私の知るダボスは、世間で語られるダボスとは違う

Impressions during the Session Davos Insights: Revitalizing the Global Economy at the Annual Meeting 2017 of the World Economic Forum in Davos, January 20, 2017.Copyright by World Economic Forum / Boris Baldinger
Image: World Economic Forum / Boris Baldinger
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世界経済フォーラムの年次総会がダボスで先週末に閉幕した。ちょうど米国で新たな世界ビジョンが打ち出されたところだった。両者の対比は鮮明だった。

ダボスはしばしば批判や嘲笑の的になる。世界のエリートたちが取引をまとめ、資本主義や自由貿易の美徳を称賛する豪華な集まりとして描かれる。「ダボス・マン」はグローバル化を説きながら、その最も大きな打撃を受けた人々の不満を無視する。

紛争、脆弱性、難民、極度の貧困といった世界で最も困難な課題に取り組む国際組織のCEOとして、私は「ダボス・マン」に共感しない。これは私の知るダボスではない。

少し陳腐に聞こえるかもしれないが、私の知るダボスは、主催者である世界経済フォーラムの使命、すなわち世界の現状を改善することを深く重んじている。私のダボスでの一週間は、今、8億人の飢餓をなくし、さらに2030年までに850万人に栄養ある食事を届ける方法を計画するために費やされた。私のダボスは、何百万人もの小規模農家の暮らしを改善する具体的な取り組みを始動させてきた。

私のダボスは、基礎的な金融サービスを利用できない20億人を超える人々に、その利用機会を広げることに重点を置いた。6500万人を超える難民のニーズにどう応えるか、シリアで包摂的な和平をどう推進するかなど、人道上の課題に取り組んだ。私のダボスは、ノーベル平和賞受賞者であるコロンビアのフアン・マヌエル・サントス大統領をたたえ、先見性ある政治指導力と民間投資が、脆弱な経済を安定させ、和平の取り組みを加速できることを示した。

ダボスは批判や風刺の対象にしやすい。確かに、行き過ぎや空疎な議論もある。多様性、とりわけジェンダーの問題は依然として深刻だ。もっと謙虚さがあればよい。それでも、ダボスの根底には、今日の行動は、子どもたちとその次の世代にどのような世界を残したいかを考慮すべきだという考えがある。世界最大の課題に取り組むには、政府、国際機関、企業、市民社会のリーダー、そして何より、最も貧しく最も脆弱な立場にある人々自身の声を含め、あらゆる人々が集まり、解決策に焦点を当てなければならないと考えている。

そう、ダボスにはエリートが集まるが、エリート主義的ではない。今日の前例のない課題に、華やかな解決策や即効性のある特効薬はないと理解している。私たちは信じがたいほど急速な変化の時代に直面している。テクノロジーは、ほとんど想像もできないほどの混乱と可能性をもたらす。従来の国際機関は衰退するかもしれない。政治、社会、環境の各システムは機能不全に陥るかもしれない。古いやり方は、もはや通用しない。

だから、私と同じように、こうした課題には地球規模の責任ある統治が必要だと信じるなら、相互責任を分かち合うつながり合った世界は、国益を掲げて「万人の万人に対する闘争」を繰り広げるホッブズ的な世界より望ましいと信じるなら、すべての人を包み込む切れ目のない思いやりのつながりと、一人ひとりの尊厳を信じるなら、そう、ダボスは確かに重要だ。

おそらく、これまで以上に。

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