これは、世界経済フォーラムのブッククラブが2020年2月に選んだ、サマンサ・パワー著『理想主義者の教育』からの抜粋です。ぜひご参加ください。ブッククラブで一緒に話し合いましょう。
サマンサ・パワーは2013年から2017年まで、駐国連米国大使およびバラク・オバマ大統領の閣僚を務めました。現在はハーバード・ケネディ・スクールとハーバード・ロー・スクールで実務教授を務めています。本稿は、2019年9月10日にハーパーコリンズから刊行された彼女の新著『理想主義者の教育――回想録』をもとにしています。
私は2006年夏、ほとんど見送られることもなくワシントンD.C.を離れた。バラク・オバマの上院事務所で外交政策顧問を1年間務めた後のことだった。自分を特に党派的な人間だと思ったことはなかったが、共和党がしばしば米国の政策をめぐる議論を、軍事力への過度の依存と、彼らの言う「宥和政策」との二者択一にすり替えることに、強い苛立ちを感じていた。また、気候変動のような従来とは異なる脅威に対応するうえで、国家安全保障機関の備えがいかに不十分かにも衝撃を受けた。国境を越える課題に対処するには連合を築く必要があり、そのためには外国の人々から信頼されなければならなかった。イラク戦争によって、私たちはその点で大きな代償を払っていた。
こうしたことを間近で目にしたのは、気持ちをくじかれる経験だった。それでも、この1年を無駄だったとは思わなかった。ワシントンでの個人的な浮き沈みを経て、私はようやく自分の内にある無意識の力と向き合い始めた。それは、長続きする恋愛関係を築く妨げになっていたのかもしれない。そして、彼のもとで働く間に困難を経験したにもかかわらず、オバマ上院議員のことを知ることができたと感じていた。
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私がワシントンに住んでいたころ、オバマは夜や週末を使って2冊目の本を書いていた。当時、その本は『希望の大胆さ』と呼ばれていた。彼はたいてい夜遅く、ESPNの『スポーツセンター』を見た後にメールを送ってきた。私もたいてい同じ番組を見ていた。私はすぐに原稿に修正や提案を書き込み、彼に返した。こうしたやり取りは、上院で私が彼のためにしていたどんな仕事よりも価値があるのだと、次第に気づいた。
マサチューセッツ州に戻ることをオバマに電話で伝えると、彼は私の言葉を遮った。「そうだね、ここで君が役に立つとは思っていなかったよ」。ハート上院議員会館にある彼の事務所へ通うために1年を費やしていた私は、あっけにとられた。
「気を悪くさせるつもりはないんだ」と彼は言った。「言い直そう。君を適切に活用できる力が私にはないんだ。むしろ、君が辞めるまでずいぶん時間がかかったなと思っていたよ」
私は信じられないという思いで電話を見つめた。彼はずっと、彼の事務所で過ごした1年が、しばしばどれほど無意味に感じられたか知っていたのだろうか。
当時は彼に話さなかったが、上院での経験を通じて、私には一つの確信が生まれていた。オバマはあそこを出るべきだということだ。2006年の中間選挙で民主党は下院と上院の両方で過半数を獲得したが、彼がいるべき場所は議会ではないと思っていた。
何百万人もの人々と同じように、彼は大統領選に出馬すべきだと私は考えていた。
マサチューセッツ州ウィンスロップのアパートに戻り、ハーバード大学で米国の外交政策と人権に関する講義を再開してから数か月の間、私はオバマとよく話をした。
ある電話で彼は「セルジオの本はどう?」と尋ねた。いつものように、必要以上に詳しく説明した後、何か助けを求めているのだろうと思い、「それで、どうしたの?私に何かできる?」と尋ねた。
彼の返答に私は驚いた。「どういう意味?君の本の進み具合や、元気にしているかを聞こうと思って電話しただけだよ。大変なのは分かっているから」
国際的に知られる人物となってから初めてのケニア訪問について尋ねた。彼は、行く先々で沿道を埋め尽くした群衆の熱狂ぶりを話してくれた。
「まあ」と私は言った。「どんな気持ちだった?」
「何だって?」と彼は聞き返した。
「どんな気持ちだったの?」と私は繰り返した。
「どういう意味?」と彼は尋ねた。
「バラク!」私は声を上げた。「感情のことよ!覚えてる?」
「さあ」と彼は言った。「こういうことについて、いつも感じているのと同じように感じたんだと思う。人々は何かを切望していて、その何かを私の中に見ている。あまり深刻に受け止めるわけにはいかないよ」

2006年10月、『希望の大胆さ』が歴史的な反響を呼んで刊行された。「オバマを大統領に」と書かれたグッズを身につけた支持者が彼の集会に押し寄せ、無料の朗読会のチケットはオンラインでダフ屋に転売された。書店に収まりきらないほど群衆が集まったため、オバマの広報チームは、写真撮影は禁止、個人的な会話は禁止、サインは1人につき3冊までというルールを設けた。
オバマは、大統領選への出馬を真剣に考え始めたと私に話したが、娘たちやミシェルと離れて過ごす時間を心配していた。プライバシーを犠牲にすることになり、選挙運動の日々は過酷なものになると分かっていた。「面倒なことを引き受けたいのか、自分でも分からないんだ」と彼は言った。
私は彼に出馬するよう勧めた。「この壁を突破できる人は、ほかにいない。それに、あなたにとって楽しいことではなくても、あなた自身が必要としていなくても、あなたが大切にしている問題はあなたを必要としている」
「そうだね、そうだね」と彼は言った。「出馬すべきだという議論は分かっている。ただ、家族としてこれを乗り越えられると確信したい。それに、勝てると分かっていたい」
政治運動についても、2008年の民主党最有力候補と目されていたヒラリー・クリントンを支えると見られた巨大な資金力に対して、彼にどれほど勝ち目があるのかについても、私はほとんど何も知らないと痛感していた。また、国で最も高い地位を目指すことと、配偶者や幼い子どもたちに会えなくなることをどう天秤にかけるのか、想像もできなかった。私はその話題を再び持ち出さなかった。その代わり、国中の人々と同じように、彼の公の発言を注意深く追った。彼が出馬を決めたら、そばにいたい。それだけは分かっていた。
『理想主義者の教育』サマンサ・パワー著著作権 © 2019 サマンサ・パワー。ハーパーコリンズ・パブリッシャーズ傘下のデイ・ストリート・ブックスの許可を得て転載。

