認知科学における長年の謎の一つが「フリン効果」です。これは、世代を超えて推論能力が長期的に向上する現象を指します。
認知科学者は、健康や栄養の改善などを説明要因として重視してきました。
しかし研究者らは、この効果の一部は経済的インセンティブの変化に起因する可能性があると論じています。
推定によると、推論能力の向上のおよそ3分の1は職場での業務の変化に起因しており、分析力を集中的に要する職業の重要性が高まっています。
認知科学における長年の謎の一つが、世代を超えた認知能力の長期的な向上である。認知科学者は、健康や栄養の改善などを説明要因として重視してきた。本稿では、経済モデルとスウェーデンの人口行政データを用いた研究を紹介し、この「フリン効果」は経済的インセンティブの変化に一部起因する可能性があると論じる。推定によると、調査対象期間における推論能力の向上のおよそ3分の1は、異なる能力に対する労働市場での収益率の変化によるものであり、分析力を集中的に要する職業の相対的重要性が高まっている。
図1は、1962年から1975年にスウェーデンで生まれた男性を対象に、論理的推論課題の成績がどう推移したかを示している。データは、18歳または19歳ごろの兵役入隊時に受けた検査から得られたものだ。入隊が義務であり、検査内容も時期を通じて変更されなかったため、このデータは男性の認知能力に関する人口動向をきわめて明確に示している。
図は論理的推論能力が急速に向上したことを示しており、1975年生まれの男性の平均スコアは、1962年生まれよりパーセンタイルで4.4ポイント高かった。これは、25年の世代交代あたりパーセンタイルで8.5ポイントの変化率に相当する。
図1 1962~1975年生まれのスウェーデン人男性における論理的推論能力の推移
注:図は、18歳または19歳ごろの兵役入隊時に受けた検査に基づき、各出生コホートの論理的推論スコアの平均を、1967年出生コホートを基準とするパーセンタイルで示す。
「流動性知能」、すなわち推論能力の長期的な向上は、このテーマの先駆的研究を1980年代初頭から行ったジェームズ・フリンにちなみ、「フリン効果」と呼ばれている(Flynn 1984, 2007, 2012)。図2が示すように、フリン効果は非常に広範な現象で、多くの先進国で見られる(Pietschnig and Voracek 2015)。スウェーデンの兵役入隊データを用いた研究でも、たとえばRönnlundほか(2013)がすでに記録しており、Jokelaほか(2017)など、別の状況で記録された傾向とも関連している。
図2 選択した研究で測定された流動性知能指数の推移
注:図は、各国の研究で示された流動性知能指数の年間変化を示す。Pietschnig and Voracek(2015、表S1、丸印)または本研究で用いる兵役入隊者の標本(三角印)からデータを得ている。
この傾向は何によって説明できるのだろうか。認知科学者は、健康や栄養の改善など、経済学者が能力の供給を増やすと捉えるような要因を重視する傾向にあった(例:Pietschnig and Voracek 2015、Rindermannほか 2017)。しかし、こうした説明は十分ではないことが明らかになっている。その一因は、スウェーデンのように経済が高度に発展し、人口の健康状態も比較的良好な状況で、検査成績の大幅な向上を説明できるほど健康や栄養などが変化したことを示す証拠を見つけるのが難しい点にある。このため、フリン効果を今なお解けない謎とみなす人もいる。たとえば、権威あるあるレビューは、「人間の知能研究の分野に賞があるとすれば、『フリン効果』を説明できる人に授与されるかもしれない……」(Deary 2020)と述べている。
刊行予定の論文(Hermoほか、刊行予定)では、出生コホート間で認知能力がどう変化するかを説明するうえで、経済的インセンティブが役割を果たすかどうかを検討する。
経済的インセンティブは関係するのか?
図3は、調査対象の出生コホートにおいて、測定された流動性知能がパーセンタイルで1ポイント上昇した場合の労働市場での推定収益率の推移を示している。先行研究(Castex and Dechter 2014、Markussen and Røed 2020、Edinほか 2022)と一致して、この収益率はコホートを追うごとに低下していた。
図3 1962~1975年生まれのスウェーデン人男性における論理的推論能力の労働市場収益率の推移
注:図は、各出生コホートについて、論理的推論能力がパーセンタイルで1ポイント上昇した場合の推定生涯能力プレミアムを自然対数で示す。
図1と図3だけを見ると、能力の供給を変化させる要因を重視する認知科学の見方が裏付けられるように思われる。たとえば健康や栄養の改善によって認知能力の供給が増えれば、能力の量が増加し(図1)、市場価値は低下する(図3)。これは、私たちが観察した傾向とよく一致している。
しかし、認知能力のもう一つの側面を検討すると、状況は変わる。図4は、調査対象コホートにおける語彙知識の水準の推移を示す。語彙知識は、「結晶性知能」、すなわち領域知識の一般的な尺度である。領域知識は流動性知能ほど伸びず、場合によっては(スウェーデンで見られるように)コホートを追うごとに低下することさえある。
図4 1962~1975年生まれのスウェーデン人男性における語彙知識の推移
注:図は、18歳または19歳ごろの兵役入隊時に受けた検査に基づき、各出生コホートの語彙知識スコアの平均を、1967年出生コホートを基準とするパーセンタイルで示す。
結晶性知能の低下は、健康や栄養の全般的な改善など、供給側の要因以外にも作用している力があることを示唆する。インセンティブも関係するのだろうか。
図5は、その可能性を示唆している。同図は、論理的推論能力と語彙知識の相対的な成績水準の変化を、それぞれの相対的な収益率に対して示している。両者はコホート間で強い正の相関を示しており、異なる能力の水準が労働市場での異なる収益率に応じて変化している可能性がうかがえる。
図5 能力水準の相対的な推移と労働市場収益率の連動
注:図は、各出生コホートについて、能力水準の相対的な平均値の自然対数を、推定生涯能力プレミアムの相対値の自然対数に対して示した散布図である。破線は最適適合直線を示す。
能力投資の経済モデル
私たちは、能力投資の経済モデルを構築した(Hermoほか、刊行予定)。このモデルでは、各コホートの人々が、異なる能力に対する将来の労働市場収益率の予想を考慮して、能力への投資を決定する。図1、3、4、5のデータを用いてモデルの主要なパラメーターを推定し、それによって能力水準の推移を、経済的インセンティブの変化(労働市場収益率を代理指標とする)による部分と、能力の供給の変化(健康、栄養などによる)による部分に分解する方法を示す。
図6によると、モデル上では、労働市場収益率に変化がなくても論理的推論能力は上昇していたが、実際の上昇幅の63%にとどまる。つまり、この設定では、労働市場収益率の変化がフリン効果の37%を説明することをモデルは示唆している。
図6 論理的推論能力のコホート別推移の分解
注:「実績」系列は、18歳または19歳ごろの兵役入隊時に受けた検査に基づき、各出生コホートの論理的推論スコアの平均を、1967年出生コホートを基準とするパーセンタイルで示す。「労働市場収益率を一定に保つ」系列は、能力プレミアムが1962年出生コホートについて推定された水準で一定だった場合の反実仮想を示す。
親と学校の役割
私たちの分析によれば、能力への投資は経済的インセンティブに反応する。では、誰が反応しているのだろうか。能力投資の過程で重要な役割を担う二つの主体、親と学校について調査した。
スウェーデンの親を対象に独自に実施した調査データを用いる図7によると、近年の子ども世代の親は、以前の世代の親に比べ、知識より推論を重要視する傾向がある。図7だけでは、親が重視する点の変化が経済的インセンティブの変化によるものだとは証明できない。しかし、異なる能力の側面に対する親の重視度が時とともに変化することは示唆される。
図7推論と知識の重要性に関する親の認識の推移
注:データは、親の認識を尋ねた独自調査による。図は、回答者の第1子の出生コホートの十分位ごとに、推論の方が重要(赤色の棒)、知識の方が重要(緑色の棒)、または推論と知識が同程度に重要(青色の棒)と評価した回答者の割合を示す。
スウェーデンの小学校カリキュラムを独自にテキスト分析したデータを用いる図8も、学校について同様の証拠を示している。推論や分析に関する用語は、知識や暗記に関する用語よりも、時とともに頻繁に使われるようになった。これは、こうしたカリキュラムを質的に研究してきた多くの教育学研究とも一致する(Larsson 2011、Johansson and Wickman 2012、Prytz 2015、Dahlbäck and Lyngfelt 2017)。
図8 スウェーデンの小学校カリキュラムで推論と知識が重視される度合いの推移
注:図は、各コホートが小学校に通っていた時期に適用されていたスウェーデンの小学校カリキュラムで、推論と知識のどちらが重視されていたかの出生コホート別推移を示す。図の作成にあたり、まずカリキュラムの各版をコホートの就学期間に対応づけ、各版について推論関連と知識関連のキーワードの出現回数の比率を算出した。次に、コホートが小学校に通った期間におけるキーワード出現比率の平均を、そのコホートが推論と知識に触れた度合いの平均として算出した。
能力需要の変化
ジェームズ・フリンは、「社会が時間の経過とともに、ある能力をもっと使うよう私たちに求めると、脳はそれに応える」と書いた(2018: 79)。図5は、時間とともに労働市場で知識より推論能力が重視されるようになっていることを示唆している。なぜだろうか。
論文で報告した分析は、この傾向が職場の業務内容の変化に一部起因する可能性を示している(Hermoほか、刊行予定)。分析力を特に集中的に要する職業(コンピューター関連など)は、領域知識をより強く必要とする職業(販売職など)に代わって増加してきた。
結論
人的資本の蓄積は、経済成長と繁栄に重要な役割を果たす(例:Bishop 1989、Toivanen and Väänänen 2013、Aghionほか 2017)。測定された知能の人口動向を研究する認知科学者は、能力の供給に影響する要因の役割を重視する傾向があった。私たちの分析は、社会における能力の構成も社会の需要に応じて変化することを示唆しており、測定された知能の人口動向を研究するうえで、経済学的な思考が有用であることを示している。
参考文献
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