2018年の国際通貨基金(IMF)・世界銀行春季会合を前に香港で演説したIMF専務理事クリスティーヌ・ラガルドは、政策担当者に対し、保護主義を避け、財政・金融リスクの高まりに備え、すべての人に恩恵をもたらす長期的成長を促すよう呼びかけた。以下は演説の全文である。春季会合について詳しくは、こちらをご覧ください。
製造業の一大拠点から世界貿易のエンジン、そして世界有数の金融センターへと変貌を遂げた香港。その歩みには、開放性への独自の取り組みと、地元で育った人材に世界各地の新たな発想や専門知識を結びつける姿勢が表れている。
もちろん、経済の開放性が高まるほど、変化する潮流の影響を受けやすくなる。
香港の人々は、経済の歴史が一直線ではなく、循環を描くことをよく理解している。そして景気が上向いていても下向いていても、政策担当者は立ち止まっていられないことを知っている。
これもまた、世界経済の物語である。
世界経済はいま、所得と生活水準の向上が期待される力強い拡大局面にある。この期待を実現することは、ここアジアだけでなく、世界全体にとって極めて重要だ。
私は各国政府に対し、現在の成長の勢いを活用し、とりわけ労働市場やサービス部門で、必要性の高い政策措置と改革を実施するよう呼びかけてきた。
言い換えれば、晴れているうちに屋根を修理するということだ。
こうした改革は政治的に難しいことが多いが、経済が下降局面ではなく上昇局面にあるときのほうが、効果が高く、実行もしやすい。
行動を起こした政府もあるが、さらなる取り組みが必要だ。
機会の窓は開いている。しかし、貿易摩擦、金融・財政リスクの高まり、地政学的不確実性の増大など、不確実性が大幅に高まっており、緊急性も増している。
高まるこうしたリスクに直面するなか、現在の景気拡大をどう持続できるだろうか 。また、すべての人に恩恵をもたらす長期的成長をどう促せるだろうか。
これらは、財務相と中央銀行総裁が来週、IMF・世界銀行春季会合で議論する課題である。
そして今日、私がお話ししたいのも、まさにこれらの課題だ。
世界経済の現状
明るい兆しは、経済情勢の大部分が明るいことだ。太陽はまだ輝いている。
投資の拡大、貿易の回復、良好な金融環境に支えられた世界的な勢いが見られ、企業や家計の支出を後押ししている。
そのためIMFは1月、2018年と2019年の世界成長率を3.9%と予測した。来週発表する予測でも、 引き続き楽観的な見方を示す。
先進国は今年と来年、中期的な潜在成長率を上回る成長が見込まれる。例えば欧州では、拡大局面が地域全体により広く及ぶようになっている。
米国ではすでに完全雇用が実現しており、拡張的な財政政策によって成長はさらに加速する可能性が高い。
一方、ここアジアの見通しも明るい。世界の成長の3分の2近くをこの地域が占めているため、これは誰にとっても好ましいことだ。
日本経済は力強い成長を続けており、中国 とインドを中心とするアジアの新興市場は、輸出の拡大と国内消費の増加に支えられている。
他の一部の新興国・発展途上国では、依然として課題が残る 。サブサハラ・アフリカもその一つだが、商品輸出国では緩やかな拡大が見られる。
そう、世界経済の現状は明るい。
しかし、暗雲が迫っているのも見て取れる。
現実には、2018年と2019年に予想される勢いも、いずれ鈍化する。
米国や中国を含む財政刺激策の効果が薄れることに加え、主要中央銀行が金融政策を正常化するにつれて金利が上昇し、金融環境が引き締まるためだ。
さらに、人口の高齢化と生産性の低迷も加わり、とりわけ先進国では中期的な見通しが厳しいものとなる。
政策担当者に何ができるだろうか。効果をもたらし得る優先課題が3つある。
世界経済の3つの優先課題
1. 保護主義を避ける
第一に、各国政府はあらゆる形の保護主義を避ける必要がある。
輸入制限はすべての人に害を及ぼし、とりわけ所得の低い消費者に打撃を与えることを、歴史が示している。
輸入制限は、製品価格を押し上げ、選択肢を狭めるだけでなく、生産性の向上や新技術の普及という貿易の重要な役割も妨げる。
その結果、保護された産業でさえ、海外の競合企業より活力を失い、やがて打撃を受ける。
それでも、貿易制限をめぐる議論は、貿易赤字や黒字の概念と結びつくことが多い。こうした不均衡は不公正な貿易慣行を示すと主張する人もいる。
確かに、不公正な慣行は存在し、撤廃されなければならない。また、二国間の貿易収支に影響を及ぼすこともある。
しかし一般に、こうした二国間の不均衡は、グローバル・バリューチェーンを含め、各国経済間の分業を切り取った一断面にすぎない。
例えば、スマートフォンの組み立てに特化した国は、部品を生産する国に対して二国間貿易赤字となり、完成品を購入する国に対しては黒字となる傾向がある。
さらに重要なのは、不公正な貿易慣行が、ある国の世界全体に対する貿易赤字に及ぼす影響は小さいということだ。その不均衡は、国の支出が所得を上回っていることに起因する。
こうしたマクロ経済上の不均衡に対処する最善の方法は、関税を課すことではなく、財政政策や構造改革など、経済全体に作用する政策を用いることだ。
例えば米国は、公共支出の拡大ペースを徐々に抑え、歳入を増やすことで、過度な世界的不均衡への対処に貢献できる。それにより、 将来の財政赤字の縮小につながる。
人口の高齢化に直面するドイツは、余剰貯蓄を活用して成長の潜在力を高めることができる。物的・デジタルインフラへの投資もその方法の一つだ。
では、不公正な慣行に対して政策担当者は何ができるだろうか。
各国には、自国の 慣行を見直し、すべての人がルールに従う公平な競争環境に取り組むことで、貿易体制を改善する責任がある。
これには知的財産の保護を強化し、国有企業を優遇する政策による歪みを減らすことが含まれる。また、164の加盟国すべてが合意したWTOのルールに従って貿易を行うことも意味する。
私たちは皆、さらに努力できる。しかし、一国だけでは実現できない。
忘れてはならない。多角的貿易体制は、過去数十年にわたって世界を変えてきた。世界人口に占める極度の貧困状態にある人々の割合を半減させる助けとなり、生活費を引き下げ、より高い賃金を得られる新たな雇用を何百万件も生み出した。
しかし、ルールと責任を共有するこの体制は今、引き裂かれる危機に瀕している。これは許し難い、集団的な政策の失敗となるだろう。
だからこそ、貿易障壁の削減と、例外的な措置に頼らない意見の相違の解決に向け、取り組みを倍加しよう。
日本と欧州連合の最近の協定、新たなアフリカ大陸自由貿易圏、いわゆるTPP-11など、将来を見据えた貿易構想を発展させるため、協力しよう。
また、貿易や技術進歩による構造変化の影響を受ける人々を、政策が支援するようにしよう。職業訓練や社会的セーフティーネットへの投資を拡大すれば、労働者は技能を高め、より質の高い仕事へ移行できる。
こうした取り組みすべてにおいて、IMFは分析や助言を通じ、また対話と協力の場を提供することで加盟国を支援している。
それこそが、私たちが設立された目的だ。70年以上にわたる経験から、各国が協力すれば世界的な課題への対処はより容易になることが分かっている。
保護主義を避け、世界経済の拡大を持続させるには、こうした協力の精神が必要だ。
2. 財政・金融リスクに備える
ここでは、数字が物語る。
IMFの新たな分析によると、金融環境が緩和的だった10年間を経て、官民を合わせた世界の債務は過去最高の164兆ドルに達した。
2007年の水準と比べると、債務は現在40%増加しており、その増加分の40%強を中国だけで占める。
この債務膨張の主な要因は民間部門で、債務総額の3分の2を占める。しかし、それが全てではない。
先進国の公的債務は、第二次世界大戦以降で見られなかった水準にある。最近の傾向が続けば、多くの低所得国が持続不可能な債務負担に直面するだろう。
低所得国の債務が大きく膨らめば、政府が債務返済により多くを費やし、インフラ、医療、教育への支出を減らすことになり、開発目標が危うくなりかねない。
要するに、債務負担の増大によって、政府、企業、家計は金融環境の急激な引き締まりに対して、より脆弱になっている。こうした変化は、市場の調整、債務の持続可能性への懸念、新興市場からの資本流出を招く可能性がある。
だからこそ、今ある機会の窓を活用し、先に待ち受ける課題に備えなければならない。
次の景気後退がいずれ必ず訪れたときに行動の余地を広げること、経済学者の言葉を借りれば「 政策バッファーを構築する」
ということだ。具体的には、どういう意味だろうか。
多くの経済にとっては、政府の赤字を削減し、財政枠組みを強化し、公的債務を段階的に減少させる道筋に乗せることを意味する。より効率的な歳出と累進課税を通じ、成長に配慮した形で実施すべきだ。
特に新興国・発展途上国では、変動の激しい資本フローに対処するため、為替レートの柔軟性を高めることも求められる。
こうした取り組みは、景気後退の深刻さと期間を抑える助けとなる。
例えば最近の研究によると、適切な財政・金融バッファーがある国では、金融危機後の産出量の落ち込みは1%未満だが、バッファーがない国では約10%に達する。
したがって、マクロ経済政策の手段を活用することは極めて重要だ。しかし、それだけでは不十分である。
特に中国やインドなどの大規模な新興市場では、企業部門と銀行部門のバッファーを積み増し、金融の安定性を強化することが鍵となる。
そのためには、企業債務を削減し、必要に応じて銀行の資本と流動性を強化する必要がある。また、ここ香港を含め、急騰する住宅市場に対処する政策の実施も必要だ。
IMFの新たな分析によると、世界の主要都市の住宅市場はますます連動して動いており、いずれか一国で起きた金融・マクロ経済ショックを増幅させる可能性がある。
だからこそ、世界全体でもバッファーが必要だ。
まず、世界金融危機以降に資本・流動性バッファーの増強を目的として整備された規制枠組みを後退させず、金融システムの安全を守らなければならない。
また、国際的な規制枠組みは急速に進化するフィンテックの状況に歩調を合わせ、可能性を活用しながら新たなリスクを未然に防ぐ必要がある。
何よりも、強固な世界的金融セーフティーネットが必要だ。IMFはここで、困難な時期に各国が資本フローの変動により適切に対処できるよう支援する中心的な役割を担う。
こうした政策措置を組み合わせることで、現在の景気拡大を持続させる助けとなる。
しかし、より長期的な成長を促すことも不可欠だ。それは、より 持続可能で より 広く共有される成長である。これが私の三つ目の優先課題だ。
3. すべての人に恩恵をもたらす長期的成長を促す
より力強く包摂的な成長を促すことは、重要な課題である。
予測どおりに先進国が期待外れの中期成長に戻れば、経済格差、債務への懸念、政治的分極化が悪化するだろう。
同時に、40を超える新興国・発展途上国は、 成長率が 一人当たりで見て先進国より低くなると予測されている。
これは生活水準の改善が鈍化し、これらの国々と先進国との所得格差が広がることを意味する。
先ほど述べたように、機会の窓は開いている。しかし、生産性と潜在成長力を高めるには、各国が経済改革と政策措置を強化する必要がある。
大きな変化をもたらし得る二つの方策について触れたい。
(i)第一に、特に発展途上国で、サービス部門の潜在力を引き出すこと。
農業主体の経済からサービス主体の経済へ移行するなかで、こうした国々の多くは、従来型の工業化段階を経ずに進んでいる。
そのため、低い生産性の水準にとどまり、先進国の所得水準に追いつく機会をほとんど得られないのではないかという懸念が生じる。
しかし、最新の調査によると、運輸、通信、ビジネスサービスを中心とする一部のサービス部門は、製造業に匹敵する生産性を実現できる。
これは、雇用と生産が農業生産からより付加価値の高いサービスへと移っているフィリピン、コロンビア、ガーナなどの国々にとって極めて重要だ。
また、サービス産業の労働者の大半を占めることが多い、何百万人もの女性の経済的な暮らし向きにとっても重要である。
この潜在力を引き出すのは容易ではない。教育、職業訓練、求職支援への公的投資を増やす必要がある。また、サービス部門をより多くの競争に開くことも意味する。
世界全体でも、取り組むべき課題がある。この分野に残る極めて高い障壁を引き下げ、 電子商取引を含むサービス貿易を拡大する必要がある。
(ii)第二の変革をもたらし得る方策は、政府のデジタル変革である。
最先端の技術やシステムの導入では、公共部門が先導役を務められる。ここアジアでも優れた事例が見られる。
インドでは、市民は固有の生体認証情報にひもづいた銀行口座で、補助金や福祉給付を直接受け取っている。オーストラリアでは、税務当局が賃金情報をリアルタイムで収集し、経済の状況を即座に把握できる。ここ香港では、新たに政府資金で整備された決済システムにより、銀行の顧客はまもなく携帯電話番号やメールアドレスを使って送金や小売店での買い物ができるようになる。
こうした取り組みは始まりにすぎない。世界各国の政府は今、効率性を高める方法も模索している。
例えば、最近のある調査によると、税務コンプライアンスの不履行や政府の支払いミスにより、世界の公的歳入の約20%、約5兆ドルが毎年失われていると推計される。
ビッグデータ分析などの新たなツールを使えば、政府はこうした資金の漏出を減らせる。漏出は汚職や脱税と直接結びついていることが多い。これを減らせば、各国は優先度の高い分野への支出を増やせる。
要するに、デジタル政府は公共サービスをより効率的かつ効果的に提供し、人々の暮らしの改善に役立てることができる。
考えてみてほしい。発展途上国では、清潔な水や中等教育を利用できる世帯よりも、インターネットやスマートフォンなどのデジタル技術を利用できる世帯のほうが多くなっている。
デジタルを介した交流には大きな可能性がある。同時に、より幅広い開発の進展を実現するため、技術を効果的に活用する必要があることを改めて示している。
結論
最後に申し上げたい。今の世代の政策担当者は、厳しい選択を迫られている。
生活水準を大きく引き上げる一方で、多くの人々を取り残すなど、成果がまちまちだった過去の政策をそのまま踏襲することもできる。
あるいは、新たな経済の姿を描くこともできる 。そこでは、開かれた貿易がより公正で協調的になり、金融システムがより安全になって経済成長を支え、デジタル革命の恩恵が恵まれた一部の人々だけでなく、すべての人に及ぶ。
偉大な芸術家アンリ・マティスはかつてこう語った。「創造性には勇気がいる」。
政府の庁舎でも、企業の会議室でも、そして私たちの心の中でも、確かにさらなる勇気が必要だ。



