命が悲劇的に奪われたとき、「どのようにして」よりも「なぜ」を説明するほうが、一般に難しい。殺意を持つ者の手によって悲劇が起きたとき、この暗い現実はいっそう強く感じられる。クライストチャーチで祈りを捧げていたイスラム教徒が二度にわたって虐殺され、50人が死亡し、それとほぼ同数が重傷を負った経緯を説明するのは胸が痛むが、比較的容易だ。
近年の多くの大量殺人事件と同様、使用されたのはアサルトライフル、広く出回っているAR15であり、皮肉にも「民間人用M-16」と呼ばれるこの銃によって、臆病な殺人犯一人がいかに多くの命を奪えたかが説明できる。
3年前のオーランドのナイトクラブ「パルス」でも、ほぼ同じことが起きた。混雑した場所で銃撃犯一人が49人を射殺した。動機は大きく異なるようだが、その翌年、ラスベガスで58人が死亡した事件の背後にも同種の軍用殺傷兵器があった。昨年10月にはAR15が使われ、ピッツバーグの「ツリー・オブ・ライフ」シナゴーグで礼拝者11人が射殺された。また、同種の銃器が使われ、2017年1月にはケベックシティーのモスクで6人が殺害された。
AR15のような銃器が容易に入手できるにもかかわらず、ニュージーランド社会が平和的であることの証しとして、同国で最後に銃乱射事件が起きたのは1997年だった。ジャシンダ・アーダーン首相が、この悲劇を受けて直ちに必要な対応の一つとして銃規制改革を挙げたのは正しい。
しかし、ニュージーランドで責任を問えるのは、銃規制の緩さだけだと言ってよい。アーダーン首相はオーストラリアのスコット・モリソン首相とともに、祈りを捧げていた人々を冷酷に殺害したこの野蛮な行為を、イスラム嫌悪に駆り立てられた右翼過激派のテロと呼んだが、これも正しかった。
オーストラリアの州警察と連邦警察は長年、差し迫った脅威であるサラフィー主義ジハード主義テロに次いで、右翼過激主義が着実に拡大していることを最も懸念していると警告してきた。最も活発な右翼過激派組織は数多く存在するものの、組織力に欠け、指導力も弱く、集まる人数も少ないと認識されていたことは、いくらか安心材料になっていた。
一見すると、オーストラリアの右翼過激主義は、欧州のネオナチ運動や、米国政治を悩ませる白人至上主義と有害なナショナリズムのさまざまな形態に比べ、深刻さははるかに低い。米国では、2018年にテロ攻撃で50人が死亡したと控えめに見積もられており、そのほぼすべてが右翼過激主義に関連していた。
2017年には、ドイツだけでイスラム教徒やモスクを狙った攻撃が950件あったと算定されている。昨年の米国での攻撃の多くには、イスラム教への右翼過激派に共通する憎悪と、イスラム教徒を標的にする動きが見られ、ユダヤ人に対する長年の敵意も加わっていた。
近年のテロ攻撃のほぼすべては、単独犯による攻撃だ。こうした攻撃は予測が極めて難しい。サラフィー主義ジハード主義のイスラム過激主義に触発されたものであれ、右翼過激主義に触発されたものであれ、単独犯による攻撃では、「無名の人間から英雄へ」と成り上がるという妄想に取りつかれた人物がしばしば見られる。
暴力に訴える前にネット上で発信する右翼過激派の「無名人」を当局が見つけるのに苦労する主な理由の一つは、国民的な言説が不信、不安、他者への責任転嫁というまったく同じ要素にますます支配されるなか、その雑音から明確な兆候を見つけにくいことだ。
オーストラリアでも欧州や米国と同様、主流派の政治家や大手メディアの論説者が、人気を得ようとして過激な考えをもてあそぶことが増えている。かつてなら主流の政治的議論や論評では口にできなかったであろう、とんでもない考えを公然と振りかざす人も多い。
ドナルド・トランプは、口にできなかったことを主流派の右翼政治における新たな常識にした人物として、当然ながら特筆される。しかし、そうした人物は彼だけではない。そして悲しいことに、オーストラリア政治が比較的礼節と安定を保っているとはいえ、私たちも恐怖をあおる有害な政治を常態化させてしまった。
『ザ・プロジェクト』の司会者ワリード・アリーは、金曜日のテロ攻撃について、深く心を乱す事件ではあったものの、衝撃的な不意打ちではなかったと述べた。これほど的確な言葉はない。注意を払い、オーストラリア社会の幸福と安全を真に気にかける人なら誰でも、右翼過激派や白人至上主義の考え、そしてとりわけイスラム嫌悪が全般に着実に広がっていることに気づいていた。
彼らは、祈りを捧げるイスラム教徒やユダヤ人が何度も襲撃されるのを目にし、北半球を悩ませてきた殺人暴力が南半球にも及ぶ日を案じてきた。それだけではない。移民、なかでも庇護希望者、アフリカ系の若者、イスラム教徒が、恐怖をあおる冷笑的な政治の駒として名指しされることを心配してきた。
スコット・モリソンが、こうした問題は何年も前から続いていると言うのは正しい。しかし、ジョン・ハワードの2001年の「暗い勝利」の後、私たちの下降傾向が急激に加速したと指摘するほうがよい。勝ち目のない選挙で勝利を収めた背景には、庇護希望者が8月にMVタンパ号で到着したことに続く9月11日の攻撃があり、その代償としてジョン・ハワードと自由党は、ポーリン・ハンソンの白人至上主義的な過激政治を受け入れた。
言うまでもなく、二大政党はいずれも、国民が求め、支持しているように見えた強硬な言葉遣いと非人道的な政策を、フォーカスグループや世論調査の対象者に示す誘惑に屈した。今、私たちは、船で庇護を求めて到着した人々や、肌の色が濃すぎるように見える人々、あるいは信仰心が強すぎるように見える人々を悪者扱いした、その真の代償を目の当たりにし始めている。
その結果、憎悪に満ちた言説があまりにも騒々しく飛び交い、暴力的過激主義の芽を見つける任務を負う人々にとって、その兆候を周囲に広がる過激主義の雑音から切り分けるのが難しくなっている。
もちろん、学ぶべき教訓はある。当局は改善しなければならない。まず、標準的な定義と確かなデータ収集に基づく全国的なヘイトクライム・データベースの整備から始められる。暴力的過激主義を防ぐには、憎悪に満ちた過激主義に注意を払う必要があるのは明らかだ。
しかし最終的には、憎悪に満ちた過激主義がこれほど公然と広まるのを許す寛容な政治環境に対処しなければならない。その責任は論説者にも政治指導者にもある。彼らは過去を変えることはできないが、未来を決めることになる。



