技術者と政策立案者は、概して別々の世界に暮らしている。これは古くからある問題で、英国の科学者C・P・スノーが次の著作で指摘した。1959年に発表したエッセイ、『二つの文化』である。彼はそれを科学と人文学と呼び、その分断が世界の問題を解決するうえで大きな妨げになっていると指摘した。このエッセイは大きな影響を与えたが、60年たった今も何も変わっていない。
スノーが執筆した当時、「二つの文化」論は、社会についての興味深い考察にすぎなかった。今日、それは危機となっている。テクノロジーは今や政策と深く絡み合っている。社会のあらゆるレベルで、複雑な社会技術システムを築いている。ソフトウェアは、どんな法律にもかなわない効率で人々の行動を制約する。すべてが急速に変化している。テクノロジーは文字どおり、私たちが暮らす世界を形づくっており、政策立案者は追いつけていない。誤った判断がもたらす結果は、ますます破滅的になっている。未来を生き抜くには、技術者と政策立案者を結びつける必要がある。
人工知能(AI)を考えてみよう。このテクノロジーには、人間の意思決定を支援し、最終的には、悪名高いほど主観的な人間のプロセスを、より公平で一貫性があり、迅速かつ拡張性の高いものに置き換える可能性がある。一方で、偏見を根付かせ、不平等を制度化し、説明できず望ましくない形で作用するおそれもある。新たな手法でハッキングされ、犯罪者や国家に属する攻撃者が、混乱や被害をもたらす新たな能力を得る可能性もある。AIの可能性を生かしながら、その落とし穴をどう避ければよいのか。より具体的には、市場主導のこの産業に対して、政府はどこで、どのように介入し、規制すべきなのか。その答えには、現代社会が利用できる政策手段とAIのテクノロジーの両方に対する深い理解が必要だ。
しかし、政策による監督が必要なテクノロジー分野はAIだけではない。インフラにおける、ますます深刻化するサイバーセキュリティ上の脆弱性にも対処する必要がある。政治的な分断を招くコンテンツの拡散にソーシャルメディア・プラットフォームが果たす役割と、その害を和らげるためにテクノロジーでできること、できないことの両方を理解しなければならない。ゲノム編集や合成生物学など、急速に進歩するバイオエンジニアリング技術についても、進歩が私たちの種や地球に問題をもたらさないよう、政策を整える必要がある。食料や水の安全に関する規制に追いつくのが精いっぱいで、エネルギー政策や気候変動への対応はなおさらだ。ロボット工学はまもなく一般的な消費者向け技術となるが、私たちはまったく準備ができていない。
これらの課題に取り組むには、政策立案者と技術者が土台から協力する必要がある。技術者が公共政策に関わる環境を整えなければならない。いわゆる「公益テクノロジスト」に、実現可能なキャリアパスを用意する環境だ。
この概念は新しくない。新しいのは、その呼び名だ。テクノロジーと政策の両方の世界にまたがる専門家は、すでにいる。社会科学やコンピューターサイエンスの出身者で、データサイエンス、テクノロジー政策、公共志向のコンピューターサイエンスなどの分野で働いている。ブッシュ政権やオバマ政権のホワイトハウスで働いた人もいれば、学術界やNGOで働いた人もいる。問題は、その数があまりに少ないことだ。彼らは皆、例外的な存在であり、しかも傑出した人々だ。そうした人々を見つけ、支援し、育成につながる仕組みを拡大する必要がある。
公益テクノロジストのキャリアパスを拡大するには、二つの側面がある。人材の供給と需要の問題と考えることができる。長期的には、ほぼ間違いなく供給のほうが大きな課題になる。公共政策に関わりたい技術者が、そもそも足りないのだ。テクノロジーが社会にさらに浸透するにつれて、この課題は一層深刻になる。今後数年、数十年に社会が必要とする人材の数を、見積もることさえできない。
供給の問題を解決するには、幼少期から大学、その先に至るまで、教育課程を変える必要がある。科学・テクノロジーの課程には、倫理、社会科学、政策、人間中心設計の必修科目を含めるべきだ。さらに統合的な教育課程を提供するため、共同学位プログラムも必要となる。さまざまな背景や能力を持つ人々が参加できる方法を整えなければならない。従来の仕事の傍らで、あるいは計画的なサバティカルやフェローシップを通じて、従来型のキャリアの数年間を充てて、公益のためのテクノロジーの仕事に取り組む機会を広げる必要がある。公共奉仕を学術的なキャリアの一部にするべきだ。技術者だけでも政策立案者だけでもなく、その両方を兼ね備えた人々を生み出し、育て、適切な報酬を支払う必要がある。公益テクノロジーは、テック企業で技術者が得られるほどの報酬には決してならないとしても、尊重されるキャリアの選択肢でなければならない。
供給側の問題のほうが難しい一方、需要側の問題はより差し迫っている。今のところ、公共政策の仕事に就きたい科学者や技術者を受け入れる場が足りず、存在する場も資金不足で、技術者が評価されない環境にあることが多い。立法府のスタッフ、政府機関、NGO、報道機関の職も不足している。大学や短大には、教職やフェローシップが足りない。政策を重視した技術プロジェクトも不足している。要するに、自分たちのチームに科学者や技術者、できれば政策の訓練も受けた人材が必要だと認識している政策立案者が、十分にいない。
実効性のあるテクノロジー政策をつくるには、政策立案者がテクノロジーへの理解を深める必要がある。なぜか、選挙で選ばれた公職者のテクノロジーに関する無知は、能力不足と見なされていない。これは問題だ。インターネットや機械学習、その他の基幹技術がどのように機能するかを理解しないままでいることは、もはや許されない。
これは、政策立案者がテクノロジーの専門家になる必要があるという意味ではない。選挙で選ばれた公職者には、理解がほとんど及ばない高度に専門的な分野を規制することが、以前から求められてきた。そうした分野に詳しいスタッフがいるか、詳しい別の公職者を信頼できるため、これまでは何とか成り立っていた。政策立案者は、自分たちの政策チームに技術者が必要だと認識し、確立された科学的知見を事実として受け入れる必要がある。また、政治的な偏見に反するというだけで、テクノロジーの専門知識を軽視することも、もはや許されない。
公衆衛生政策の発展は、参考になるモデルだ。保健政策の分野には、科学に詳しく、保健研究の最新動向を把握する政策専門家と、政策立案者と緊密に連携する生物学者や医学研究者の両方がいる。保健政策は、政策大学院で専門分野として扱われることも多い。ワクチンの重要性が広く認められ、政策立案者にもよく理解され、政策に明記されている世界に私たちは生きている。世界的なパンデミックへの政策は、医学の専門家の知見に基づいている。これは社会にとって有益だが、以前からそうだったわけではない。保健政策は、常に公共政策の一部だったわけではない。政策立案者が医学の専門家と実際に対話し、その話に耳を傾ける方法を見いだすまで、人々は多くの深刻な健康危機を経験した。今日、私たちはテクノロジーをめぐって同様の状況に直面している。
もう一つの類例は、公益法務だ。弁護士は政府のあらゆる部門や多くの非政府組織で働き、政策を策定したり、公益のために法律業務を行ったりしている。大手法律事務所の弁護士には、公益訴訟に一定の時間を割くことが期待されており、それは幅広い経験を積んだキャリアの一部と見なされている。キャリアを中断して2年間、公益活動に取り組む弁護士を、冷ややかな目で見る法律事務所はない。テクノロジー分野のキャリアも、これに近づける必要がある。
著書『未来の政治』で、ジェイミー・サスキンドはこう記している。「20世紀の政治を支配していた中心的な問いは、私たちの共同生活のどこまでを国家が決め、何を市場や市民社会に委ねるべきか、というものだった。今まさに政治的成熟期を迎えようとしている世代にとって、議論は異なるものになる。強力なデジタルシステムは、私たちの生活をどの程度方向づけ、管理すべきなのか。そして、どのような条件のもとでそうすべきなのか」
私はハーバード大学ケネディ行政大学院でサイバーセキュリティ政策を教えている。この問いは根本的に経済学の問いであり、私の所属機関も20世紀とこの問いの双方が生み出したものなので、教員の大半は経済学者だ。しかし、今日の問いはそれとは異なるため、同機関は現在、私のような政策を専門とする技術者を採用している。
率直に言えば、テクノロジーを政策から切り離すことは、これまで一度も許容されるものではなかった。しかし、第四次産業革命と呼ばれ始めた今日、その分断ははるかに危険だ。政策立案者はこの危険を認識し、21世紀の社会技術的な政策課題の解決に力を貸すため、さまざまな考え方を持つ新世代の技術者を迎え入れる必要がある。権力にテクノロジーの言葉を届ける道をつくり、権力の側も扉を開いて技術者を迎え入れなければならない。


