣接する地域同士の所得水準がどれほど似ているかという問題である。図4に示すモランのIは、これを比較的簡単に測る方法である。関心の対象である変数として1人当たりGDPに適用すると、この統計量は、全地域ペアについて、平均1人当たりGDPからの偏差の差を距離で加重した合計を測る。標本数が大きい場合、地域間の空間的自己相関がないという帰無仮説のもとでの期待値はゼロに近づく。この指標が(期待値と比べて)大きければ、ある地域は「正の空間的自己相関」を示すと言える。これは、近隣地域の1人当たりGDPが似た値になる傾向を示している。ここでは、標準化した指標(いわゆるzスコア)を示す。
図4 グローバル・モランのI(zスコア)、1900~2010年
空間的な結びつきの弱まりが進んでいるように見え、長期的な傾向は近年さらに強まっている。活発に成長する地域がある一方、停滞し、後れを取る地域もある。停滞の海に繁栄の島々が浮かんでいる。
地域間格差の再来を懸念すべきだろうか。結局のところ、私たちが気にかけるべきなのは人々であって、地域そのものではない。しかし、かつて繁栄していた欧州の地域が急速に衰退すれば、社会の平穏と政治的安定が損なわれかねない。そうした地域では、貧困層だけでなく中所得層も、移住(アイデンティティを失うリスク)か、地域にとどまること(さらなる衰退のリスク)かの選択を迫られる。言い換えれば、「退出」か「発言」かである。新たな証拠から、これは非常に広範で長期的な変化の一部であり、個人所得格差の拡大をもたらしたものと同じ要因によって引き起こされている可能性が高い。個人間と地域間の格差の双方に対処しなければ、ポピュリズムの反動がさらに強まるだろう。





