国連は厳しい批判にさらされている。それは、単にドナルド・トランプ氏からだけではない。世界が直面する問題の甚大さと、国連が取り組む活動の規模を考えれば、成功が失敗を大きく上回るとしても、失敗は必ず起こる。そして失敗のほうが、より大きな見出しになる。
国連が取り組む世界的な問題は、人権から疾病対策、技術の導入まで多岐にわたる。しかし実のところ、脆弱でグローバル化した世界に合わせて国連を再構想できるなら、その姿は現在の組織とはかなり異なるだろう。今年のダボス会議で、参加者に検討を促すテーマの一つに、世界的な協力の仕組みをより良くする方法が掲げられているのも当然だ。
1945年、国連を創設した国々は、再び世界大戦が起きるのを防ごうとした。主要国には安全保障理事会での権限が与えられた。安全保障理事会は、第二次世界大戦の勝者とみなされた5か国で構成される。各国は国連の行動に対する拒否権を持ち、その政治的利益に直結する問題で国連を行き詰まらせてきた。これは、シリアをめぐって見られたとおりだ。

平和への道
現在、国連の平和と安全の手段のうち最も強力なのは、強制措置と平和維持活動だ。どちらも定期的に実施されているが、根深い欠陥を抱えている。
国際平和と安全への脅威に対処する際、制裁などの強制措置には問題がある。イランのようなならず者国家の指導者や、北朝鮮の指導者が影響を受けることはまれで、苦しむのは支配下に置かれた人々だ。
国連平和維持要員を派遣できるのは、受け入れ国が自国領土への進入を認めた場合に限られる。多くの紛争では、国が国連の立ち入りを拒んでいる。1993年のソマリアでの「ブラックホーク・ダウン」事件などを受け、グローバル・ノースの国々は平和維持活動への部隊派遣をためらうようになった。今では、国連から兵士1人あたり1,000ドルを超える額を受け取りながら、給与として支払う額ははるかに少ないグローバル・サウスの国々にとって、かなり収益性の高い事業となっている。訓練不足や任務に積極的に取り組まない事例はあまりにも多い。
国連創設者が構想していた「常設軍」がない以上、国連にできることは限られている。前進するには、安全保障理事会常任理事国の拒否権を廃止し、より代表性のある構成にするため加盟国を増やし、同意を得ずにあらゆる領域に入れる世界的な平和維持部隊を創設するのが最善かもしれない。しかし現実には、これらは夢物語だ。そのような提案は理事会で拒否権を行使されるだろう。まさに堂々巡りとはこのことだ。
権利と課題
平和と安全に加え、国連の二つの柱である人権と開発にも、それぞれ問題がある。1948年の世界人権宣言に寄せられた大きな期待は、国家がもはや自国民を抑圧したり支配したりできなくなることだった。素晴らしい理念だったが、実現には至っていない。ほとんどの国が人権の取り組みに参加している一方で、侵害は今も各地で続いている。国連の人権に関する指針や情報は、遵守する意思のある国々に受け入れられている。しかし、執行権限がないため、人権をほとんど顧みない国々は、そうした仕組みをただ無視している。
政府間の人権機関は一つだけで、それが人権理事会だ。権限のない補助機関であり、安全保障理事会にも事務総長にも直接報告する経路がないため、傍観者の立場から声を上げる以上のことはほとんどできない。
開発目標
開発活動も、具体的な成果より強い理念に基づいてきた。加盟国による監督がほとんどないため、国連の各活動の間で大きな重複が生じている。とりわけ国連開発計画は肥大化し、現在の形で存続させる正当性を説明するのが難しくなっている。ミレニアム開発目標は期待外れに終わり、持続可能な開発目標も同じ道をたどる可能性が高い。
テーマの範囲が広すぎる一方、実行・監視できる具体的な目標は少なすぎる。国別チームが担う活動の中で最も有効なのは、地域の組織を支援し、強化することだ。しかしハイチのように、国連があまりに長く滞在し、成果があまりに少ない状況が多すぎる。
外部の人権機関に権限を与える制度の再設計は、10年前に提案されたものの、コフィー・アナン氏の改革構想の中で退けられた。しかし、目的にかなうよう改革された国連なら、人権機関と開発機関をより合理化し、その存在感を高めるだろう。
人権と開発が国際安全保障に大きく貢献することは明らかだ。また、国連の活動が中長期的な成果をもたらしてきたことも明らかで、教育はその好例だ。しかし、壮大な構想や活動の重複、そしてハイチやソマリアのような場所に依存を生み出す肥大化した制度によって、あまりにも多くの資金と時間が浪費されている。検証と改善のプロセスを設ければ、欠落や重複を特定できるだろう。自分の取り分を手放したくない人々は反発するかもしれないが、国連はより無駄がなく、機能的になる。
監督責任
そしてもちろん、被害が生じた場合の責任の問題もある。たとえば、平和維持要員による性暴力や、国連の平和維持活動が引き起こしたハイチでのコレラ流行がそうだ。国連には、個人が救済を求め、被害を引き起こした者に責任を問える仕組みが早急に必要だ。
加盟国も責任を問われるべきかという問題もある。法を明確にしようとする試みにもかかわらず、加盟国と国連の関係は依然としてやや曖昧だ。それでも、説明責任の問題が明確かつ体系的に扱われるかどうかが、国連の信頼性と正当性を左右する。
こうした考えの一部は、願望にすぎないかもしれない。率直に言えば、何も変わらなくても、現在の形であれ、私たちは国連の存続を望み、必要としている。結局のところ、国連は再びの世界大戦を防ぎ、人権を前進させ、開発を支援してきた。しかし世界は変わり、国連が潜在能力を最大限に発揮できるようにする明確な改革案が、今や示されている。



