サハラ以南アフリカでは、2000年以降、妊産婦死亡率が40%低下した。これは、的を絞った投資が進歩をもたらすことを示している。
しかし、広範なジェンダーに基づく暴力や、保護のないインフォーマル労働の蔓延を通じて、構造的な不平等が根強く残っている。
ジェンダー平等を加速するには、個人のレジリエンスに頼るのではなく、制度の再設計と持続的な構造改革へと軸足を移す必要がある。
2023年、サハラ以南アフリカでは、世界の妊産婦死亡の約70%にあたる推定18万2,000人の母親が命を落とした。しかし、この厳しい数字にもかかわらず、この地域の歩みは、喪失だけでなく前進の物語も伝えている。サハラ以南アフリカの妊産婦死亡率は、2000年以降、約40%低下した。
アフリカの女性たちは、二つの現実を同時に生きていることが多い。重い負担を抱える一方で、世界が自分たちに投資する価値があると判断すれば、数字は動き得る。状況によって偏りはあるものの、この二重の現実は特定の地域に限られず、女性のウェルビーイングをめぐる、より広範な世界的傾向を映し出している。
女性に対する暴力は文化でも不可避なものでもなく、構造的な問題だ。しかし、構造的な障壁に立ち向かうことはできる。
世界保健機関(WHO)は、世界の女性のおよそ3人に1人が生涯のうちに身体的および/または性的暴力を経験すると推定している。WHOアフリカ地域でも、生涯にわたる親密なパートナーからの暴力は、同様に深刻な水準にある。
UN Womenと国連薬物・犯罪事務所(UNODC)の推計によると、2023年、アフリカは親密なパートナーまたは家族によって殺害された女性・少女の人数と割合が最も高く、約2万1,700人、人口10万人当たり2.9人に上った。
2025年11月に公表された報告書(2024年のデータを対象)でも、アフリカは親密なパートナー/家族に関連する女性殺害の発生率が最も高いとされ、人口10万人当たり3人だった。
これらの統計は地域別のものだが、その傾向は世界共通だ。女性に対する暴力は文化でも不可避なものでもなく、構造的な問題だ。しかし、構造的な障壁に立ち向かうことはできる。
仕事と政治に希望を
アフリカ大陸全域で、女性たちは権利を法制度や政策の枠組みに盛り込むため、力強く粘り強く取り組んできた。施行が遅れ、司法の歩みがあまりに遅くても、その歩みは止まらない。女性の安全と自律を求める主張は、もはや耳を傾けてもらうために懇願しているのではない。遵守を求めているのだ。
サハラ以南アフリカでは、女性の非農業雇用の74%がインフォーマルだ。農業部門を含めると、この地域で雇用されている女性の90%超がインフォーマル部門で働いているという推計もある。しかし、インフォーマルだからといって重要でないわけではない。経済は女性に依存しながら、保護、安定、福利厚生、救済手段といった基本を提供していないということだ。ここに見える明るい兆しは、政治的・市民的な力である。サハラ以南アフリカでは、2026年1月1日時点で、女性が議席の27.1%を占めている。この数字が成果を保証するわけではないが、何が交渉の対象となるかを変える。
女性の健康:長寿でもウェルビーイングは伴わない
女性の健康について語る際、男性より長生きするにもかかわらず、女性は生涯のうち健康状態が良くない期間を25%長く過ごすというデータは、今や広く知られている。健康上の負担は女性の生活に大きく影響し、社会全体にも波及する。女性特有の疾患は数多くあるが、ようやく注目され始めた問題もある。たとえば子宮筋腫だ。
子宮筋腫、そしてしばしば子宮そのものを摘出する手術は、臨床的にはすっきりと説明できても、現実の生活はそうではない。サハラ以南アフリカでは、エビデンスの蓄積はまだらで、多くの地域で信頼できる人口データが不足していると研究者たちは指摘している。
しかし、一貫して示されている重要な事実がある。アフリカ系の女性は、他の集団に比べて、より若い年齢で、より高い頻度で、そしてしばしばより重い子宮筋腫を経験する。
アフリカ域内でも、病院を基盤とした研究では、繰り返し相当な疾病負担が示されている。ウガンダの地域紹介病院で行われたある研究では、評価対象となった女性の28.2%に子宮筋腫が認められた。同研究は、引用文献にあるナイジェリアやケニアの数値を含め、サハラ以南アフリカの他の地域でも同様の結果が報告されていると述べている。
ここで、個人的な問題と政治的な問題は切り離せなくなる。子宮筋腫は、過多月経、痛み、貧血、疲労、時間の損失と結びついている。アフリカでは過多月経の報告が依然として少ないが、地域の推計では、有病率は10%から30%とされている。
月経が単に「重い」のではなく、生活を妨げるほどなら、仕事も学業も難しくなり、親密な関係は複雑になり、移動するにも算段が必要になる。そして、自分の身体が、決して退勤できない仕事のように感じられてくる。
希望を感じさせる別の物語は、子宮筋腫が突然たやすくなることではない。女性たちが沈黙を拒んでいることだ。この問題をめぐる対話はより大きな声で、より公然と、より具体的に語られるようになっている。黒人女性やアフリカ系女性に不均衡な負担がかかっていることをめぐる粘り強いアドボカシーも一因となり、科学的知見もより精緻になっている。
これは重要だ。見えないところに置かれた疾患には資金がつかず、当たり前のこととして扱われる痛みは治療されないからだ。
つながる力:集団の強さ
マヤ・アンジェロウはこう書いた。「私は一人として来るが、1万人として立つ」。その1万人は、祖母たちかもしれない。症状を軽視された女性たちかもしれない。会議中に出血しながら、ほかに選択肢がなく笑顔を保った女性たちかもしれない。何事もなかったかのように、黙って手術を受け、日常に戻った女性たちかもしれない。
アフリカの若い女性たちは、より大きな構造的傾向を何年も前から言葉にしてきた。誰が中心に据えられ、誰が消し去られ、誰がその結果を背負うことを期待されているのか。
気候活動家のバネッサ・ナカテは、誰の声がいつ取り入れられるのかについて、率直にこう語った。「本当に前進していると感じる時もあります……でも、実際には二歩後退していると感じる時もあります」。この言葉は気候問題にとどまらない。女性の健康、安全、賃金、政治、そして誰の苦しみが緊急の問題として扱われるのかにも当てはまる。
進歩は直線的とは限らない。それでも測ることはできる
ケニアの長距離ランナー、フェイス・キピエゴンの言葉は、進歩を促すには大きな志が不可欠であることを示している。「何をするにしても、大きな夢を持ち、自分を信じなければなりません」。
アフリカの女性たちは、世界各地の同じ立場にある女性たちと鮮やかに響き合う。存在すべきでない現実を生き抜きながら、世界が依存する成果を生み出している。家族を支え、インフォーマル経済を動かし、不均衡に重い健康上の負担を担っている。そして、あまりにも頻繁に不可避なものとして扱われる暴力の中を生きている。
幸い、数字は前進を示している。妊産婦死亡率は2000年以降低下した。意思決定の場における女性の代表性は高まっている。かつてタブー視された健康問題をめぐる公の対話は、より活発になっている。研究も、女性が実際に経験する現実をより正確に反映し始めている。女性や少女のレジリエンスは長く称賛されてきた。しかし、レジリエンスだけを基準にはできない。目指すべきは不平等に耐え続けることではなく、制度を再設計することだ。
この国際女性月間に、私たちは自らの経験と誇りを、同じ手に抱いている。個人的な喪失を大きな物語と並べて見つめる。それがしばしば女性であることに求められるからだ。自分自身の人生を深く感じながら、他者の人生のための余地もつくる。この物語は、喪失の統計だけを語るものではない。測定可能な前進、構造的な格差、そして進歩を停滞させず加速させるために必要な、未完の取り組みについての物語でもある。
私たちは一人として来る。
だが、1万人として立つ。
一人の声も遠くまで届くが、集団での行動は制度を変える。
