人工知能をめぐり、各国が優位に立ち、将来のデータ主導型バリューチェーンで地位を確保しようとするのは理解できる。しかし、AIの恩恵を享受しながら本質的なリスクを軽減するには、政府と主要なテクノロジー企業が協力を始めなければならない。
人工知能(AI)の開発は、世界的な競争、あるいは新たなグレート・ゲームとして捉えられることが増えている。各国が国内の能力を高め、競争優位を確立しようと競う一方で、企業もAI人材の獲得、データ面の優位性の活用、独自サービスの提供を競っている。いずれの場合も、成功はAIソリューションを民主化し、さまざまな分野に普及できるかどうかにかかっている。
世界的なAI競争は、ほかのどの国際競争とも異なる。イノベーションを国家、企業部門、学術界のいずれがどの程度主導するかは、国によって大きく異なるためだ。ただし、これまでのイノベーションの大半は平均して学術界から生まれており、政府は内部の研究開発よりも調達を通じて貢献してきた。

世界貿易に占める一次産品の割合が低下する一方、デジタルサービスの割合は上昇し、今やデジタル化が全貿易の60%超を支えている。2025年までに、経済価値全体の半分がデジタル部門で創出されると予想されている。政府は将来のバリューチェーンでの地位を確保する方法を模索するなか、AIに注目してきた。
そのため、米国、フランス、フィンランド、ニュージーランドから中国、アラブ首長国連邦に至るまで、各国は国内の人材を育成し、自動化が労働市場や社会保障制度にもたらす将来の影響に備えるため、国家AI戦略を策定している。
それでも、AI競争の実態はまだ明らかではない。おそらく特定の領域だけに限られることはなく、結果を左右する最も重要な要因は、政府が国内および国際的な文脈でAIアプリケーションをどのように規制し、監視するかだろう。中国、米国をはじめとする参加者は、データ、プライバシー、国家主権について相反する考えを持つだけでなく、21世紀の国際秩序がどうあるべきかについても異なる展望を抱いている。
こうした境界線を引く際に最も重要なのは、データの流れが地理的境界と一致するのは本質的な理由からではなく、偶然にすぎないと覚えておくことだ。地政学上、国家は主権を持つ主体である。しかしデジタル経済では、実際にそうであるとは限らず、名目上の主権にとどまる。現在、世界のデータの流れが政治的主権の境界に沿って組織されているからといって、今後もそうでなければならないわけではない。
したがって、国家主導のAIプログラムは、リスクを織り込んだ賭けである。これまで政府は、ゴールに最初に到達した国がAIの潜在的価値の大半を獲得すると想定してきた。この見方は正しいように思える。しかし問題は、その想定が正しいかどうかではなく、国家主導のアプローチが必要か、あるいは賢明かどうかだ。
そもそも、この問題を厳密に国家単位で捉えると、AIがどのように開発されるかを見落としてしまう。データセットを国際的に共有するかどうかによって、機械学習アルゴリズムに国ごとの偏りが生じるかが決まり得る。また、特定の種類のチップを独占的な技術とするかどうかによって、イノベーションが世界規模でどこまで進むかが決まり得る。こうした現実を踏まえると、国家戦略の分断がデジタル経済の成長を妨げるおそれがある。
さらに、現在の環境では、各国のAIプログラムが限られた人材プールを奪い合っている。そのプールは時間とともに拡大するものの、AI主導型の経済が進むにつれて必要な能力も変化する。たとえば、サイバーセキュリティの専門知識への需要は高まるだろう。
これまで、主要な研究拠点や大学に所属するAI開発者には、確実な転職先と意欲的な買い手の大きな市場があった。企業が研究者の報酬を引き上げるなか、トップ企業とそれ以外の間で世界的な人材格差が広がっている。さらに、大手テクノロジー企業は、新規参入者や小規模な事業者には利用できない膨大で豊富なデータにアクセスできるため、市場はすでに大きく集中している。
こうした状況を踏まえれば、貿易や移民の制限をはじめとする孤立主義的な措置が、長期的に経済的な不利益をもたらすのは明らかだろう。世界貿易の構成の変化が示すように、将来の経済価値の大半は、財やサービスそのものではなく、それらに付随するデータから生まれる。したがって、世界的なデータの流れにアクセスできる企業や国が、最大の利益を得ることになる。
根本的なところでは、新たな世界的競争の対象は、複数の選択肢を比較し、最適な判断を下せるアプリケーションである。いずれ、こうした技術への適応の負担は市民にかかる。しかし、その時が来る前に、主要なAI開発者と政府が連携し、この技術が安全かつ責任ある形で導入されるようにすることが極めて重要だ。
優れた航海術と航行技術を持つ国々が世界を支配していた時代、機械式時計は一部の人だけが利用できる技術だった。今回は違う。超知能を実現するのであれば、それは世界全体の公共財であるべきだ。


