共有財の略奪

The world's first environmental charter aimed to protect the forests
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800年前の1217年11月6日、10歳の国王ヘンリー3世は、摂政が文書に封印を押すのを見守った(幼すぎて、自分の印章を持っていなかった)。この文書は、英国憲法、後の米国憲法、さらには他国の憲法の基礎となるものだった。その日、後にマグナ・カルタとなる文書と並んで、これは「森林憲章」と呼ばれた。

天然資源を保全する必要と人間の必要との均衡を図る、世界初の環境憲章と呼ばれることも多いこの憲章は、150年にわたる土地の囲い込みを覆し、土地を共有財に戻した点で画期的だった。また、すべての自由民に生計を立てる権利と共有地に住まいを構える権利があると、国家が認めた初めての例でもあった。さらに、寡婦に再婚を拒む権利と生計を立てる権利、すなわち共有地で「合理的な採取権」(生活必需品を得る権利)を認め、フェミニズムをささやかながら初めて前進させた。

この憲章にはもう一つ、他のどの法律よりも長い754年間、法令集に記載され続けたという特筆すべき点がある。それでも、学童は皆マグナ・カルタについて教わる一方、この憲章について耳にする者はほとんどいない。

その理由を説明するのは難しくない。

組織的な侵害

共有財を保全し、共有財を利用する人々の権利を守るという憲章の基本原則は、資本主義の発展過程で組織的に侵害され、富裕層と権力者の利益に供されてきた。

しかし、健全な市場経済には活力ある共有財が欠かせない。共有財は生計を支え、社会所得の源となる。一般の人々が無料またはわずかな費用で直接利用できる資源を提供し、市場で得る場合の費用を大きく下回るものをもたらす。豊かで多様な共有財は、それを利用する人々の生活費を下げる。そして歴史を通じ、共有財から最も大きな恩恵を受けてきたのは低所得層だった。

村の共有地、公園、共同菜園や市民農園(ドイツのシュレーバーガルテン)を思い浮かべてほしい。いずれも、庭付きの家を買う余裕のない人々にとって価値がある。公共図書館を考えてみよう。多くの本を買う余裕のない人々にとって、その価値はより大きい。公共の水路や漁場も同様だ。あらゆる共有財には帰属価値としての金銭的価値があり、それらが合わさって社会所得の源を成す。したがって共有財は、社会の経済的不平等と不安定さを軽減する。ゆえに、共有財が縮小すれば不平等は拡大する。

状況をさらに悪化させているのが、1804年に第7代ローダーデール伯爵が初めて唱えた、いわゆるローダーデールの逆説である。伯爵は、民間の富が増える一方で、共有財の縮小を含む公共の富が減少することを指摘した。現代の言葉で言えば、少数のエリート層が富を増すほど、多数の人々から共有財を奪う力が強まる。

人為的な希少化

これは「人為的な希少化」によって生じる。政治力を用いて、エリート層は地方当局に働きかけ、土地や水、その他これまで公共の便益だったものの囲い込みや民営化を促すことができる。また、税を引き下げるよう行政機関に圧力をかけ、残された共有財の維持に充てる財源を減らすこともできる。こうした二つの傾向はいずれも広く見られ、所得格差の拡大を測る従来の指標では、実際の拡大幅を過小評価することになる。

歴史的に、共有財を損なう主な手段は囲い込みであり、商業利用を目的とする私有財産へと転換することだった。近年では、共有財の一部または全部を商業化する現象が見られる。例えば、公園の利用料を徴収したり、商業的な「イベント」の会場にしたりすることだ。第三の手段は、意図的な放置による縮小である。多くの場合、民営化の前段階として、共有財への関心と利用を衰えさせ、保全しようとする意欲を弱める。緊縮時代には放置が広く見られた。公共支出の削減により共有財は急な民営化にさらされ、富裕層向け減税で生じた財政の穴を埋める資金を調達するために売却されてきた。

民間所有の公共空間

共有財を損なう、もう一つの特異な現代的手段が、POPS(民間所有の公共空間)の創出だ。町や都市の公共のオープンスペースに見える場所の多くが、実際には民間の不動産開発業者や企業によって所有・管理されていることに、市民はたいてい気づいていない。

例えば、ロンドン中心部にあるパターノスター・スクエアが三菱という日本の自動車会社の所有だと、誰が知っているだろうか。ロンドン証券取引所があり、セント・ポール大聖堂から目と鼻の先にある場所だ。POPSは世界各地に広がり、公共の立ち入りに民間の制限を課している。休息や余暇のための場所は、所有者の寛容にすがって初めて利用できるものになっている。

関連する慣行は、CORPS(商業運営の農村公共空間)と呼べるかもしれない。所有権は変わらないものの、管理体制が変わり、他の慣習的な利用よりも商業的利益が優先される場所である。

失われる生物多様性

例えば、イングランド北部の湖水地方は、何世紀にもわたり生物多様性と多様な利用を守ってきた、代表的な共有財の一つだった。しかし近年、広大な商業的羊牧場へと着実に転換されている。大規模な羊牧場主は土地をほぼ独占的に利用できるようになり、その結果、生物多様性は失われた。

グローバル化時代の共有財に対する支配的な見方は、ギャレット・ハーディンが1968年に発表した悪名高い論文「共有地の悲劇」によって、イデオロギー的な影響を受けた。この論文は、共有財は必ず破滅するまで過剰利用されると主張した。新自由主義の経済学者たちは、これが私有財産権の優位性と、民営化を最大限に進めるべきことを示していると、熱心に結論づけた。

これは、フリードリヒ・ハイエク(サッチャーとレーガンが支持した経済学者で、1976年のノーベル賞受賞者)に関連するモデルを支えた、オーストリア学派経済学の教義と一致していた。その教義によれば、価格のないものには価値もあり得ない。

共有財の特徴は、私有財産ではなく、価格がなく、「交換価値」よりも「使用価値」を重視することだ。利益を生み出すために存在するのではない。共有財の本質は売り物ではないことにあるため、当然「価格」はない。新自由主義者にとっては、ただ同然で譲渡したり、投げ売りしたりできるものだった。

管理責任

ハーディンは晩年、自身の論文を「管理されていない共有地の悲劇」と題すべきだったと認めた。しかし、それは言い訳にならない。彼と支持者たちは、共有財が歴史を通じてしばしば注意深く、うまく管理されてきたことを、当初から認めるべきだった。実際、2009年にエリノア・オストロムがノーベル経済学賞を受賞する根拠となった原則は、森林憲章にすでに盛り込まれていた。共有財には管理責任と、共有財が生み出すものへのアクセス、利用、譲渡に関する組織的な制限が必要である。

共有財の真の悲劇は、エリート層が侵食、囲い込み、放置、商業化によって共有財を損なっていることだ。こうして共有財の略奪が進んできた。

ドナルド・トランプ大統領が、連邦政府所有の国立公園用地200万エーカーの保護を解除したことを考えてほしい。天然の公共財である水の民営化を考えてほしい。公共の海岸や静かな公園、図書館、公共道路を彩る古木が失われることを考えてほしい。

最も大きな損失を被る人々

共有財の略奪で最も大きな損失を被るのは、未来の世代である。悲しいことに、今日の有権者のうち十分な数が補償されれば、反対の声を鈍らせることができるのかもしれない。しかし、今日の異様な不平等が悲劇に拍車をかけている。政治力は、共有財の民営化や囲い込みから最も多くの利益を得る一方で、それを最も必要としないエリート層に決定的に傾いている。最も多くを失い、最も必要としている人々――共有財によって何とか暮らしを成り立たせているプレカリアート――は、損失に異議を唱える力が最も弱い。

共有財がもたらす多様な使用価値について、世界規模の情報・教育キャンペーンが必要だ。さらに、共有財のあらゆる部分に適切かつ全面的な経済価値を付与し、世代間の公平性に関するハートウィック・ルールとして知られる原則を尊重する、新たな算定方法も必要である。こうした変革は不可欠だ。資源と勇気ある後押しを伴う、足並みのそろった市民の圧力なしには実現しない。略奪が続けば、「社会などというものは存在しない」というマーガレット・サッチャーの悪名高い発言が、危険なほど現実に近づきかねない。時間は残されていない。

この記事は、近刊書の一部に基づいている。『資本主義の腐敗――なぜ金利生活者は繁栄し、労働は報われないのか』(ロンドン、バイトバック、2017年)

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