経済学に残された大きな未解決問題

A trader works on the floor of the New York Stock Exchange, October 17, 2008. U.S. stocks slid on Friday as a report pointing to further deterioration in housing added to recession fears, and offset reassuring profits from manufacturer Honeywell International Inc and Google Inc. REUTERS/Brendan McDermid (UNITED STATES) - GM1E4AH1R8G01
Sustained periods of rapid economic growth are being described as 'economic miracles'.Image: REUTERS/Brendan McDermid
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経済がどのように発展するのか、私たちは知っているだろうか。どうやら答えは否だ。そうでなければ、低成長が続く今、どの国も現状よりうまくいっているはずである。実際、1960年代に始まった日本のような持続的な急成長や、その10年後の東南アジア諸国の例は非常にまれで、「経済の奇跡」と呼ばれることも多い。

しかし、ソフトウェア基盤企業Stripeのパトリック・コリソンとジョージ・メイソン大学のタイラー・コーウェンが最近記事をThe Atlanticに寄稿し、進歩を研究する大胆な新しい学際的な「科学」を提唱したところ、学界から正義感に燃えた反発が相次いだ。

多くの人は、コリソンとコーウェンが新たな学問分野「進歩研究」に含めるべきだと提案したテーマについて、すでに膨大な学術研究や実践的研究が行われていると指摘した。今日、大勢の経済学者が、シリコンバレーのような技術集積地がなぜそこに形成されたのか、産業革命はなぜその時期に起きたのか、なぜ組織によって生産性や革新性に大きな差があるのか、といった問題を研究している。オックスフォード大学のジーナ・ネフが最近述べたように、産業革命は社会学を生み出し、彼女の言葉を借りれば「進歩研究1.0」も誕生させた。

これらはすべて事実だが、コリソンとコーウェンの指摘にも一理ある。学術研究者は、分野を越えて協力することが明らかに難しい。協力をもっと頻繁に行うよう繰り返し求められているにもかかわらずだ。その主な原因は、研究者に専門領域をますます狭くするよう促すインセンティブにある。昇進や職業上の評価につながる論文を発表するためだ。昔からの言い回しにあるように、世の中には問題がある一方、大学には学部がある。そのため、私やネフが所属するような学際的研究機関は、若手の同僚のキャリアをどのように伸ばすのが最善か、慎重に考えなければならない。同じ縦割りの問題は、同様に省庁別に組織された政府にも見られる。

さらに、研究の流行によって、特定の分野に知的労力が著しく偏って注がれることがある。一例を挙げれば、人工知能の倫理は明らかに重要なテーマだ。しかし、AIや倫理学の分野に限って見ても、今日それが本当に最も大きな研究課題なのだろうか。こうした企業の行動を説明するうえでは、テクノロジー企業のビジネスモデルに組み込まれた金銭的インセンティブも、少なくとも道徳と同じくらい重要だと私は考える。

その一方で、重要な経済問題の中には、奇妙なほど研究が進んでいないものもある。例えば、最近の著書『テクノロジーの罠』で、カール・フレイは、自動化が将来の雇用に及ぼす影響についての自身の悲観的な見方をさらに展開し、最初の産業革命が一般労働者に与えた悪影響を指摘している。しかしフレイは、後の自動化の時代、すなわち20世紀半ばの大量生産の時代には、雇用が高水準にあり、繁栄もより広く行き渡っていたとも述べる。この二つの時代に大きな違いが生じたのはなぜだろうか。

より一般的に言えば、研究者は政策立案者に向けて、特に学術界で大きな意見の相違がある場合、自らの研究成果を分かりやすくまとめ、意思決定者にそれに基づく行動を促す必要がある。世間は学術研究をおおむね信頼しているものの、研究者の多くは伝える力に乏しい(これもまた、職業上のインセンティブを反映している)。さらに、強く信じている考えを覆す証拠を、何よりも見たくない政治家もいる。先入観のない公務員でさえ、知見の現状を簡潔に理解できる学術的専門知識を見つけるのに苦労することが多い。とりわけ、新しい科学技術に関する問いではそうだ。

今日、政府関係者であれ企業や市民であれ、行動を変えるうえで研究が果たす役割は、西側民主主義諸国における、より広範な正統性の危機の一部となっている。2000年代初頭まで、テクノクラート、とりわけ経済学者が主導権を握り、政府は政策の大部分を中央銀行や公益事業規制機関などの独立した専門機関に委ねていた。しかし、2008年の世界金融危機が起きた。多くの人々の実質所得が停滞し、「絶望死」が増える中、専門知への信頼が多くの人々の間で失われたのは驚くことではない。

ここから、進歩を研究する科学が必要な理由について、最後の論点が導かれる。そもそも「進歩」とは何を意味するのか。どのように測定し、追跡すべきなのか。そして、誰がその恩恵を受けるのか。人々が価値を置くものの多くを捉えられない実質GDP成長率という標準指標では、もはや十分ではない。

したがって、進歩をめぐる議論は、私たちが望む社会のあり方について、政治的にも哲学的にも深い問いを投げかける。世界経済が、今やその可能性が高まっているように、景気後退に陥れば、社会の分断と政治的な二極化はさらに深まるだろう。今世紀に入って以来、明確になったのは、大多数の人々が進歩を実感できなければ、社会は実際には進歩していないということだ。

例えば、新技術の影響、イノベーションの経済学、経営の質をめぐる現在の学術研究は、パズルのピースをますます増やしているのかもしれない。しかし、経済の進歩をめぐる重要な問いの多くは未解決のままであり、適切な形で問いとして提起されてすらいないものもある。

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