国内総生産(GDP)が、社会の経済的健全性や福祉を測る指標として十分ではないことは、長年認識されてきた。多くの著名な専門家が、GDPへの固執を見直す必要があると主張してきたが、実行可能な代替案に近づいたとは言い難い。
たとえば、GDPのよく知られた欠点の一つは、育児を含む家事の価値を考慮しないことだ。考えられる解決策は、そうした活動をGDPの測定において金銭的価値に換算することだろう。そうすれば、現在無視されている創出価値を確かに補正できる。しかしその結果、GDPはすでに厳しく批判されている別の基準を満たせなくなる。社会の構成員が実際に経験することを、十分に反映できない場合が多いのだ。
家事を含めればGDPは「補正」される(この場合は膨らむ)が、関係者の生活水準に実質的な変化はないだろう。家事の場合、現実には(大半を占める)女性は引き続き無償の担い手として扱われることになる。
GDPが機能しないもう一つの例は、価値の破壊だ。特定の集団に教育を受けさせないことや、目先の経済的利益のために天然資源を枯渇させることなど、社会が人的資本を誤って管理していても、GDPには表れない。GDPは資産の評価が不正確になりがちで、負債を考慮できないことも多い。
GDPに代わる指標について、国際的な合意はまだない。しかし、経済活動をより慎重に捉える考え方に向けて、前向きな進展が見られる。これまでに多くの枠組みが提案されてきた。ノードハウスとトービンが1972年に発表した「経済福祉の測定」から、中国が最近発表した「グリーン開発指数」まで、その例は幅広い。
今日、民間・公共両部門の意思決定者は、より洗練された選択を行うための手段を以前より多く持っている。投資家の間では、環境・社会・ガバナンス(ESG)データへの需要が急速に高まっている。公共部門では、世界銀行などの組織がすでに、出生時平均余命や教育へのアクセスを含む、生活の質を評価するGDP以外の指標を検討している。
近年、国民総所得(GNI)をめぐる議論が活発になっている。GDPと基本的な要素を共有する一方で、GNIにはグローバル化した現代に重要な補正が加えられている。外国資本の企業や外国人居住者が生み出す所得を調整するのだ。そのため、外国企業が製造業や資産を大きく保有する国(下のグラフを参照)ではGDPが膨らんで示される一方、GNIは各国に実際に残る所得を反映する。
GDPが描く姿をGNIで補正した顕著な例がアイルランドだ。2015年にGDPが26.3%増加したとの報告は、専門家の注目を当然ながら集めた。OECDのワーキングペーパーが伝えたように、GDPを定義する概念的な会計枠組みが「経済の実態を適切に反映できるか」をめぐる議論を引き起こした。
同ペーパーは、GDPは国の物質的な豊かさを示す信頼できる指標ではないと結論づけた。アイルランドの場合、その原因は、多国籍企業が経済活動、とりわけ知的財産からの収益を会計上移転したことにあった。実際の経済発展と公表GDPの格差拡大を考慮するため、アイルランド中央統計局はGNIの修正版であるGNI*を導入した。

しかし、一部の国・地域では、GDPとGNIの差がまもなく縮まる可能性がある。最近の論文で、カーン、ナラレディ、ルーエンは、1975年から2013年にかけて、米国の経済成長と企業利益の伸びが一致していなかったことを指摘している。分析対象期間中、国内の法人税率が他のOECD諸国より高い場合には、米国に拠点を置く多国籍企業の利益は常にGDPの伸びを上回った。
2017年12月下旬、この乖離への対応として、H.R.1(旧「減税・雇用法」)が成立した。法人税を国際競争力のある水準に引き下げ、利益の本国送金に有利な条件を設けたことで、企業収益は米国に戻ると予想される。その結果、米国とアイルランドの双方でGDPとGNIの乖離が縮小する可能性が高い。
今後は、三つの点に注目することを提案したい。第一に、GDP指標のいくつかの弱点にはすでに対処が進められており、関係する利害関係者も対策を講じている。これは心強い。第二に、官民の意思決定者は今や多様な手段を利用できる。これらを使えば、自らの行動と、それが社会や環境に及ぼす影響を、より適切に評価できる。
最後に、ビジネスでは、完璧を求めるあまり良いものを損なってはならないと学ぶ。GDPがもたらす課題をすべて解決したわけではないが、その歪みの多くを軽減するために大きく前進してきた。既存の手法やデータを置き換える、斬新で破壊的な枠組みを目指すよりも、現行の仕組みに慎重な段階的変更を加える方が、より有効な戦略かもしれない。
この記事の別版はProject Syndicateにも掲載された




