この10年間で私たちの注意を奪い合う競争が激化している。だからこそ、認知的な余地を取り戻すための戦略が必要だ。
批判的思考は、私たちが接する情報を評価するのに役立つ。しかし、世界中の図書館を合わせたよりも多くの情報が存在するデジタル世界では、それだけでは不十分かもしれない。
だからこそ、「批判的に無視する」ことも学ぶ必要がある。つまり、何を無視し、限られた注意力をどこに向けるかを選ぶ能力だ。
ウェブは情報の楽園であると同時に、地獄絵図でもある。
質の高い情報が無尽蔵に手に入る一方で、質が低く、注意をそらし、虚偽や操作を含む情報が絶え間なく押し寄せている。
検索を支配するプラットフォームは、罪深い出自を持つ。そのビジネスモデルは、私たちにとって最も貴重で限りある認知資源、すなわち注意力を競売にかけるものだ。こうしたプラットフォームは、好奇心や憤り、怒りをかき立てる情報を流し、私たちの注意を奪うために躍起になっている。画面に目をくぎ付けにする時間が長いほど、表示できる広告が増え、株主の利益も大きくなる。
したがって、こうした状況が私たち全体の注意力に悪影響を及ぼすのも当然だ。2019年の分析では、Twitterのハッシュタグ、Googleの検索クエリ、Redditのコメントを調べた結果、過去10年間で、話題の人気が高まってから下火になるまでの速さが増していることが分かった。たとえばTwitterのハッシュタグは、2013年には平均17.5時間にわたって人気を保っていたが、2016年には11.9時間で人気が薄れていた。競争が激しくなるほど、私たち全体の注意が持続する時間は短くなる。それがさらに注意を奪い合う競争を激化させる。悪循環だ。
主導権を取り戻すには、今日のアテンション・エコノミーの行き過ぎや罠、情報の混乱から身を守り、少なくともある程度の自律性を取り戻すのに役立つ認知的な戦略が必要だ。
批判的思考だけでは不十分
教科書的な認知戦略は、批判的思考、すなわち、信頼できる情報を見極めるための、知的規律に基づく自律的で骨の折れるプロセスだ。学校では、生徒は情報を注意深く丁寧に読むこと、そして評価することを教わる。こうして力を身につければ、目にしたり、耳にしたり、読んだりした主張や議論を評価できる。異論はない。批判的に考える能力は極めて重要だ。
しかし、情報が過剰にあふれ、偽情報の発信源が次々と現れる世界で、それだけで十分だろうか。少なくとも二つの理由から、答えは「いいえ」だ。
第一に、デジタル世界には世界中の図書館を合わせたよりも多くの情報がある。その多くは検証されていない発信源から生まれ、信頼性を判断する確かな手がかりもない。私たちが接する情報や発信源すべてについて批判的に考えていたら、完全に身動きが取れなくなる。苦労して見つけた価値ある情報を実際に読む時間がなくなってしまうからだ。
第二に、本来なら最初から無視すべき発信源に批判的思考を注ぐことは、アテンション・マーチャントや悪意ある行為者に、彼らが求めていたもの、つまり私たちの注意力を与えることになる。
情報管理を可能にする「批判的に無視する」力
では、批判的思考以外に、どんな手段があるだろうか。最近の論考で、哲学者1人、認知科学者2人、教育科学者1人である私たちは、批判的思考が必要なのと同様に、批判的に無視することも必要だと論じている。
「批判的に無視する」とは、何を無視し、限られた注意力をどこに向けるかを選ぶ能力だ。単に注意を払わないということではない。情報が過剰にあふれる状況で、意識的で健全な習慣を実践することだ。
私たちはこれを、デジタル時代のすべての市民に必要な中核的能力だと捉えている。
これがなければ、せいぜい注意をそらす程度、最悪の場合は誤解を招き有害な情報の海で、私たちは溺れてしまう。
批判的思考を支える手段
「批判的に無視する」ための主な戦略は3つある。それぞれ、異なる種類の有害な情報に対処するものだ。
デジタル世界でセルフ・ナッジは、人々が自らの情報環境を最適な形に設計し、行動を望ましい方向に制約することで、市民が「選択アーキテクト」となる力を高めることを目指す。たとえば、注意をそらす抗いがたい通知を削除できる。メッセージを受信する時間を決めれば、集中して仕事をしたり、人と交流したりする時間を確保できる。セルフ・ナッジは、デジタル機器の初期設定を自分で管理する助けにもなる。たとえば、ターゲティング広告への利用を制限することで、個人データの使用を抑えられる。
横断的 読解とは、専門のファクトチェッカーがオンライン情報の信頼性を確かめる方法を人々が実践できるようにする戦略だ。サイトの内容を読み始める前に、新しいブラウザータブを開き、その背後にある組織や個人について検索する。熟練した検索者は、オープンウェブで情報を調べてから、注意を払う価値があるかどうかを判断する。批判的思考を始める前に、まずサイトの誘いに乗らず、そこで事実として報じられている内容について他者が何を述べているかを確認する。こうして横断的読解は、ウェブの力を使ってウェブを検証する。
ほとんどの生徒はこの課題に失敗する。過去の研究によれば、発信源を信頼すべきか判断する際、生徒は(大学教授も同様に)何年も学校で教わってきたとおり、注意深く丁寧に読む。アテンション・マーチャントも、疑念を売り込む者たちも大喜びだ。
オンラインでは、見た目にだまされることがある。広範な予備知識がなければ、真面目な研究を装ったサイトが、気候変動やワクチン、あるいはホロコーストなどさまざまな歴史的テーマについて虚偽を広めていると見抜くのは、しばしば非常に難しい。ファクトチェッカーは、サイトの報告内容や専門的なデザインに巻き込まれることなく、「批判的に無視する」力を発揮する。サイトを離れて評価し、代わりに横断的読解を行う。
荒らしに餌を与えない という経験則は、嫌がらせやネットいじめ、その他の反社会的な手口を使うオンライン荒らしや悪意ある利用者を対象とする。荒らしは注目を糧とし、危険な偽情報を意図的に広める者もしばしば荒らしの手口を使う。科学を否定する人々が用いる主な戦略の一つは、存在しない論争があるかのように見せかけて人々の注意を奪うことだ。この経験則は、荒らしに直接応じないよう勧めている。議論や報復は避けよう。もちろん、「批判的に無視する」というこの戦略は、あくまで第一の防衛線にすぎない。荒らしのブロックや通報、誤りの訂正を含む、透明性の高いプラットフォームのコンテンツ管理方針と組み合わせるべきだ。
この3つの戦略は、一部の人だけが持つ特別な技能ではない。誰でも活用できるが、こうした手段を広く人々に届けるには、教育の取り組みが欠かせない。
教育の新たなパラダイムとしての「批判的に無視する」力
哲学者のマイケル・リンチは、次のように指摘している。インターネットは「世界最高のファクトチェッカーであると同時に、世界最高の偏見確認装置でもある。しかも、その両方であることが多い」。
インターネットを使いこなすには、学校で教えるべき新たな能力が必要だ。何を無視し、限られた注意力をどこに向けるかを選ぶ能力がなければ、私たちは他者に目と心を支配されることになる。「批判的に無視する」ことの重要性は以前から認識されていたが、デジタル世界ではさらに重要になっている。
哲学者で心理学者のウィリアム・ジェームズは、20世紀初頭にこう鋭く述べている。「賢くある技術とは、何を無視すべきかを知る技術である」。


