物語を語ることの衰退は、子どもの教育にとって不吉な兆候となりうるのか

The focus in many classrooms has been on 'active learning' but this could be stifling storytelling.Image: REUTERS/Mike Blake
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物語を語ることは古くから行われてきたが、教え、学ぶための最も効果的な手段の一つであり続けている。よい物語を聞けば、子ども(あるいは大人)も耳を傾け、座り直して、聞きながら学ぼうとする。

しかし、すばらしい物語が持つ力にもかかわらず、教室で物語を語ることは、存続が危ぶまれている。その一因は、教育において「アクティブ・ラーニング」が非常に重視されていることだ。これは、生徒は何かをしているとき、あるいは多くの場合、何かを「しているように見える」ときに最もよく学ぶという考え方である。

教師が15分以上、途切れずに話す授業は、生徒を受け身すぎる立場に置いていると、今日では見なされるだろう。実際、英語の授業でさえ、教師が詩を一編まるごと、あるいは本の一章を生徒に読み聞かせることは、今ではほとんどない。このことは、今やOFSTEDさえ懸念している。

歴史に命を吹き込む

対照的に、1960年代以前の教育、とりわけ人文系の授業は、教師が物語を語ることに大きく依存していた。たとえば教師は、自身の知識や読書、想像力をもとに、イングランド内戦についてクラスに話して聞かせた。

教師は、激動の時代背景、対立する大義、そして戦闘そのものを生き生きと伝えようとした。チャールズ1世が身を隠したとされる村を自分が訪れたときの逸話を加えることもあった。生徒たちはその後、聞いたばかりの歴史、つまり物語について、それぞれ自分なりの記述を書いた。たとえば「一兵卒の視点から」書くこともあった。

明らかに、この方法には多くの限界がある。批判的に議論する余地はほとんどなく、生徒は出来事について教師の見方に過度に依存することも多かった。それでも、あの歴史の教室で行われていたことの価値を見失ってはならない。

生徒たちは、自分たちにはまったく異質な状況に深く入り込む機会を得て、その人生経験を広げていた。想像力によって、この異国の、また聞きの経験を、自分自身の経験の蓄積に織り込むことができた。語り直すとき、生徒たちは決して「ただ」写していたのではなく、意味をつかみ、自分なりに解釈していた。

幾層にも重なる学び

影響力のある教育思想家、たとえばジェローム・ブルーナーは、物語によって可能になる、文脈に深く根差した多層的な学びを、それ自体が一つの知の形として認めてきた。同僚のマシュー・リーズンと私は、これを「物語を通じて知ること」と呼んでいる。

このように、教師が語る物語と生徒が語る物語は互いを豊かにし合う。中等教育の人文系教師、サリー・ダーラムとの長期にわたる協働で、私はそのことを実感した。

私がドイツ人の義母の第二次世界大戦中の体験を語ると、生徒や教員補助員は、同じ出来事について異なる立場をとった自分たちの親族の逸話を語り始めた。そうして私たちは、状況を立体的に捉え、互いの体験に基づく知識を尊重するようになった。

森の木が倒れるとき

ある日、私たちは熱帯雨林の破壊を題材にした。生徒たちに、木や森について心に強く残っている思い出を話してもらううち、教室の雰囲気はほとんど「森の中」のようになった。それから私は、貧しい小作農のための土地を確保しようと、政府の役人から伐採用に自分たちの土地を売るよう持ちかけられた、インドネシアの先住民族の首長の物語を語った。

普段は騒がしい生徒たちも、一人残らず15分間、熱心に耳を傾け、私が重要な場面で話を止めるまで聞き入っていた。すると生徒たちは、それぞれ物語の結末を考え始めた(この頃には、自信を持って物語を語れる生徒も多かった)。

最初は楽観的な結末ばかりだった。しかし、生徒たちが伐採業者、森に暮らす人々、小作農、専門家、役人の間にある緊張や力関係を物語の中で展開させていくと、森が破壊される可能性を実感した。

グループの提案で、私たちはオンラインで調べ、先住民族が故郷の少なくとも一部を守れるよう世界各地で支援している団体の活動を調査した。生徒たちの物語や質問は非常に複雑で、私たちは「学力の低い」12歳のクラスの教師というより、大学の講師になったような気分だった。

これらのことが示しているのは、物語を聞く生徒は受け身の立場にある(あるいは学んでいない)という考えに異議を唱える必要があるということだ。私が一緒に取り組んだクラスの生徒の一人は、こう説明している。

「ただ、ほら、物語を話しているとき、何人かがこんなふうに頭を下げるでしょう[腕を組んだ上に頭を伏せる]。それは、頭の中で映像を思い浮かべるためにそうしているだけなんです」(12歳のジョー)

そして私の物語が示すように、人間の経験が複雑であればあるほど、物語を交わしながら知識を築く必要性も高まる。

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