今のアフリカの状況をどう表現すればよいのか。大げさにするつもりはないが、それでもやはり劇的である。これは大洪水だ。歴史は、雨季の泥川のように、この大陸で加速している。川は増水して荒れ狂い、命を育むが、油断ならない。古きものは記憶のない場所へと押し流され、生き物たちは絶滅させられている。
実際、自然に関するこの2点目は、言い訳がましい脚注としてではなく、最前面に据えるべきである。(未来的に言えば)この加速の中でアフリカが生命を守れていないことは惨憺たるものであり、やがてそのように断じられるだろう。ここで特に思い浮かべているのは、小さな生き物たちのことだ。数えきれないほどのアリやカブトムシ、土壌を肥やすその営み、蝶や蛾、鳥、植物、樹木。モパネの森林、銀色に輝くムホホやその他の在来の広葉樹が伐採されている。
威風堂々たる象徴的な動物たちでさえ、打撃を受けてよろめいている。ゴリラはほとんどいなくなり、サイも同様だ。ゾウは記録的な数で密猟されており、海ではサメが、その存在すら知られぬまま獲り尽くされている。これらすべてを回復させるのは困難だろう(不可能ではないにしても)。
自然に当てはまることは、アフリカの国家という脆い構築物にはなおさら当てはまる。問うべき政治・経済上の中心的な問いはこうだ。製造業が中国に支配され、製品やサービスがコモディティ化し、3Dプリンティングや新たな遺伝子・医療技術が労働に対する資本の優位をさらに強めていくポスト工業化の世界で、アフリカ諸国はどうすれば人口ボーナスを生かせるのか。
若い人口がもたらす経済的な追い風は、約10年続く。その後は、若者が重荷となって沈み込ませる。アフリカは他の地域より陽気でたくましいので、破局の時期は2025年まで先送りできるだろう。とはいえ、正直に言って、飢饉や食料価格の上昇が予想される気候変動の有害なリスクを織り込むなら、数年は差し引く必要がある。そこで、やや恣意的ではあるが、転換点は2022年とする。この大陸の今後1世紀以上の未来を左右する決断を下すための、10年である(これが一枚岩の姿からはほど遠いことは認めるが)。
考慮の重点は若者に置かなければならない。ポピュリズムによる不安を抑えるための雇用は、どこから生まれるのか。ますます厳重になる生体認証の国境によって、ヨーロッパなどへの経済的移住を暴力的に押し戻される、聡明で勇敢なアフリカの若者たちはどうなるのか。故郷に残された弱い立場の人々はどうか。サハラ以南のアフリカにはすでに7,000万人の遺棄された子どもがおり、その多くが劣悪な環境で暮らしている。村々には、身体的にも精神的にも発達が妨げられ、競争できない子どもたちという、語られざる大きな問題がある。女の子の権利、すなわち教育、医療、避妊、相続の権利の問題もある。
アナーキズムやマルクス主義を語ることはできず、資本主義ももはや確信できない。将来のアフリカがどのような姿になるかを語ることは不可能だが、勇気ある決断とは、アフリカの共同体、想像力、リズムに満ちた新たなパラダイムを打ち出すことだろう。アフリカは、(橋や下水道を一時代もつように築いた)ヴィクトリア朝の技術者のような大胆さで、ハイテクへと進み、労働集約型のローテクは維持しつつ、輸入に頼り、消費的で非効率なミドルテク(自動車、エアコン、ディーゼル発電機)は避ける必要がある。しかも、それを迅速に行わなければならない。
ジョナサン・レッジャード氏は、『エコノミスト』誌のアフリカ特派員であり、スイス連邦工科大学ローザンヌ校(École Polytechnique Fédérale de Lausanne)のFuture African Cities フェローである。2作目の小説は『Submergence』: http://submergencethebook.tumblr.com/


