自動車メーカーは、ガソリン車やディーゼル車から完全な電動化へと徐々に移行しています。
しかし意外なことに、電気自動車(EV)は自動車の製造が始まったころから存在していました。
早くも1881年には、バッテリー駆動のバスがパリで使われ、ベルリン、ロンドン、ニューヨークへと広がりました。
気候変動の脅威が高まるなか、EVの環境面での優位性は、化石燃料車が1世紀にわたって築いてきた支配をついに覆しつつあります。
電気自動車は未来の乗り物だと、よく言われます。多くの自動車メーカーや国々が、電動化の計画を掲げています。
米国最大の自動車メーカー、ゼネラルモーターズは、発表しています。2035年までに化石燃料車の生産を段階的に終了するという計画です。ノルウェーは2025年までにガソリン車とディーゼル車の新車販売を終了する目標を掲げ、英国は2030年までに、フランスは2040年までに終了する目標です。
オーストラリアでは、現在販売されている新車のうち、電気自動車はわずか約2%です。連邦政府の2021年の予測では、2050年までに車両全体に占める割合が90%に達すると見込まれました。
新連邦政府は、電気自動車を政策課題の中心に据えました。クリス・ボーウェン産業相は、8月19日のEVサミットでの演説でこの方針を示しました。世界的なコンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニーも宣言しているように、「自動車の未来は電動化です」。
非常に長く、苦難に満ちた歴史
見過ごされがちなのは、電気自動車には未来だけでなく歴史もあるということです。過去を振り返れば、電気自動車は未来の夢ではなく、長い歴史を持つ移動手段だとわかります。
この歴史をたどると、電気自動車が直面し、着実に乗り越えつつある障壁も見えてきます。苦難に満ちたその歴史は、長年にわたって内燃機関に親しんできたオーストラリアの人々にとって、特に関わりの深いものです。
電気自動車は、自動車の製造が始まったころから存在していました。ロバート・デビッドソンは1837年、スコットランドで、電磁モーターで走る全長16フィート(4.9メートル)のトラックを製作しました。これが実用的な電気自動車の第一号でした。内燃機関が発明される数十年も前のことです。
早くも1881年には、バッテリー駆動のバスがパリで運行していました。その後まもなく、ベルリン、ロンドン、ニューヨークなどの都市でも導入されました。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、電気自動車メーカーは台頭し始めた化石燃料車のメーカーと互角に競い合っていました。たとえば1914年、デトロイト・タクシー・アンド・トランスファー社は、100台近くの電気タクシーからなる車両群を製造し、運行しました。これは珍しいことではありませんでした。ニューヨーク・タイムズの記事は、次のように伝えています。
「20世紀初頭、静かで滑らかに走り、汚染を出さない電気自動車は、米国の主要都市の街角でよく見られる光景だった。」
アンダーソン・キャリッジ社が製造したデトロイト・エレクトリックは、1910年代後半から1920年代初頭にかけて普及したモデルでした。ガソリン車が臭く、油で汚れる時代に、電気自動車は女性に人気がありました。ヘンリー・フォードの妻クララも、フォード・モデルTの騒音や排気ガスが苦手だったため、1930年までデトロイト・エレクトリックに乗っていました。
内燃機関は、電気自動車の航続距離が限られていたことなどから、徐々に優勢になりました。それでも、あまり知られていない電気自動車製造の試みは続きました。作家トム・スタンデージが著書『A Brief History of Motion』に記したように、これらの車には探る価値のある「失われた歴史」があります。
戦後に登場した新たな車種
第二次世界大戦後、新たなタイプの電気自動車が登場しました。その多くは、化石燃料車を改造した車種でした。1959年のヘニー・キロワットはルノー・ドーフィンのシャシーと車体を使用し、米国のエレクトリカー社が製造した1979~80年のレクトリック・レパードはルノー5をベースにしていました。
特に人気が高かったのは、フロリダ州のセブリング・バンガード社が1974年から1976年にかけて製造したシティカーです。マサチューセッツ州を拠点とするソレクトリア社は後に、GMジオをベースにしたソレクトリア・フォースを製造しました。
ガソリン車が優勢であり続けるなか、電気自動車の台頭は何十年も前から予測されていました。米国の自動車ライター、デビッド・アッシュは、早くも1967年に電気自動車を未来の乗り物と見ていました。「晴れた日には、電気自動車が見えてくる」と彼は書き、米国で深刻化する大気汚染と外国産石油への依存を解決する手段になると指摘しました。エネルギー専門家のエドウィン・F・シェリーは、1970年代の第2次石油危機を受け、1980年に「電気自動車を生産せよ」と提唱しました。
当時、米国議会もこの考えに賛同しました。議会は、1976年電気・ハイブリッド自動車法を可決し、外国産石油に依存しない自動車の開発を目指しました。
1980年代後半、GMは先駆的なインパクト(EV1)を開発しました。しかし、業界による継続的なロビー活動を受けてカリフォルニア州が厳格な排出規制を撤回したことで、EV1の計画は最終的に打ち切られました。一方、2021年にオートモーティブ・ニュースは、こう述べています。EV1は「今、業界がEVを受け入れる土台を築いた」と。
飛躍の鍵は、バッテリーの性能向上
初期の電気自動車はバッテリーの航続距離が短く、オーストラリアや米国のような広大な国では大きな弱点でした。1990年代には早くも、充電可能なリチウムイオン電池が登場し、状況は大きく変わりました。約20年前、テスラはこの技術を活用するために設立されました。
2008年から2020年にかけて、バッテリーパックの価格は80%下落し、約2万米ドルになりました。これにより、電気自動車は化石燃料車に代わる現実的な選択肢となりました。特に、政府の政策が消費者の乗り換えを促す場合にはその傾向が強まります。そうした政策が実施されている市場では、電気自動車の普及が急速に進んでいます。
電気自動車の歴史は、大規模な普及を妨げる障壁についても教えてくれます。航続距離、音や臭いがないこと、ブランド認知度といった同じ懸念が、何十年にもわたって指摘されてきました。デビッド・アッシュは1967年にこう書いています。
「現代の自動車は、単なる移動手段ではない。権力の象徴であり、魔法のじゅうたんであり、おもちゃであり、相棒でもある。うなり声を上げさせられない車を、私たちは買うだろうか。」
時代が到来した乗り物
今日、電気自動車の時代がついに到来したようです。気候変動の時代に、内燃機関を対象とする規制の強化が実際の変化を生み出しています。2021年、道路交通車両は世界の二酸化炭素排出量の17%を排出しました。2017年のニューヨーク・タイムズの社説は、次のように述べています。
「気候変動に対処するために、私たちが移動する方法を変えずに済む、信頼できる手段はまったくない[……]。」
20世紀初頭にも21世紀初頭にも消費者に認められてきた電気自動車の環境面での優位性は、化石燃料車が1世紀にわたって築いてきた支配を覆しつつあります。電気自動車は新しい存在ではありません。長い勝負を戦い、いま勝利を収めつつあるのです。



